生命倫理
Online ISSN : 2189-695X
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16 巻, 1 号
選択された号の論文の35件中1~35を表示しています
  • 原稿種別: 表紙
    2006 年 16 巻 1 号 p. Cover1-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 16 巻 1 号 p. App1-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2006 年 16 巻 1 号 p. Toc1-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2006 年 16 巻 1 号 p. Toc2-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 青木 清
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 3-4
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 中村 桂子
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 5-11
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 小泉 英明
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 12-28
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 木村 利人
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 29-34
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    2005年10月19日、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)第38回総会は「バイオエシックスと人権に関する世界宣言」を採択した。これは21世紀におけるバイオエシックスの発展にとって極めて重要な意義を有する画期的な出来事である。UNESCOは、すでにその形成の初期から、科学技術の進歩と人間の尊厳・倫理のありかたに関する問題点に取り組み、様々なプロジェクトを展開してきた。たとえば、1975年にはブルガリアで「生物学と倫理」UNESCO国際会議、1991年にはモスクワにおいてUNESCO最初の国際的なバイオエシックス会議などが開催され、世界諸国の文化や社会、歴史、思想の広がりの中での生命医科学技術の正しい進展のためのガイドラインや教育の重要性が指摘された。1993年にはUNESCO国際バイオエシックス委員会(IBC)が設置されるに至った。本「世界宣言」では、1970年代からの生命医科学関連NGO、たとえばCIOMS,WMAなどで形成されてきたガイドラインや国際機関たとえばCEなどの条約も、その前文で留意すべき行為規範・ガイドライン文書として明記されている。これは、従来の国連関連の文書とは異なったユニークな構成である。グラースルーツの人権運動を基盤にしたバイオエシックス運動の世界的な蓄積が、このようなUNESCOの正式文書として国際世論の支持により宣言されたことを積極的に評価したい。
  • 柘植 あづみ
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 35-41
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    生殖技術は生命倫理の中心的課題のひとつとして議論されてきた。生殖技術の開発・応用はめまぐるしく進むため、生命倫理の議論は常に技術刷新の後を追う形であった。しかし、これまでの生殖技術に関する生命倫理の議論は、生殖への人為的介入への危惧、家族関係の複雑化に対する懸念、情報開示やインフォームド・コンセントの必要性、生殖細胞や組織の商品化への批判など、対象となる技術は異なっても類似した内容が繰り返されている。そこで、本稿では、生殖技術の進展の経過を概観し、既存の議論を確認した上で、これまで十分に議論されてこなかった課題を指摘し、今後の議論の発展を促したい。
  • 土田 友章
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 42-45
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 小西 恵美子, 和泉 成子
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 46-51
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    原則の倫理と徳の倫理は、生命倫理および看護倫理の最も主要なアプローチである。原則の倫理の焦点は行為にあり、徳の倫理は行為する人の特質やふるまいを吟味する。本研究の主題は徳の倫理であり、看護の実践・教育でめざす倫理的理想像、「よい看護師」を韓国、中国、台湾との共同研究として探求している。その一環として、日本の患者がとらえる「よい看護師」の特質を探索した。結果を報告し、あわせて、「よい看護師」探求の意義を述べる。Van Kaamの現象学的手法を用い、病名を知らされている26名のがん患者に半構成的インタビューを行った。結果、対象者らは、「よい看護師」とは、人としての関わりができ、かつ、専門職としての特質を備えた看護師であるとした。また、患者らは、看護師との人と人との関係性に価値をおいていた。「よい看護師」の探求は、東洋における徳の倫理の学問的発展に寄与する。また、ケアを受ける人にとっての「よい」ということの意味を明らかにすることも、「よい看護師」探求の意義である。
  • 吉澤 千登勢
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 52-57
