宗教と社会
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24 巻
選択された号の論文の58件中1~50を表示しています
論文
  • 辻井 敦大
    2018 年 24 巻 p. 1-15
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、寺院における永代供養墓の建立過程と建立の意図を明らかにすることを通して、日本社会における先祖祭祀の変容の一端を考察する試みである。これまでの先行研究では、先祖祭祀の変容を検討する上で家族変動との関連を検討することに注目が集まり、先祖祭祀の一端を担う寺院に注目したものは限られていた。これに対して本稿では、人口流出地域である兵庫県美方郡新温泉町と人口集中地域である東京都区部の寺院の事例研究を行い、永代供養墓の建立過程とその意図を分析した。その結果から、第一に寺院は「家」に限られない血縁を中心とした家族、親族間の「縁」、および寺院を中心とした寺院と檀家の「縁」を重要視しており、それを支えるために永代供養墓を建立していることを明らかにした。そして第二に、寺院が無縁となった死者の「死後の安寧」を保証するという論理は、戦前期に作られた納骨堂と現代的な永代供養墓の間で大きな違いがないことを示した。

  • 武井 謙悟
    2018 年 24 巻 p. 17-31
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    施餓鬼は、報われない死者を弔う仏教儀礼の一つであり、日本では中世より現在まで継続している。本研究は、近代日本における施餓鬼事例を同時代の新聞、仏教系雑誌から検証し、近代仏教儀礼の意義を再検討するものである。具体的には、時系列順に以下の諸相に注目し、多様な展開を紹介する。1. 言論統制に対する反政府運動とも結びついた「新聞供養大施餓鬼」。2. 仏教者の孤児救済事業団体福田会から東京市が運営する養育院へと伝播した施餓鬼。3. メディアにより被害状況が伝わり、全国で実施された2つの震災後の施餓鬼。4. 日清戦争時に従軍僧の演説とともになされ、日露戦争時に怨親平等の論理が適用された戦争時の施餓鬼。5. 場所と対象を拡張した、鉄道と動物に関連する施餓鬼。本稿では中世・近世を通じて豊かな潜在力を保ってきた施餓鬼が、近代においても高い汎用性を発揮しえた諸相を明らかにし、その存在感が衰微に向かう過程にも着目する。

  • 田中 鉄也
    2018 年 24 巻 p. 33-47
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    近年カーストをめぐる議論は浄・不浄やヒエラルキーを問う立場から距離を置き、固有の文化的特徴を備えた集団に実体化するものとして各カーストを問う立場へ移行している。このような「カーストの実体化」に関する議論では、実体化したカーストがいかなる文化的特徴やアイデンティティを備えるようになったのかが問われてきた。しかし各コミュニティの集団概念がいかに実体化してきたのかというプロセスそのものは不問に付されている。そこで本稿は、カルカッタのカースト団体を事例に、地理的・出自的に特殊性を備えた受益者たちを一括りにするような集団概念がいかに立ち現れ、文化的共通性を備えたコミュニティへと実体化していくのか、1913年から1980年までの歴史的変遷を明らかにする。この事例研究を通じてカーストの実体化の名の下に、インド独立以降、断続的に試みられてきたコミュニティの再編成の一旦を明らかにすることができる。

  • 大場 あや
    2018 年 24 巻 p. 49-63
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    契約講は、東北地方に広く分布する生活互助組織である。農山漁村をフィールドに様々な研究分野から成果が蓄積され、そこでは土葬の遂行にとりわけ重要な役割を果たす互助組織だと捉えられてきた。しかし、町場の火葬地域にも契約講は存在する。それは一体なぜなのか。本稿では、町場であり伝統的な火葬地域である山形県最上郡最上町向町の契約講を事例に、農村エリア(土葬地域)と比較することで、その組織原理を明らかにし、契約講結成の経緯と存在意義を考究する。農村エリアにおいて地主制が進行した大正・昭和初期に、町場エリアでは鉄道開設により移住者が急増し、混住化が進んだ。火葬用の藁の入手が困難な非農家住民らは、職業や居住年などを基準に、藁供出を主目的とした契約講を多数結成していたことが明らかとなった。こうした資源的事情と人口移動を背景に組織された任意の連合は、階層構造と密接に連関する形で併存し、当地の葬儀を支えていたのである。

  • 福田 雄
    2018 年 24 巻 p. 65-80
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    本論文は、ヴェーバーの苦難の神義論を、集団と個人間における苦難の意味づけの相克を考察するための理論的手立てとして捉え返す。そのうえで本論文は、災禍といかに向き合うのかという問題を、インドネシア・アチェのスマトラ島沖地震をめぐる記念式典という具体的事例のなかに考察することを試みる。スマトラ島沖地震をめぐるアチェ州主催11周年ツナミ記念式典における最も重要な主題は、神との関係のなかで災禍の意味を理解することにある。記念行事では、災禍を神からの「試練」として受け止め、ツナミの犠牲者を「殉教者」とみなす儀礼や語りが見出された。その救いの教説は、神学的合理性というよりは、むしろアチェの歴史的背景と結びついた日常的文脈に基礎づけられていた。アチェ社会において支配的なこの救いの教説は、これとの対比において周縁化される苦しみの個別的経験を明らかにするための可能性を示唆している。

  • 荒木 亮
    2018 年 24 巻 p. 81-96
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    都市中間層を中心として展開するインドネシアのイスラーム復興では、「イスラーム化」と「(欧米)近代化」とが混ざり合って進行している側面がある。そこで本稿は、今日のインドネシアで流行するウムラを事例に、広くは「宗教の商品化」として論じられる現象について検討する。具体的には、フィールドワーク調査とインタビュー・データに基づき、イスラーム復興の一環と捉えられるウムラを通じた巡礼者増加の背景には、人々の敬虔さや信仰心の深化が挙げられるものの、一方で、個々人の社会的・経済的な威信を担保するという動機がみられることを指摘した。そのうえで本稿では、イスラーム復興が「宗教化」と「世俗化」との混成的な現象であるという視点からウムラの流行現象を捉えるとともに、ウムラをめぐる語りの分析を通じて、今日のイスラームないしはムスリムの信仰の位相をインドネシアの社会・文化的文脈から明らかにした。

  • 君島 彩子
    2018 年 24 巻 p. 97-111
    発行日: 2018/06/09
    公開日: 2020/06/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、長崎市の平和公園に設置された彫像に対する「祈り」について考察するものである。よく知られた《平和祈念像》は、長崎市の重要な観光資源となっている。しかし巨大で異質な造形の彫像は、地域住民から批判的に論じられることが多かった。作者である北村西望は、特定宗教によらない祈りの対象を目指したが、原爆犠牲者のために祈る対象として《平和祈念像》では不十分であった。《平和祈念像》が納骨機能を持たずに完成したため、行政も関わる形で納骨堂が作られ、本尊として《聖観世音》が設置された。《聖観世音》は遺骨との関係もあり、原爆犠牲者の慰霊を祈る対象となった。長く死者の供養を担ってきた仏教によって裏付けされた《聖観世音》は、見慣れた造形であることで、信仰的な意味を理解することが容易である。つまり公共空間である平和公園の「祈り」においても、観音像のような既存の信仰体系の形象が重要であった。

研究ノート
書評とリプライ
テーマセッション
1 宗教組織の「経営」についての民族誌的研究
2 宗教、スピリチュアリティ、消費
3 宗教研究において「実証的研究を行う」とはいかなることか
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