生命倫理
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21 巻, 1 号
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  • 原稿種別: 表紙
    2011 年21 巻1 号 p. Cover1-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2011 年21 巻1 号 p. App1-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2011 年21 巻1 号 p. Toc1-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2011 年21 巻1 号 p. Toc2-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 酒井 シヅ
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 3-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 戸田 聡一郎
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 4-11
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本稿では、日本に特異的な植物状態の診断基準(遷延性意識障害)を手がかりとして、その診断基準が世界的な臨床実践にいかに寄与できるかを考察する。日本独自の遷延性意識障害の枠組みに立てば、欧米の基準で無視されがちな、意識の有無が疑われる患者に対しても均一なケアを提供し、いまだその病態の本性に謎の多い最小意識状態(MCS)の疫学的データ収集に貢献できる可能性がある。しかしながら、実際の日本の臨床の体制は、そのような強みを生かせるものではない。加えて、理想的なケア体制を構築するためには、資源配分に関する深刻な問題を解決しなければならない。本稿は具体的かつ現実的なケア体制を考える際に、考察の前提となるべき論点を取り上げる。すなわち、(1)「植物状態」なる用語が喚起する固定化されたイメージの改訂、および(2)理想的なケア提供に向けて考慮すべき「正義」や「意識」といった諸概念の考察、である。
  • 柳原 良江
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 12-21
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    代理出産の是非に対する議論を深める上では、まずは現在の混乱の根元に横たわる倫理的な問いに対峙する必要がある。本稿の目的は、代理出産の展開に対する歴史的経緯と、その認識枠組みに対する変遷をたどり、この問いを明確化することである。他者に依頼して子を産ませる行為は、洋の東西を問わず、複数の文化の中に存在していたが、それらはキリスト教に影響された性規範や、近代的な人権意識によって次第に廃止され、代理出産のニーズは存在しつつも不可視化された状態にあった。1976年以降、米国でノエル・キーンをはじめとする斡旋業者が、この行為を科学の進歩主義や、身体の自律を謳う一部のフェミニズム思想など、近代的な枠組みの中で再提示したことを契機に、この行為に対する要請は再び表面化し、現在では装いを新たにした代理出産が、広く用いられている。こうした歴史的展開から、代理出産の根底にあるのは、他者の身体を利用する行為に対する倫理的問いであると言えよう。
  • 神里 彩子
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 22-32
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    平成22年7月、ヒトiPS細胞を動物の胚盤胞に注入して動物性集合胚を作成する研究に関する届出が文部科学大臣になされた。これを契機に現行の「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」および「特定胚の取扱いに関する指針」に基づく動物性集合胚研究の規制について見直しの必要性が認識され始めている。そこで、本稿では、複雑化しているヒトと動物のキメラに関する概念整理からはじめ、日本における現在の規制とその問題点、および、ヒトと動物のキメラ胚研究の規制のあり方について再議論を行う上での検討課題を考察した。その結果、現在の規制には、キメラ胚の取扱い期間など四つの問題点があることを明らかにした。また、今後の議論はヒトと動物のキメラ胚・キメラ個体の作成について科学的・倫理的・法的・社会的観点から広く検討するべきであること、そして、その検討課題として、ヒトのどのような特性をもつヒトと動物のキメラ胚を作成してよいかなど3点を提示した。
  • 石濱 照子
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 33-42
