生命倫理
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2 巻, 1 号
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  • 原稿種別: 表紙
    1992 年 2 巻 1 号 p. Cover1-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    1992 年 2 巻 1 号 p. 1-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 加藤 一郎
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 3-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 養老 孟司
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 4-9
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    日本歴史において、身体の重みは、江戸期以前と以後とで明確に異なる。身体性重視という点では、鎌倉時代が絵画、彫刻、思想の点で、もっとも注目される。西欧と比較しても当時の身体表現はより正確であった。こうした中世的な身体の優位は江戸期の到来とともに消失する。身体が消えると言ってよい。これはすなわち自然性の排除である。その意味で、江戸期の成立は、脳化社会の成立と規定される。脳化社会とは、情報・管理を強く指向する社会である。これは自然の排除を特徴とする。現代日本人の身体観は、ほとんど江戸期と同じであり、身体に対して「心」が優位である。これが、日本社会における人間規定を大きく左右している。そこから、日本特殊論、外人問題、臓器移植問題、人工妊娠中絶への態度など、いわゆる日本人特有の考え方が生じていると考えられる。
  • 柏木 哲夫
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 10-11
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 加茂 直樹
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 11-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 山折 哲雄
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 12-13
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 星野 一正
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 13-15
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 中山 研一
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 15-16
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 鎌田 武信
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 16-17
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 石川 邦嗣
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 18-26
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    近年癌医療の治療成績は生存率や有効率とともにQuality of Life (QOL)の面からも検討されるようになってきた。癌患者の背景、置かれている状況はさまざまであり、これに応じて適切なQOL尊重の癌医療が実施されなければならない。しかしそれにはQOLとは何か、その評価の方法、癌は慢性疾患であるという発想からそのプロセスに応じたQOLを考慮する医療対応の基本的なあり方とその実際の具体的医学・医療内容、QOLの科学性など解決すべき問題点が多い。ここではこのような観点から癌医療におけるQOLの考え方について概説した。QOLという言葉が癌医療に求めているのは患者個人個人を配慮したindividual therapyの必要性である。癌医療は癌患者に対する全人的な医療行為であり、常に癌患者とともにあることを問い直すべきであろう。これはターミナルケアに限ったことではなく、癌医療のすべての領域でいえることである。
  • 山元 龍三郎
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 27-31
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    温室効果気体増加による地球温暖化の過程を概説し、ヒートアイランドの影響のない海上気温が、実際に最近約90年間に約0.3℃温暖化したことを示す。気候の数値シミュレーションの結果と20世紀の海上気温の実状とを対比して、未解決の問題点を指摘する。最近の地球規模の気候変動の原因の最有力候補は、二酸化炭素など温室効果気体の増加であり、気候に対するエアロゾルや海洋の深層循環の影響を今後取り入れる必要を示した。
  • 兼松 百合子, 横沢 せい子, 内田 雅代, 中村 伸枝