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    現在、「出生前診断」によって胎児に「遺伝病や障害」が判明した場合に人工妊娠中絶を行う「選択的中絶」は、法的には母体保護法の「経済条項」の適用によって勘酌されているといえる。しかしこの拡大解釈は、法的妥当性を欠いており、胎児の異常を理由とする中絶を認める「胎児条項」を置くべきだとする批判がある。そこでまず、1970年代から法制化の動きがある「胎児条項」が人間社会に問いかけるものが何であるかを検討する。ついで、ゲノム研究の発展に伴い、ますます高度化していく生殖医療技術といかに対峙すべきかという視点が重要であることを確認し、最後に、「選択的中絶」における親の「自己決定権」とその行使のあり方をめぐって、看護職が果たすべき(自己決定の権利や価値を擁護する)アドボケート責務を確認する。
  • 手島 恵
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 58-60
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 稲葉 一人
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 61-66
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 吉成 みやこ
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 67-70
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 鵜飼 卓
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 71-75
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 有馬 斉
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 76-83
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    脳死者とPVS患者について、そのADの有効性の根拠や、家族による代理決定がゆるされる場合の条件などといった基本的なことが、これまで十分に説明されてきていない。この論文は、法や政策の正当化が目的である場合、「利益」が、安心や喜びなど、知覚と意識の上の経験である現象だけを意味する概念として理解されるべきであることを論証する。「大脳機能を不可逆的に失った人間の利益を法によって守る」ということには、次のような意味しかありえない。すなわち、「大脳機能を失う前の本人が、臓器の扱いや延命治療のあり方について、自分の希望どおりになることを約束されていると知って安心していたということが可能な状況を、法を用いて作る」ということである。先行文献のほとんどが、脳死者やPVS患者が意識を失う前に希望していたことを実現すること自体を、法的に守られるべき本人の利益であると論じていることを批判する。知覚と意識を不可逆的に失った患者にADがない場合、家族による代理決定を、それが患者の利益になるからという理由で正当化することはできない。
  • 水野 俊誠, 横野 恵
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 84-90
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    米国や英国の専門職団体の指針、大多数の生命倫理学者の見解等によれば、生命維持治療の差控えと中止の間に道徳的に重要な違いはないとされる。その差控えと中止はどちらも許容されており、それらの決定は、同じ規準に従って行なわれる。日本の有力な生命倫理学者も、その考え方を支持している。しかし、米国等とは異なった制度的・文化的背景を持つ現在の日本で、生命維持治療の中止をその差控えと同じ条件で許容すれば、一層大きな心理的負担が、末期患者やその家族、医療従事者にもたらされる恐れがある。そのような望ましくない結果を防ぐために、生命維持治療の差控えと中止の間に道徳的な違いがないという考え方を受け入れるとしても日本でその中止を差控えと同じ条件で許容しないことが正当化され得る、と我々は論じる。
  • 堀田 義太郎
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 91-98
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本稿では、ES細胞研究をめぐる議論の前提になっている「ヒト胚の道徳的地位」という枠組みを問題にする。従来のES細胞研究をめぐる議論はこの枠組みを軸にしてきたが、それによって看過される問題が存在する。それは「女性の身体への負担」をめぐる問題である。それは特に、卵子提供を前提にしたクローン胚からのES細胞研究をめぐる倫理問題を考察する上で不可欠の問題である。本稿は、現在のES細胞研究で用いられている「余剰胚」は、不妊治療における女性の身体への負担を軽減するための不可避的な産物であり、その結果を事実上利用しているとも言えるES細胞研究において、女性の身体への負担の問題は重要な位置を占めている、という点に焦点を当てる。この点、「ヒト胚の道徳的地位」に対する立場から導出されるES細胞研究への指針においては、「女性の身体の負担」の問題は構造的に看過されることになる。「ヒト胚の道徳的地位」という問題とは独立した水準で、「女性の身体への負担」が考慮されるべきである。
  • 鶴若 麻理
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 99-106
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    ホスピス・緩和ケアの医師、ナース、ソーシャルワーカーを対象として、ホスピス・緩和ケアにおけるリビングウィルの実態と、リビングウィルがどのように捉えられているのかについての調査を行った。調査結果より、対象者はリビングウィルを文書という形式のみならず広い意味で捉え、各人のリビングウィルを聴きケアすることそのものがホスピス・緩和ケアであると捉えられていた。特に対応方法は、本人の意思の尊重、チーム内での情報共有などが重要と考えられていた。また「患者と家族の意向が異なるケース」「ホスピスに希望入院したのではない患者のケース」など、現場においてリビングウィルがより必要となるケースが抽出された。ホスピス・緩和ケアにおいては、リビングウィルの精神が具現化されているので、リビングウィルそのものについて検討しなくてもよいということではなく、いかなる場合に必要となるのか等について詳細な検討が必要であろう。
