日本においては,内閣総理大臣が政治的リーダーシップを発揮する機会が少なく,そのために内閣全体の求心力が欠け,有効な政治指導がなし得ないと指摘されることが多い。法律家として関心をもつのは,こうした欠陥がかりにあるとして,それがいかなる意味で法制度,特に憲法の規定に由来しているか,という問題である。
明治憲法においては,内閣の連帯性と国務各大臣の単独輔弼主義とが,いずれも他を圧倒することなく綯い交ぜになって運営されたため,事実としての閣内の全員一致が達成されない場合には,しばしば閣内不一致を理由とする内閣総辞職が行われた。また,国務大臣が原則として各省大臣としての地位を併有したため,閣内の割拠性が増幅された。内閣総理大臣に各省大臣に対する指揮監督権を認めようとする試みが繰り返されたが,国務大臣の平等性の原則が障害となって,目立った成果は上げられなかった。
これに対して,日本国憲法においては,閣内の全員一致の原則は,内閣の連帯責任制を根拠として維持されたが,内閣総理大臣には国務大臣の罷免権が与えられたほか,解釈や実例によって,閣内の一致を調達しあるいは擬制する装置が整えられた。また,国務大臣の大部分は依然として各省大臣の地位を併有したが,内閣総理大臣の行政各部に対する指揮監督権が憲法上認められ,しかもこの権限は単独で行使し得ると解釈される余地があるために,内閣総理大臣の閣内統制権は,際だって強化された。
今日では,議院内閣制の枠組みを維持する限り,内閣総理大臣のリーダーシップは,法制度的には,これ以上強化しようのない段階にまで至った。それでもなお,内閣総理大臣の権限を強化しようとしても,問題の解決にはつながらないであろう。むしろ,内閣総理大臣のリーダーシップの欠如自体が,一種の仮象問題にすぎないのではないだろうか。
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