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    現代日本社会の課題である自殺予防対策に対し、自殺者3万人超は一向に減少せず、また国民の関心も広がっていない。自殺予防対策策定の手がかりである日本の自殺研究は"Medical model"中心であるが、自殺については心理学的、文化的、社会的、経済的観点からの多角的検討が必要であり、人生観や価値観や地域、職場の在り方など統計には現れないさまざまな社会的要因の影響があると考えられる。そこで今後の自殺と自殺予防研究の視座として、"Bio- psycho- social model"による文化・社会的視点からの分析が、自殺予防対策にとって重要である点を明確にする。さらに、意識的な部分と無意識的な部分の不具合を解消する装置であった通過儀礼や祭事などの衰退から、行き先を失った割り切れない情感や不安が自殺増加などの「社会病理現象」を生み出しているのではないかという仮説から、自殺増加抑制における「宗教性」の視点に着目し、日本社会における「宗教性」を再認識することが今、求められている点について検討する。いのちのはかなさや、死とともに生きているということの自覚を取り戻す、あるいは獲得しなおすことにより、「生と死のとらえ方」への歪みを方向付け直し「命の尊厳」を実感する社会を再生することが「自殺」などの現代の社会病理現象抑制に有効であると考えられる。
  • 加藤 太喜子
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 43-51
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    治療の差し控えや中止を決定するに際して、「医学的無益」という概念がとりあげられることがある。しかし「医学的無益」という概念には、定義が困難である、どの程度無益なら無益とみなすかについての線引きが恣意的である、医療資源配分の問題とともに論じられる危険がある、といった問題がある。医学的無益という観点で治療の差し控えや中止を検討する必要がある場合、公正プロセスアプローチと呼ばれる共同での意思決定の試みがあるが、このプロセスを経ることで、患者の同意のない治療の差し控えや中止が必ずしも倫理的に正当化されるとは限らない。「医学的無益」という概念を使って説明せざるを得ない場合には、どの治療がどんな目的に対してどの程度「無益」かについて、丁寧に注意深く明示する必要がある。
  • 服部 健司
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 52-60
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    カズイストリの理念、歴史、方法論を概括したのち、カズイストリに向けられた諸批判を瞥見しながら、臨床倫理学の方法論としてのカズイストリの可能性と制約、そして課題を探る。カズイストリは、高次の原理や倫理学理論の演繹によらずに、こみいった倫理問題をかかえた個々のケースに対して、人間的な経験と生の細部に対する理解と修辞学的推論とによって、健全な道徳的判断を下そうとする実践的方法である。臨床現場における個々のケースに正面から向き合おうとする点は評価すべきであるが、カズイストリによっては、絶対的、普遍的な解決は望めず、せいぜい蓋然的で暫定的な解決にしかたどりつけないという自覚をカズイストが持っていた点はおさえられなければならない。本稿では先行研究において提示された諸批判を点検し、そのうちいくつかは反駁しうることを示す。しかし、典型的ケースを措定しその系列を編み上げて諸ケースから成る幾何学的図絵を描くその過程が不透明で、バイアスや恣意性が入りこまざるをえないとの批判は妥当である。さらに本稿では以下の三点を問題にする。カズイストリの唱道者であるジョンセンは何故、カズイストリの全工程からすれば単に部分的段階でしかないはずの四分割法のみをもってしてあたかも臨床ケースの倫理問題を解くことができるかのような論述を繰り返しているのか。また、そこから判断を導出するはるか以前に四分割表の作成段階つまりケースを読み解釈する上ですでに不可欠な解釈はどこから来るのか。ケースごとの諸事情を重視することの意義を力説する一方で、カズイストリが文脈主義から峻別されるべきであり、それは可能だとジョンセンが言い張るのは何故なのか。
  • 遠藤 紀子
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 61-68
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、ソーシャルワーカーがターミナルケアに関わる時のナラティヴ・アプローチの意義とアドボカシーの可能性について、事例研究によって明らかにすることである。事例研究でとりあげたAさんは、「何の役にも立たなかった」というドミナント・ストーリーに支配されていたが、筆者との対話や関係性の中で、自己の人生を振り返り、他者に役立つことや、喪失した関係性を回復していくオルタナティブ・ストーリーを作り上げていった。このような関係性を構築していくプロセスが、ターミナルケアにおけるナラティヴ・アプローチの意義であるといえる。そして、その人の思いを生活の中で実現していくように環境を整えていくことも、アドボカシーの意味ではないかと考えられる。
