日本庭園学会誌
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2011 巻, 25 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
論文
  • 外村 中
    2011 年 2011 巻 25 号 p. 25_1-25_15
    発行日: 2011年
    公開日: 2014/03/01
    ジャーナル フリー
    今日の中国園林史の分野においては、方池(あるいは「方塘」)は必ずしも重要な意匠として扱われてはいない。しかしながら、方池が愛好されていたことを記す詩文は少なくない。小稿では、古代中国の方池についての代表的な詩文の内容を紹介分析しながら、とくに南宋の朱熹(1130-1200)の「觀書有感」詩に記された「半畝方塘(小さな四角い池)」の特徴を明らかにする。そして、そのような方池が中国では後世において大いに流行していたらしいことをしめし、中国園林史上における方池の位置づけについては修正が必要であろうことを述べる。日本庭園史の分野においても、小稿でしめすような方池に対する美意識については議論が必要ではなかろうか。
  • 杉尾 伸太郎
    2011 年 2011 巻 25 号 p. 25_17-25_21
    発行日: 2011年
    公開日: 2014/03/01
    ジャーナル フリー
    日本を代表する石庭の一つである龍安寺は、庭の作られた時期や作者が確定されていないばかりではなく、庭の作庭に至った意図についても、多くの説があり、特定されていない。
    筆者は2010年、日本庭園学会誌22誌上において、龍安寺方丈庭園の作庭意図は、中国の五台山を写したものであることを記述したところである。
    今回は、過去の研究、文献において述べられてきた作庭意図の諸説を、できる限り網羅できるよう取り上げ、その内の有力な説について論じた。その結果、作庭意図が五台山の写しであるとする説については、過去に公表されたものはなく、その他の説については、どの案についても五台山説以上に作庭意図を明らかに示すものであるという説明はできない。
  • 加藤 友規
    2011 年 2011 巻 25 号 p. 25_23-25_29
    発行日: 2011年
    公開日: 2014/03/01
    ジャーナル フリー
    何有荘は旧南禅寺境内に位置し、江戸時代の塔頭跡地に築造されている。明治38年(1905)に稲畑勝太郎の所有となり、「和楽庵」と称した。
    本論では、資料の収集と分析を通じて、何有荘の歴史的変遷を整理し、五つの時代性を考察した。すなわち、稲畑勝太郎による第1期(創成期)、第2期(確立期)、大宮庫吉による第3期(安定期)、地割りの改変のあった第4期(改変期)、平成22年(2010)現在の第5期(再生期)に区分して、各時代における庭園の特徴を明らかにした。
    特に、大正9年(1920)5月に記された「和楽園記」の時期を、第2期(確立期)の中でも「黄金期」と位置付け、その完成度を評価した。まさに、今日の何有荘庭園の骨格となる情景が「和楽園記」に記載されていることから、「和楽園記」を詳細に分析し、復元図を作成して「黄金期」の庭園の復元的考察を試みた。その結果、「黄金期」の和楽庵と今日の何有荘との差異や特徴が明らかになった。
    何有荘庭園の復元にあたっては、「黄金期」に形成された和楽庵庭園のもつ本質的な美を見極めながら、何を次代に伝えるべきかを判断した上で、現代にふさわしい美を追求し、保護しなければならないと考える。
  • 村岡 香奈子
    2011 年 2011 巻 25 号 p. 25_31-25_39
    発行日: 2011年
    公開日: 2014/03/01
    ジャーナル フリー
    明治中期に造られた山縣有朋の無隣庵や岩崎久彌茅町本邸の洋館前の庭は、イギリス風景式庭園の影響を受けたものであるとの指摘がある。しかし、イギリス風景式庭園の各段階における代表例とされるローシャム、スタウアヘッド、ブレナム・パレスにつき調査し、日本の明治期の庭園と比較したところ、このような見解を裏付ける実質的な類似点を見出すことはできない。イギリス風景式庭園と日本の明治期の庭園では、建物周辺の庭園デザインが異なり、庭園内の景物のモチーフや使い方にも共通点は見られない。明治期の日本の庭園における園路のデザインについても、日本の伝統的な造園手法から離れてイギリス風景式庭園の影響を受けたものと考えるべき根拠に乏しく、さらに、山縣や岩崎久彌が渡欧した時期とイギリス風景式庭園の最盛期にずれがあることから、明治期の新興勢力が渡欧の際に見聞した風景式庭園の影響が日本の庭園に持ち込まれたものであるという見解も、イギリス庭園史の流れからすると不自然ではないかと考えられる。
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