  • 井上 悠輔, 神里 彩子
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 107-113
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    イギリスの受精・胚研究認可庁(HFEA)は過去15年間にわたって、生殖捕助医療や胚研究など国内での胚を用いる活動を監督してきた。イギリスの法体制は胚の保護すべき価値を成長過程に準じて連続的にとらえており、HFEAが公的な審査組織として個々の事例について判断してきた。しかし、このことはHFEAの裁量への依存をもたらし、最近では特に立法府との権限の調整が問題として指摘されるようになった。生物医学の倫理問題に関連して日本をはじめいくつかの国で公的審査が導入されている中、こうした組織の性質や裁量のあり方をめぐるイギリスの議論は示唆深い。
  • 倉林 しのぶ
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 114-121
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    ニーチェはその著作のなかで「健康」と「病気」というキーワードを一貫して使用するが、それはWHOの提唱する健康概念をはじめとする一般論とはかけ離れたものである。彼の健康観はきわめて主観的でありながら同時に動的で多義的であるが、その根本には常に「生」の問題が存在している。「健康」と「病気」という概念は、宗教的カテゴリーの中で、また道徳的価値観の中に位置づけられてきた歴史が長い。ニーチェの否定したものは、思想としてのキリスト教ではなくキリスト教における「彼岸主義」と「生悲観論」であると考えられる。本稿では「健康」と「病気」という2つのキーワードをたどることで、ニーチェの「破壊的」かつ「攻撃的」な哲学に内在する、「生」に対する愛情と「生きる」ことへの強い意志の存在を明らかにしながら、現代の健康至上主義について、ニーチェが示唆するものを考える。
  • 箕岡 真子, 稲葉 一人
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 122-129
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    介護保険制度導入後5年が経過し、倫理的問題が、介護保険制度そのものから、あるいは現場のケースから顕在化してきた。それらには(1)介護のビジネス化の問題(2)高齢者の自己決定の問題;認知症高齢者の意思判断能力はどのように判断し尊重するのか、代理判断者の問題、高齢者の最善の利益の問題(3)看取りの問題;職員体制、末期の定義の問題、治療の無益性の問題、過剰な医療処置と不十分な医療処置の問題(4)その他守秘義務、虐待、リスクマネジメントの問題などがある。高齢者の価値観・人生観を尊重し、人生の最期まで人としての尊厳を全うできるよう、これらの問題について、倫理的分析・解決方法を考えていく必要がある。
  • 小崎 眞
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 130-137
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    「臓器の移植に関する法律」の中で、「本人の意思(自己決定権)」と「遺族が拒まない(家族の同意)」は必須の軸となっている。本稿では、「家族の同意」のみで移植医療を進めていく昨今的現状に鑑み、「家族の同意」という合意システムに内在する課題を探究し、「同意」が「強要」、「同調(妥協)」へと変質する可能性があることを指摘した。さらに、生命倫理学の母国とも言えるアメリカ社会に種々の影響を与えてきたキリスト教(宗教)思想に関心を払いつつ、新約聖書に伝承される家族物語(ナラティブ)との対話を通し、「家族の同意」という関係性に再解釈を加えた。フェミニスト神学者の眼差しに刺激を受け、「御心を行う」というキーワードを読み解き、自己絶対性から解放された関係性を露にした。更に、「御心を行う」という関係性の中に、「Friendship」という相互を生かす親密な関係性を読み解き、公共性を目指した合意システム構築への手がかりを探った。
  • 樋口 富枝, 森山 美知子, 弓削 類
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 138-146
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本調査の目的は、再生医療を安全で有益なものとして提供するために、再生医療の実施に関わる看護職の知識や意識、態度とその影響要因を明らかにすることである。対象者はH市内の看護職442名であり、自記式質問紙調査を行った。その結果、再生医療について61.9%の看護職が知っており、その多くは、知識の主なリソースがマス・メディアであるが、知識内容は一般的な理解にとどまっているという傾向がみられ、知識の有無と内容はその仕事に関わるか否かが大きな影響要因であることが示唆された。また、再生医療の賛否を細胞の出所別に質問した結果、自分のAS細胞を使用する方がES細胞や他人のAS細胞、胎児由来の細胞を使用する場合より賛成意見が多かった。さらに、賛否への影響要因は、基本属性や過去の経験ではなく、「自分の細胞であるか、他人の細胞であるか」と「再生医療への期待」、「治療の安全性・倫理的問題への懸念」であることが示唆された。
  • 仙波 由加里, 柘植 あづみ, 長沖 暁子, 清水 きよみ, 日下 和代
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 147-153
