日本庭園学会誌
Online ISSN : 2186-0025
Print ISSN : 0919-4592
ISSN-L : 0919-4592
2013 巻, 27 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
論文
  • 西 桂, 佐藤 玄由
    2013 年2013 巻27 号 p. 27_1-27_12
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/10/01
    ジャーナル フリー
    阿波國分寺庭園は、平成12年に国の文化財名勝に指定された。指定を機会に、文化庁、徳島県、徳島市等の理解と協力のもと、平成18年に「名勝阿波國分寺庭園保存整備検討委員会」(以下「検討委員会」と称す)を立ち上げ、五カ年の歳月を掛けて保存整備し、一応の調査と整備を完了することができた。
    阿波國分寺庭園は、類稀れなる石組や庭園意匠で構成されている。そのなかで最も特徴的なのは、洞窟石組と言われてきた。しかし一般に言われる洞窟石組と異なり、中国風景に見られる天生橋や中国の廬山をモチーフに作庭されたものであると考えるにいたった。
    本稿は、阿波國分寺庭園の庭園構成や作庭意匠について、廬山や天生橋など中国景観との関係において論考するものである。
  • 廣安 春華
    2013 年2013 巻27 号 p. 27_13-27_28
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/10/01
    ジャーナル フリー
    冷然院は平安時代初頭に造営された嵯峨天皇の離宮である。庭園は発掘により部分的に明らかになったが、創建当時の姿を知ることは困難である。本研究では、主に嵯峨朝に詠まれた冷然院に関する漢詩を庭園史の観点から整理・分析し、より包括的な考察を目指した。
    その結果、冷然院では池や瀑布や遣水、釣殿等の水景が多く詠まれていることがわかった。冷然院の庭園は池や築山等の意匠が非常に先端的であったとする先行研究があるが、中でも水景に関しては際立って趣向を凝らした意匠であったことを明らかにした。冷然院が天皇と臣下が親しく交流する詩宴(密宴)の場に用いられたのは、こうした特徴的な庭園を伴っていたことによるものとみられる。
  • 廣安 春華
    2013 年2013 巻27 号 p. 27_29-27_40
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/10/01
    ジャーナル フリー
    平安時代初期に造営された藤原冬嗣の邸宅・閑院は創建当時の姿について不明な点が多い。本研究では、閑院への行幸や餞別の宴の際に詠まれた漢詩を庭園史の観点から整理・分析し、庭園意匠と利用目的を考察した。
    漢詩には、釣・弾琴・喫茶・詩作などの遊興の様子やそれらに用いる釣殿・薬室(茶室)・花亭といった庭園内の施設が詠まれており、遊興面に配慮した邸宅だったことが明らかになった。閑院は臣下の邸宅であるが故に接遇面に配慮されていたことがうかがえる。また、行幸については、冬嗣と家人に対する叙任等が目的であり、詩宴も天皇と臣下の親密さを確認する目的のもの(密宴)であったと推測できる。
  • 渡邉 美保子
    2013 年2013 巻27 号 p. 27_41-27_49
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/10/01
    ジャーナル フリー
    山縣有朋(1838~1922)は、明治・大正期の陸軍軍人、政治家である。邸宅を構えるごとに自ら指揮をとり築庭した。現存する3つの庭園のデザインを見ると、椿山荘(1878)ではもともとあった自然の地形、谷、湧水、自生していた植物を生かして作庭したのに対し、無鄰菴(1894)と古稀庵(1907)では、水を引き入れ造成し苗木を植樹した。山縣の作庭手法には、自然の「間」を読み取り、自然を原寸で写し取るという独自性が看取できる。
  • 孫 旻愷, 藤井 英二郎
    2013 年2013 巻27 号 p. 27_51-27_62
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/10/01
    ジャーナル フリー
    拙政園は中国蘇州にある庭園である。中国4大名園と言われ、1997年に世界遺産に登録された。拙政園は中国明代(1368-1644)に官職を辞任した初代園主王献臣によって造られた園林であり、名画家文徴明がその設計に携わったと言われている。文献資料によれば、庭園の建造時期は1509から1513年の間である。500年余りの歴史の中で、拙政園は度々改修された。現況と初期構成が大きく異なっている。本研究では、初期拙政園に関わる文献、絵画、地図などを分析、その庭園構成、意味を推測、考察した。
feedback
Top