Geographical review of Japan, Series B
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60 巻 , 1 号
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  • 宮内 崇裕
    1987 年 60 巻 1 号 p. 1-19
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,東北日本弧の非火山性外弧に属する上北平野の第四紀地殻変動を地形学的方法と火山灰編年学的方法によって区分・編年のなされた段丘の変位や基盤の地質構造から明らかにすることである.そして,以下のような結果を得た.
    上北平野の西縁は,第四紀前期における三浦山断層と辰ノロ撓曲の活動によって奥羽脊梁山脈や三戸丘陵から分化した.辰ノロ撓曲の運動は鮮新世より第四紀を通じて継続してきた.この構造線は平野周辺の地域を上北ブロックと奥羽-三戸ブロックの2つのブロックに分けているようにみえる.平野北部では東西の軸をもつ褶曲運動が,平野南部では北方への傾動運動がみられる.北方への傾動運動は北上山地の曲隆を示唆する.ほぼ南北にのびる活構造は,第四紀の東北日本に卓越する東西水平圧縮の広域応力場のもとでの地殻短縮を示しているが,東西方向に軸をもつ地殻変動は同じ応力場では起こりにくい.
    平野全体の隆起運動は少なくとも第四紀後期には継続している.段丘の変位が褶曲運動や傾動運動に伴うものであるとすると,上北ブロックは最近12万年間には0.1~0.2mm/年の速度で広域に隆起してきたことになる.
    奥羽-三戸ブロックの広域隆起速度は,辰ノロ撓曲の活動を加えることによって0.3~0.41mm/年と推定される.上北平野のこのような広域隆起は,日本海溝から平野の沖合にかけて発生した大地震に伴う地殻変形,あるいは東北日本弧の長波長の地殻変動によるものと考えられる.
  • 梅原 弘光
    1987 年 60 巻 1 号 p. 20-40
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    1970年代のフィリピンでは,それまで停滞といわれていた稲作農業が,「緑の革命」と呼ばれた技術革新の影響で,非常に大きな変化を経験した.本稿では,それがどのような性格のものであったか,その変化のパターンはどうか,その地理学的意味は何か,を考察する.そのための接近方法として,ここでは革新技術の基本構成要素と考えられる種子,投入財,それに融資の三要素に注目し,それがもたらした変化を検討する.
    その結果明らかとなったのは,フィリピンでは稲作における種子生産の専門化が大いに進んでいること,農業投入財ならびに機械力への依存がますます高まったこと,資金需要の増大にたいする農業融資の著しい拡大,などである.
    ここで注目しなければならないのは,投入財需要が急速に増大したにも拘わらず,それが,よくいわれるように,国内の農業関連産業を大きく刺激することはなかった点であろう.むしろ,投入財はもっぱら外国資本もしくは海外からの輸入に大きく依存した.その結果,国内では商業部門だけが特に盛んとなった.「商業エリート」の台頭は,まさしくこうした事態を反映するものである.
    もう一つ重要なのは,稲作技術革新の普及が,結局,先進工業国による開発途上国の市場的統合に向かっている点であろう.特に興味深いのは,技術普及のための小農融資額が,米不足時代に近隣諸国から輸入した米の支払い代金の額にほぼ等しい点である.従来,フィリピンは食糧をタイやビルマなど域内諸国に大きく依存していた.技術革新の導入により米の自給を達成したものの,今度は投入財を先進工業国からの輸入に大きく依存することになった.政府の積極的な小農融資拡大は,フィリピンの対外市場関係のこの転換をもたらすものであった.
  • 田林 明
    1987 年 60 巻 1 号 p. 41-65
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    この報告では,日本の灌概システムを用水源に基づき類型化し,それぞれの類型の実態と分布状態を説明した.さらに灌漑システムの特徴を明らかにするために,その形成過程を検討した.
    日本の灌漑システムは,(1) 河川, (2) 溜池, (3) 湖沼, (4) 地下水, (5) 溪流,そして (6) その他の灌漑システムに分類することができる.そのうち最も重要なものは河川灌漑システムであり,溜池灌漑システムはそれに次いでいる.日本列島の大半では河川灌漑システムが卓越しているが,特に東日本においてその傾向が強い.また,瀬戸内地方や近畿地方を中心にして溜池灌漑システムが優勢な地域が広がっている.さらに,より局地的であるが,関東平野では多様な灌漑システムが併存し,本州中部や四国,九州の山間部では溪流灌概システムが多くみられる。これらの地域差は1つには,降水量や地形などの自然条件の差異と対応するが,より本質的には社会的・経済的・文化的諸条件に規制されながら歴史的過程を経て形成されたものと考えることができよう.そこで日本の灌漑システムの形成過程を検討すると,弥生時代には天水や溪流を利用した個別的水利用がまず始まり,これが小河川の利用に進んだ.古墳時代になるとさらに溜池や中小河川利用が盛んになった.大河川の上中流を利用し扇状地性平野の開発が進んだのは江戸時代前半であり,江戸中期から大河川下流の三角州性平野の開発がすすんだ.明治期以降は灌漑システムの改善の時期であり,新しい施設や技術が導入された.
    西日本においては古代の条里制遺構や中世の荘園制のもとで整備された小用水路が最近まで広く利用されており,現在の灌漑システムの基礎が古い時代に確立されていたと考えることができる.他方,戦国時代から江戸時代にかけての大河川を利用した用水創設と新田開発は,東日本で著しい水田増加をもたらした。河川灌漑に基礎をおく日本の灌漑システムの基本的性格は,この時期に成立したといえよう。ことに,樹枝状に分岐する水路系統を基盤として形成されている階層的・重層的配水システムとそれに対応する組織体系は日本の灌漑システムの特徴であるが,江戸期に確立し今日に至っているといえよう.