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    2003年、厚生科学審議会生殖補助医療部会の「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」の中では、提供された精子・卵子・胚を利用した生殖補助医療(DC)で生まれた子の福祉を尊重するという姿勢から、DCで生まれた人たちに提供者を特定できる情報をも提供するという方針が提示された。そこでDCの中でも、すでに生まれた人が成人し、自らの経験を語ることが可能なAIDに注目し、この技術で生まれた者5名を対象にインタビューを実施して、彼らがどのような提供者情報を望んでいるかを考察した。結論としては、AIDで生まれた人たちは提供者の氏名や住所、社会的情報や医学的情報のみならず、精子提供者のそれまでの人生や生き方、現在の生活、嗜好、考え方などを含む人間性や人柄を知ることを強く望んでいることがわかった。こうした点から法の中では、将来DCで生まれてきた人たちがその提供者と会うことを前提とした措置についても講ずるべきだと考える。
  • 伊佐 智子
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 154-160
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    夫の死後、その凍結保存精子を用いて生殖補助医療を受けることは許されるのか。従来、法的規制は存在せず、死後生殖は道徳に反するとして十分には議論されてこなかった。本稿では、1.凍結保存精子を用いた死後生殖の方法が従来の生殖補助医療技術を認める前提である「法律婚の夫婦」であるという条件を満たさないこと、2.夫の生前同意は、死後には撤回不可能であり、また、それは真実の同意ではないこと、3.仮にこの技術を認めるとしても、法的条件付けが困難であること、という主として三つの理由から、凍結精子を用いた死後の生殖は認められるべきではないと主張する。
  • 高橋 洋一
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 161-168
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    従来、患者の自律・自己決定権を尊重するインフォームド・コンセント(以下ICと略記)の法理のもと、医師は「説得」に偏ることのない客観的な説明を行うことが求められてきた。しかし、言語行為論や社会構築主義の見地からすれば、実際の医療場面において「説明」は「説得」と不可分である。このように、法理に基づく患者-医師関係と実際のケースとのあいだには大きな乖離があって、ICの法理を個々のケースに一律的にあてはめて考えることはできない。そのため今日にあっても、偶然性に左右されるケースに医師がどのように向き合えばよいのかが喫緊な問題として残されている。そこで、本稿ではICの「教育モデル」を提案する。本モデルにおいては、個々のケースにおける患者の語りを詳細に記録することで、医師が患者を把握すると同時に、自らの患者に対する見方を自覚的に反省する契機としてICを考える。さらに、患者を医学的知見に基づく「患者」としてだけでなく、さまざまな人生観や価値観を有する社会的生活を営む「個人」として捉えることで、重大なIC場面にも対応できるような医師の高度な判断力を養成する可能性について探究する。
  • 大河原 良夫
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 169-177
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    法律が、患者の権利として、患者意思を尊重しその意に反する治療はできないとしているとき、患者はどの程度までの治療拒否ができるのか、生命に危険がある場合まで治療拒否ができるか。この問題は、フランスで最近まで未解決であった。2002年3月4日、患者の権利法が制定され、治療拒否権が新たな形で登場した。しかしその直後、これに抵抗するような形で、エホバの証人輸血拒否事件に関するコンセイユ・デタ2002年8月16日判決(命令)が、輸血断行は、説得など一定の要件を満した場合、自己決定権を侵害しないという判断を示した。これによって、同法制定以降も、患者の自己決定権は、「ハーフトーンの基本的自由」に留まるものとなったが、医業倫理法等との関係で、これらの規範抵触が、やはり医師を微妙な立場におくことに変わりはなく、2002年法は判例の流れを断絶しえなかった。しかし、フランス医事法(学)がこれまで積み上げてきた患者の諸権利を考慮するならば、この判決の射程は拡張されるべきでない。
  • 服部 健司
    原稿種別: 本文
    2006 年 16 巻 1 号 p. 178-184
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    自分の健康を保持増進することを義務とする言説を批判的に吟味することが本稿の課題である。ただし、世界の諸国の保健の実情には大きな差があり、紙幅の制限上、考察をこの国をふくめた先進国に限ることにする。古典的公衆衛生から新公衆衛生運動への転回をながめたのち、健康増進をめぐる現今の言説の特徴を浮き彫りにする。それは、ヘルシズム、医学の擬似宗教化ならびに道徳化、疾病への過剰な意味の付与、日常生活の医療化、疾病の自己責任の強調、医療費削減のためのレトリックである。それぞれについての問題点をあげて検討しながら、健康を増進する義務というものがもしあるとするならば、それは国家の側にあること、ただしそれは国民に恣意的で一面的な健康像をパターナリズム的に押し付けることではなく、環境や社会資源、医療体制の整備に重点を置くものであるべきこと、つまり古典的公衆衛生が中心であるべきことを論じる。
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 16 巻 1 号 p. 185-188
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 16 巻 1 号 p. App2-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 16 巻 1 号 p. App3-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2006 年 16 巻 1 号 p. App4-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2006 年 16 巻 1 号 p. Cover2-
    発行日: 2006/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
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