本論文では、昭和44年(1969)に日本庭園史の研究者であり、作庭家でもあった森蘊が京都の妙蓮寺玉龍院から、奈良の唐招提寺東室前に移転した庭園を事例として、昭和期に行なわれた歴史的な庭園遺構の移転復元を分析し、その意義と課題について考察を深める。
前半では、森が残した資料を基に、移転前の妙蓮寺玉龍院庭園の原型、その作者と意味付けを紹介した。そのうえで、玉淵坊作の十六羅漢をテーマとする石庭であるという学説は森の直感的な解釈によることを証明した。
後半では、実測図や古写真を基に、この移転復元事業の経緯を分析した。森が地形と石の配置に細心の注意を払いつつ、庭園の構成要素を自由に取捨選択し、移転先で再構成したことがあきらかになった。歴史的な庭園の移転復元事業は立地の変更だけでなく、形態の再構成という本質的価値の変更に繋がった。とはいえ、従来の庭園の材料とイメージが継承されたことには意義があり、移転復元後の庭園は、森の作品とみなすことができよう。
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