  • 斎藤 功, 矢ヶ崎 典隆
    1987 年 60 巻 1 号 p. 66-82
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    ブラジル北東部は伝統的に海岸部のサトウキビ地帯,内陸部のセルトン(半乾燥地域の粗放的牧畜地帯)および両者の漸移地帯のアグレステに区分されてきた.しかし,その区分の指標は必ずしも明確ではない.
    本稿ではパライバ州の海岸部カーボブランコから内陸部のパトスまで,ほぼ東西に10km(海岸部は5km)ごとに1km2の調査地点35カ所を選定し,土地利用調査を実施した。つまり,1km2内の栽培作物,果樹,牧場の形態等を記載する集約的調査と地形,牧柵,残象作物等の景観観察を併用することによって,東西270kmにわたる土地利用の地帯的変化を明らかにすることを目的とした.
    その結果,海岸部はジョアンペソアの都市化地区,タブレイロスのサトウキビ栽培地区,パッチ状タブレイロスの根茎作物栽培地区の3地区に区分された.また,アグレステは地形性凹地・トウモロコシ・フェジョン・綿花栽培・パークランド型牧場地区,地形性多雨・トウモロコシ・フェジョン・サバナ型牧場地区,密生有刺潅木林牧場地区に区分された。さらに,粗放的牧畜によって特色づけられるセルトンは,疎生有刺潅木林のボルボレマ高地区とパトス盆地地区に区分された.したがって,全体的にみるとパライバ州の農業的土地利用は,景観的にも8つの農業地区から成立していることが明らかになった.
    以上の結果は家畜飼養と栽培作物のムニシピオ別統計分析および道路脇の小商品農産物の直売店の観察からも裏付けられた.
  • 溝口 常俊
    1987 年 60 巻 1 号 p. 83-102
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    現在のバングラディシュの商品流通において,定期市とならんで重要な役割を果たしているのが行商人である.本稿は,従来ほとんど顧みられることのなかった行商人に焦点をあて,その空間的,時間的行動を明らかにすることを目的としている.種々雑多な行商人の中でも,最もポピュラーなアルミニウム食器の行商人を選び,行商先の村,販売額,掛売額等を聴き取った.
    アルミニウム食器の生産・流通経路は,まず諸外国から輸入されたアルミインゴットが,チッタゴンからダッカへと運搬され,工場で各種の食器が生産される.それが卸売店を経てマーケットタウンの小売店および全国に散らばる行商人販売網を通して消費者にわたる.
    ミルザプール(ダッカ北西70kmの町)に拠点を構える行商人の行動様式をみると,年間のスケジュールでは,乾期に出稼ぎ地で行商をし,雨期は自村で漁業をおこなう.行商活動は9人のグループを組み共同生活をしながらおこなわれる。食料,生活必需品は共同購入するが,行商であげた利益は各自の財産となる.販売圏は根拠地からおよそ6km圏内で,それぞれ天秤棒を担いで売り歩く.各自得意先の村と顧客を持っており,一週間のスケジュールとしては金曜日(ムスリムの休日)に休みをとる傾向がみられる.仕入れはダッカおよび近隣の町カリヤクールの卸売店でおこない,グループの1人が交代で月に1~2回でかける.
    各自200人前後の顧客を持っており,彼等に対して,中古品を回収するとともに,掛売をしている.この販売方法が買手にとって都合がいいばかりでなく,売手にとっても結果的には高収益をもたらすことになっている.
    さて,ムスリムが多数を占める社会ゆえかムスリムの女性はもちろん,ヒンドゥーの女性すらめったに外出しない.高密度に分布している定期市への買物も男性がおこなう.それゆえ,戸別訪問してくれる行商人が彼女たちに強く求められるのである.事実,筆者がある1日,行商人につきそって取材した時,女性がいききと品定いめに現われた.また,行商人の「未収金帳簿」の顧客リストに少なからず女性の名前が連ねられていた.サリー,腕輪などもその多くをほとんど行商人から入手している.
    今後の課題として,アルミ食器以外の多種多様の行商人の行動様式を,本稿で試みた空間的および時間的行動調査を通して分析し,明らかにしていきたい.
  • 佐藤 都喜子
    1987 年 60 巻 1 号 p. 103-115
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    医学地理学にはいくつかの分野があるが,本研究は,地域医療に関する地理学的研究である.
    ここでは,ハワイ州オアフ島住民のさまざまな医療行動のなかで,入院患者(Hawaii Medical Service AssociationおよびMedicaidの加入者)がどのように特定病院を選択しているかということを明らかにしようとした.そのために,患者とその主治医の結びつきが明確にされているデータを用い,主として計量的手法による分析をおこなった.その結果,入院患者が病院を選択する基準は,従来言われてきた医療機関までの時間距離より,むしろ病気の特性と医師のエスニシティ(民族集団への所属)が重要な要因であることがわかった。この事実をアメリカ医療制度をふまえて検討すると,病院選択に際して,患者よりむしろ医師が決定権をにぎっている傾向がみられることになる。特定の病院への選好が強い医師の判断が住民の一連の入院施設の選択行動において重要な意味を持つのである。従って,今後の研究課題として,患者と医師の種々の関係を具体的な事例に基いて分析することにより,医師の役割の特性をより明確にすることができるであろう。
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