Anthropological Science (Japanese Series)
Online ISSN : 1348-8813
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ISSN-L : 1344-3992
127 巻, 2 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
原著論文
  • 河内 まき子, 中原 瑶子, 近藤 恵, 松浦 秀治
    原稿種別: 原著論文
    2019 年 127 巻 2 号 p. 67-72
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/12/18
    [早期公開] 公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    明治時代以後急速に進んだ短頭化は,1960年代生まれ以後の世代で反短頭化へと転じた。時代変化の逆転が環境要因によるならば,頭部寸法が成人値の80~90%に到達する1歳までの環境要因変化によると考えられる。そのような環境要因の一つである,1980年代半ばから急増した帝王切開が成人時の頭示数に与える効果を検討した。1990~1998年生まれの女子大学生122名を対象に,アンケートにより分娩様式の確認を行い,頭長と頭幅を計測した。このうち双生児2名と早産児1名を除く119名のデータを分析対象とした。自然分娩における頭部吸引の効果を分散分析により調べた。この結果,頭部吸引あり,吸引無し,吸引に関する情報なし,の3群で,頭長,頭幅,頭示数に有意差はなかった。このため,これら3群をプールして自然分娩群とした。自然分娩群(98名)と帝王切開群(21名)の差をt-検定で調べた結果,頭長,頭幅,頭示数のいずれにも分娩様式による差は認められなかった。以上の結果は,出産時の頭部変形の効果は短期的だという従来の知見を支持した。また,帝王切開による出産の増加が頭示数の時代変化の逆転の原因だという仮説は支持されない。

短報
  • 服部 恒明, 廣原 紀恵
    原稿種別: 短  報
    2019 年 127 巻 2 号 p. 73-79
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/12/18
    [早期公開] 公開日: 2019/06/19
    ジャーナル フリー

    戦後日本人の身長が年年増加を続けたことは多くの時代差研究で明らかにされてきた。この伸長化の傾向は1994年から2001年あたりをピークに終了したとされ,高径のプロポーションは今後変わることはないだろうという指摘がされている。本研究は,学校保健統計調査報告書(文部科学省)のデータを用いて,成人値に最も近い17歳の日本人青年における座高と下肢長の変化を戦後から現代までBody Proportion Chart法によって観察した。このチャート法により,身長,座高,下肢長および座高に対する下肢長の比の経年変化を同時に観察した。その結果,現代の青年は身長の増加は止まったが,座高の増加と下肢長の減少が同期してみられることから,高径のプロポーションは今なお変化していることが明らかになった。この経年変化は,対象集団の中で座高が高くなる資質をもった人の割合が増加したことに起因する可能性がある。それをもたらした要因として,対象集団の親世代において,長胴傾向にある女性で出産割合がより高いことなどが推測された。日本の青年の高径比率が依然として変化していることを考慮すると,今後その変化の要因を検証するうえでも,座高の測定は学校保健調査の一環として再開されることが望まれる。

総説
  • 木村 賛
    原稿種別: 総説
    2019 年 127 巻 2 号 p. 81-94
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/12/18
    [早期公開] 公開日: 2019/11/30
    ジャーナル フリー

    中期旧石器遺跡としてのアムッド洞窟は,1960年に東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団(略称西アジア調査団)の先遣隊としてイスラエルにおいて遺跡調査を行っていた渡辺仁東京大学講師によって発見された。鈴木尚東大教授を団長とする調査団は1961年と1964年にこの遺跡の発掘を行い,ネアンデルタール人であるアムッドI号全身骨格を始めとした人骨,それに共伴する多数の中期旧石器および加工石材と獣骨とを発見した。その成果は1970年に単行本として発表されている。アムッド遺跡は,人類進化過程とくに解剖学的現代人の起源と伝播そしてその前段階の旧人との関係を調べるために,まさにその時代とその場所に位置する重要な遺跡である。西アジア調査団の発掘から30年後の1991年から1994年にかけて,イスラエルの調査団がこの遺跡の再発掘を行い14個体の人骨を発見している。その30年前の発掘時には行えなかった,年代測定,遺跡の空間利用,キャッチメントなどの新しい研究が進んでいる。このような再発掘を可能としたのは,西アジア調査団が後世の新しい発想や技術による再発掘のために充分な堆積を残しておいたからである。最初の発掘と30年後のものとのあいだの層序や発掘区画が連続し整合性があるのは,西アジア調査団の発掘基準点と層序解析が厳密に決定・記録されていたからであった。

雑報
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