  • 遠矢 和希
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 69-75
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    iPS細胞による生殖細胞の作成と利用は、配偶子不全等による不妊患者が血縁のある子を得る可能性につながる。生殖細胞に分化しうる人工細胞は数種あるが、直接的にART利用可能性があるのはiPS細胞である。生殖細胞の作成は議論が必要とする見解がある一方、日本では不妊患者の要求があるという意見がある。文部科学省は2010年5月にiPS細胞から生殖細胞の作成を認める指針を出したが、ヒト胚の作成は禁止した。多くの先進国も同様で、規制には様々な段階がありうる。iPS細胞由来の生殖細胞の研究においては、機能の検証等で受精卵の作成と滅失が避けられず、iPS細胞由来のヒト受精卵は提供受精卵と異なるかという倫理的問題等がある。臨床利用段階では、iPS細胞由来生殖細胞を使った生殖技術利用の拡大などが指摘されている。倫理的問題は決して少なくなく、次世代や社会への影響も鑑み、議論を続けるべきである。
  • 櫻井 浩子
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 85-93
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本稿では、日本の重症新生児の治療方針決定における親の意思決定責任のあり方を考察するために、オランダの「フローニンゲン・プロトコール」を取り上げ、比較検討する。近年、日本を含め諸外国では、重症新生児の治療方針決定のための話し合いのガイドラインが公表されており、新生児の法定代理人である親と医療者に対し「子どもの最善の利益」を考えるよう定めている。治療方針決定に際し、親の同意権と意思決定責任が問題となる。日本のガイドラインでは、治療方針決定への親の参加義務について触れているが、親の同意権および意思決定責任が明示されていない。それ故、子どもの治療方針に対する親の希望、あるいは意思決定責任そのものが曖昧とされている。「子どもの最善の利益」を追求するためには、親に対する治療方針決定の重みと意思決定責任を認識させることが重要である。そのためには、ガイドラインの条項に親の意思決定責任を明記すべきであると考える。
  • 柳井 圭子, 吉田 耕治, シャルマ 直美, 藤川 和男
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 94-102
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    北九州市にある日本生殖補助医療標準化機構の会員クリニックにて、厚生労働省の2003年報告書で禁止されている患者の関係者からの配偶子を用いる姉妹間の卵子授受による生殖補助医療(ART)が、2008年来、不妊患者に実施されている。翌年から当クリニックの施設内倫理委員会(IRB)の委員として務めている我々は、本報告において、当委員会の概略、JISARTの倫理規定、および申請医療の承認に至る審議過程を記載し、当事者たちの卵子提供やARTで生まれた子どもへの事実の告知に関する意見と態度を紹介した後、ART実施の法的規制がない状態がもたらす社会的・法的問題を論議する。この論議を踏まえ、ARTで生まれる子どもを社会的偏見から護るために、ART制度の法整備を早急に行う必要があることを指摘し、法整備に向けての論議において子どもの福祉擁護を最優先することを提案したい。
  • 徳永 純, 西澤 正豊
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 103-110
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    難病支援の理念が問われている。難病患者の増加、公的支援の不足と財源難などに直面し、難病支援制度の見直しが喫緊の課題になっている。論点は端的には「限られた資源を少数に集中的に配分することの是非」という、生命倫理学分野でしばしば議論される資源配分論に集約される。我々は経済効率の視点からこの問題を再考する。まず難病はだれもが共通に抱えるリスクとなった現状を確認する。次に制度の歴史を振り返り、支援が初期からの恩恵性を超えて理解されていないこと、家族介護がいまだに公的支出の調整弁とみなされていることから、このままでは削減圧力にさらされやすく支援の拡充が困難なことを示す。そのうえで、保険の原理から考察すれば、難病支援はリスク対応の側面を持ち、理論的には難病支援の拡充が経済効率を改善させる性格があることを確認する。これらの議論より、経済効率を理由に難病支援は抑制できないことを示し、恩恵性を超えた理念の再構築が必要だと主張する。
  • 高島 響子, 児玉 聡
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 111-118
