本稿は近代化や都市化という大きな文脈のなかで墓制の変容を捉える試みである。明治初年における神葬祭奨励策は早々に終息し、明治10年代以降、政府の主眼は都市における近代的な墓地整備へと切り替わった。この近代墓制は都市社会の現場でいかに具体化したのか。本研究は近代化の先進地域といえる明治期札幌を事例に、行政資料や新聞記事等に基づき墓制の成立と展開を明らかにする。開拓初期札幌は住民の流動性が高く、墓地は荒れ多くの無縁墓が生み出されていた。政府はこれを問題視し、定住促進のため共葬墓地を建設した。明治中期になり移住民の生活が向上すると、中流以上の人々が衛生的で西洋的な墓地を積極的に受容し、無縁墓の撤去など墓地管理への意識を高め、自らの成功を顕示するために高さ数mにもなる巨大な墓を建てた。こうして、近代化をあるべき姿として受け取った人々が、先祖祭祀の中核としての近代墓制の定着・普及に寄与したと考えられる。
本稿は、朝鮮半島にルーツをもつ人々が中心となって、日本で活動するキリスト教会(韓国系キリスト教会)を対象に、信者のエスニシティの多様化と組織的変容の連関を明らかにすることを目的とする。従来のコリアンの宗教を扱った研究は、コリアンの世代交代や日本人との関係の中で、その宗教の維持や継承、変容を捉えてきた。だが、来日の時期や経緯によって文化的背景が異なる新旧のコリアンの関係性が与える影響は見逃されてきた。調査対象とした教会は、1980年代以降、新旧のコリアンが混在するようになったため、信者の言語・文化的な性質が多様化し、宗教的ニーズの競合から両者のエスニシティが顕在化した。しかし2008年以降、両者がともに日本語で行う宗教的プログラムを必要とすることで一致したため、両者のエスニシティが潜在化した。本事例の考察から、コリアンの宗教は、新旧のコリアンの関係性からも大きな影響を受けうることを指摘する。
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