胎児の有機水銀中毒は胎児性水俣病として知られているが,妊婦が水銀系農薬に汚染された食物を誤食したため胎児が有機水銀中毒になった例も報告されている.有機水銀のうちでもメチル水銀は一度体内にとり入れられると血液,肝臓,脳,脊髄などに長時間残留することや,すみやかに胎盤を通過して胎児の脳に貯留することも確かめられている.本実験では塩化メチル水銀を妊娠ラットおよびマウスに与え,胎仔におよぼす影響をとくに脳に重点をおいて観察した.実験動物はddNマウスとWistarラットを用い,交配の翌日を妊娠0日として起算した.妊娠ラットには35mg/kgの塩化メチル水銀を妊娠6,8,10,12,14日のいずれかに1回経口投与し,妊娠20日に胎仔をとりだし外形観察の後,Wilson法あるいは光顕的に観察した.妊娠マウスには30mg/kgの塩化メチル水銀を妊娠6日から13日のいずれかに1回経口投与し,妊娠18日に胎仔をとりだして観察した.その結果,塩化メチル水銀はラット胎仔に対して強い致死作用を示し,処理後短期間のうちにおこったと推定される子宮内死亡が多数みとめられた.またすべての実験群で胎仔の発育遅延が顕著であった.各実験群に全身浮腫を示す例が多数みつかり,Wilson法や光顕的に大脳外套中間層,脳梁幹,被殻尾状核,視床などに壊死巣や組織の欠損,疎鬆化がみとめられ,奇形性水頭症を合併する例も多かった.マウス胎仔には致死作用,発育阻害作用ばかりでなく強い催奇作用がみとめられ,口蓋裂がすべての実験群に成立し,小顎症や小舌症を合併した例も多数みつかった.全身浮腫の胎仔も各実験群にみつかり,多くは奇形性水頭症をともなった.光顕的に第3脳室の拡大,上衣細胞の剥離や,大脳外套,被殻尾状核,視床,視床下部,小脳などに小さな組織欠損のみつかる例も多かったが,このような傷害の型には処理した妊娠日のちがいによる著しい差はみとめられなかった.以上のように塩化メチル水銀を妊娠ラットとマウスに投与したところ,催奇形作用には種差があきらかで,マウスに口蓋裂,小顎症などの奇形が多発したのに対しラットでは奇形は少なかった.他方,ラット,マウスに共通して全身浮腫の例が多く,大脳外套や被殻尾状核などに傷害をともなっていた.このような傷害は処理した妊娠日にあまり関係なく脳の形態形成がある程度進んだ後におこった退行変性と推定され,塩化メチル水銀の遅延毒性が示唆された.しかし処理後短期間の子宮内死亡も多いことから,胎仔に対する急性毒性も見のがすことはできない.
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