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    昨今,日本においてMedical Tourism (以下,MT)の実施をめぐる議論が活発化している。MTがすでに広く行われている国々では,国外からの渡航患者に医療を提供することにより受入国の国民に不公平な医療環境が生じるとの懸念がある。本研究は,MTが受入国の医療環境に及ぼす影響について海外の論点を明らかにし,また日本のMTをめぐる動向を示した上で,日本の今後の検討課題を提示することを目的とした。MTが受入国の医療環境に及ばす影響について,外貨獲得を通じた国内医療の整備,国内医療者の量的・質的向上,医療の国際標準化の3つの論点があることが示され,また日本におけるMTをめぐる動向の特徴として,1)受入国として参入しようと政府を中心に準備が進んでいる,2)日本の医療における得意分野の提供を想定している,3)受入れに積極的なのは多くの地方都市であり地域活性が期待されている,が挙げられた。日本がMTの実施を進めるにあたっては,国民の受療機会の保障等に配慮した制度設計,および営利追求主義の加速による医療者-患者関係の変質の可能性が,重要な検討課題であることが明らかとなった。
  • 佐藤 真輔
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 119-126
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    2010年8月、米国連邦地方裁判所は、ヒトES細胞を用いる研究に対する連邦政府の資金拠出がDickey-Wicker修正条項に反するとして、当該研究を仮差し止めにする命令を出した。本論文では、当該命令に至るまでの背景、経過や決定後の状況を概観するとともに、各国規制との比較等を通じ、同修正条項の解釈上の争点となる部分に関し、生命倫理的な観点から考察を行う。
  • 佐藤 真輔
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 127-133
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    2010年12月、米国の「生命倫理問題研究に関する大統領諮問委員会」が「新たな方向性-合成生物学と新規技術の倫理」と称する報告書を公表し、合成生物学に対し、国レベルで(安全面等を含め)総合的に取り組む姿勢を見せている。一方、我が国はこれまで政府レベルでの本格的な検討は行われていない。本論文では、米国の報告書の内容、背景、経緯を概観し、さらに我が国の関連規制等を踏まえつつ、合成生物学に関し、特に安全面、セキュリティ面及び倫理面についての我が国の規制等の対応の必要性についての考察を行う。
  • 皆吉 淳平
    原稿種別: 本文
    2011 年21 巻1 号 p. 134-142
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    日本における「脳死臓器移植」の問題は、社会的な問題として議論されてきた。本稿では、脳死臓器移植と「社会」とのかかわりについて既存の議論を整理するとともに、2009年の「臓器移植法改正」論議において「社会」へとどのように言及されていたのかを検討する。「脳死」をめぐる議論は、「なぜ、脳死状態になったら、死んだといえるのか?」という理由をめぐる議論だと言える。この議論においては、「科学」的根拠、哲学的理論、臨床感覚、ベッドサイドで感じるもの、そして「社会」的理由という複数の理由が用いられてきた。なかでも近年の議論では、「長期脳死」による「科学」的根拠への影響と「社会」的理由への言及が明らかである。2009年の「改正」論議でも、「長期脳死」が広く知られることとなり、「社会」的理由としてWHOの新しい移植指針をめぐる「外圧」に言及されていた。これらはいずれも、患者と「家族」との関係性を重視する1980年代以降の日本の脳死論の特徴を反映したものだった。
  • 原稿種別: 付録等
    2011 年21 巻1 号 p. 143-148
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2011 年21 巻1 号 p. 149-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2011 年21 巻1 号 p. 150-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2011 年21 巻1 号 p. 150-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2011 年21 巻1 号 p. Cover2-
    発行日: 2011/09/25
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
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