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 32-36
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    昭和58年に調査した小児の看護婦が直面した倫理上のジレンマ40例について分析した。生命倫理上の問題としては、重症奇形児・障害児への医療に関するものが29例あった。看護婦の倫理規定に関しては、「可能な限り高度な看護を提供し実施した看護に責任を持つ」に関連するものが27例あった。患者の状態としては、先天性の疾病・異常に関するもの22例、後天性のもの18例であり、前者は親の考え方により、後者は医師により医療方針の意思決定がなされている傾向が見られた。いずれの場合も、直接ケアに当たっている看護婦の多くが意思決定に参加しておらず、疑問、怒り、悩み、諦めなどの複雑な気持ちを持ちながら、多くの時間をかけてケアに当たっていることがわかった。本調査から、子どもの権利を尊重すること、関係者の意見共有と相互支持および看護婦の役割の明確化が必要であることが強調される。
  • 織田 正廣
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 37-42
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    われわれ日本人は現在まで、ほとんどあらゆる先端医療を旺盛に摂取し、開発もしてきたが、「脳死」の採用については躊躇しているように見える。それは「脳死」を支えている欧米思想の論理とわが国の精神風土のパラダイムがかみ合わないからではないのか。そこでまず、日本の外来文化摂取の歴史的経緯の中に西洋医学を位置づけ、実学・技術、あるいは自然科学として摂取された西洋医学と先端医療との関わりを考える。次いで、わが国に歴史的にも地理的にも普遍的に存在した、村落共同体的な地域社会の中で形成・継承されてきた<ムラ>意識の示す日本人の知の在り方や人間観と、欧米の思想的・宗教的伝統を背景に成立しているとみられる「脳死」の論理との関わり合いを概観してみたい。
  • 小澤 直子
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 43-47
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    日本の腎移植は毎年数を増してはいるが、米国に比べればわずかなものである。またその腎移植の大方が生体腎移植であるのが現状である。今後日本で、死体腎移植をはじめ心臓・肝臓移植を米国並の医療として定着させ本格化させるためには、脳死問題、移植ネットワークの整備、移植費用問題、移植コーディネーターの確立などさまざまな問題を克服しなければならない。移植医療は高額かつ一部の人のみしか助けられないのが現実で、そこでは誰が決め、誰が臓器を得られるかといった選択問題をも含む。またこうした移植医療のあり方が医療全体の中でも問われてこよう。このような問題は必然的に倫理的価値基準を含み、われわれはこうした移植医療を通し、倫理というものを改めて見直さなければならない時期に来ている。
  • 塚本 泰司
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 48-54
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    重症の身体精神障害新生児の選択的非治療の問題は、われわれ外科医にとって最も苦慮する問題の一つである。われわれがこの数年間の間に経験した、脊髄髄膜瘤を主とした患者10名につき、その手術の同意、予後について検討した。10例ともなんらかの手術を受けているが、そのうち5名は4年以内に死亡し、残り5名のうちreasonableな生活を送っている、と考えられるのは2名であった。欧米においてはこのような児の選択的非治療についていくつかの論説があり、司法判断も出ているが、患者の利益に関する両親の代行判断の有効性、生命の質判断による治療の差の正当性につき、見解は分かれている。私としては医療のquality of lifeによる判断は避けがたいものである、と考えるが、(1)障害新生児といえどもかれらの能力の範囲で成長し、予後の予測が必ずしも容易でないこと、(2)本人の意思はまったく分からず、代行判断が不可欠であること、など成人の尊厳死の場合より判断の責任は重く、慎重を期すべきと考える。
  • 甲斐 克則
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 59-64
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    安楽死や尊厳死を論じる場合、その言葉だけが先行して、結論が一人歩きしないよう注意する必要がある。そのためには、それらの概念内容を整理し、両者の共通点と相違点を明確にしたうえで、それぞれの許容性と問題性について考える必要がある。本稿では、患者の自己決定権と患者の意思を考慮しない他者決定との中間領域の中に、妥当な解決策を見出すべく考察を進める。まず、安楽死については、(1)純粋型安楽死、(2)間接的安楽死、(3)積極的安楽死、(4)消極的安楽死、に分類して考察する。とくに(3)では、日本の判例を素材として取り上げる。次に、尊厳死については、(1)患者の治療拒絶意思が明確な場合、(2)それが十分明確でない場合、(3)それが完全に不明確な場合、に分類して、アメリカの判例を参照しながら考察する。このような考察方法を通じて、さまざまな専門分野の人々が議論できる共通の基盤が作られることを期待したい。
  • 金川 琢雄
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 65-69
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    現在、医療行為に関し倫理上の問題がある場合、これを各大学の倫理委員会の審議を経ることが多い。しかし、問題によっては、各々の倫理委員会の結論が一致せず、奇妙な結果となることがある。例えば、いわゆる脳死臨調の答申が公認される前の段階で脳死に関してこれを人の死と認めるかどうか、の問題があり、現在、各大学の倫理委員会に委ねられている。そこで、医学研究などにおいて、倫理上の問題が生じた場合に、統一的なガイドラインを作成するため、各大学の倫理委員会を全国的に組織する必要があると思われる。現在の各大学の倫理委員会の規定を検討すると、倫理上の重要な問題を解決するために適切な構成となっていないことがわかった。各大学の倫理委員会は、全国的に組織された機関の作成した大綱的なガイドラインに従い、自らの施設において、その医療行為をなすことが適当かどうかをその設備・人的構成などについて主体的に、かつ、慎重に審議すべきである。
  • 村上 徳和
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 70-74
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    欧米では末期癌患者に対して、その病名・予後をはっきりと伝えて残された短い生活を有意義なものにしていこうという考え方がほぼ定着しつつある。しかし、日本では末期医療のあり方が問題になりながら、その現状はやはり患者に真実を伝えられないままに、治療が行なわれることが多い。このような現状の理由は、欧米と日本の死生観の違い等が挙げられるが、日本でホスピス等の末期医療を考えた場合に、ただ単に欧米諸国の模倣でなく、日本なりの末期医療のあり方があるのではないであろうか。その点について検討したい。
  • 木田 盈四郎
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 75-79
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    最近の遺伝、遺伝相談の現状を紹介し、生命倫理との関係を論じた。生命倫理の立場では「生存権を持つヒトを人格と呼び、生存権の否定・蹂躙は成り立たない」と考えている。この人格概念には、先天異常疾患の患者を除外する規定はない。一方、最近の生命科学の研究結果をまとめると「異常は正常の変貌であり」「ヒト集団は、先天異常患者を一定の頻度で含んでいる」ことが分かった。わが国では胎児の生命は妊娠22週以後は優生保護法によって守られている。患者の生存権を認める立場から見れば、妊娠21週までの胎児の決定権は「人格」を持つ親にある。したがって親は、羊水検査を含めた胎児情報を知る権利がある。そこで、その権利を守るために社会は、検査設備を整え、親に知らせる義務があると考えた。
  • 中西 睦子
    原稿種別: 本文
    1992 年 2 巻 1 号 p. 80-88
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    すでに大きな社会的論議の的になっている生命倫理的諸問題について、看護職がこれをどのように捉えているかを明らかにするため、アンケート調査を行なった。調査は無記名回答方式で、看護職指導層を対象とし、調査用紙は、1) 脳死、2) 臓器移植、3) がん告知、4) インフォームド・コンセント、5) 患者の人権についての憂慮、6) 回答者自身の体験の6項目で構成した。回答者は合計830名(回収率77.5%)で、その内訳は、看護管理者481名、スタッフ200名、看護教師140名(職位無回答9名)。おもな結果を示すと、脳死を人間の死として認める者と、現時点では認めない者がともに48%であった。後者は、"脳死判定の公正さ信用できぬ" をそのおもな理由としていた。臓器移植の推進に無条件に賛成した者は14%で、条件つき賛成派が77%であった。そのおもな理由とされているもののうち上位3位は、1) 医師の倫理教育の徹底、2) 大学等の倫理委員会が公正に機能すること、3) データをきちんと公開することであった。がん告知に無条件に賛成した者はわずか10%であったが、条件つき賛成が85%みられ、そのうち70%が"患者が自立していること"をおもな条件としていた。また、インフォームド・コンセントの推進については、56%の対象者が賛成していた。このほか、患者の人権についての憂慮、回答者自身の体験についての回答内容を分析し、あわせてその意味するところを考察した。
  • 原稿種別: 付録等
    1992 年 2 巻 1 号 p. 89-91
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1992 年 2 巻 1 号 p. 91-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1992 年 2 巻 1 号 p. 92-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1992 年 2 巻 1 号 p. 92-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    1992 年 2 巻 1 号 p. Cover2-
    発行日: 1992/11/30
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
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