東洋音楽研究
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1965 巻, 18 号
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • 大場 磐雄, 吉川 英史, 小泉 文夫, 新間 進一, 田辺 尚雄, 西山 松之助, 三隅 治雄, 岸辺 成雄
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 5-66,en3
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    一、この座談会では、古代音楽の古代の定義は、最も広くとってある。日本音楽史を、古代・中世・近代・現代に分けて、古代には中世以前のすべてを入れるから、原始時代も含まれる。古代と中世の境は、諸鋭を最大公約数的にとり入れて、平安朝半ばにおける古代的なものの終末までと解釈する。
    二、史実上に関する発書の一部は、座談会のあとで、出席者各員の間で筆記原稿を回覧した時に、改めたところがある。けだし歴史の座談会では理論的議論は別として、その場で発言しうる史実の詳細さと正確さには限界があるからである。
    三、四時間にわたる座談会の発言の一部は、原稿に移すとき、あるいは回覧の途中で、短縮したり省略したりしてある。しかし座談会での発言の趣旨とやりとりと雰囲気はできるだけ忠実に再現するようにした。
  • 林 謙三
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 67-102,en4
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 増本 喜久子
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 103-156,en6
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 石田 百合子
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 157-175
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    源氏物語には、舞楽、管絃などを扱った場面が非常に多い。現存する当時の物語と比較してみても、その量は断然他をひきはなしている。宇津保物語は、職を物語の一つの主題としているくらいなので、当然音楽に関する場面は多いが、琴 (きん) 以外はあまり詳しくなく、その描き方も、仲忠や涼が琴 (きん) を弾くと、急に雪が降ったり、天人が下りて来て舞ったり、非常に誇張して書かれていて、とれをそのまま当時の演奏の実際とみるわけにはいかない。源氏物語の三分の二近くの長さをもつ栄花物語などは、あれだけ宮中生活を細かにうつしながら、音楽の記事はきわめて少く、作者が、ほとんど音楽というものに興味を持っていなかったとしか思われない。源氏の作者が、音楽にかなり興味を持っていたらしいことは、紫式部日記などからもうかがえることであるし、音楽関係以外のことの描き方などから推して、その記述は、まず、描こうとした時代のものを正確にうつしているとみてよいと思う。ここで、描こうとした時代、といったように、物語に描かれているのは、作者が、作品を書いた時代ではない。このことに関しては、山田孝雄博士が「源氏物語之音楽」で詳しく論じていられるが、作者は、一時代前の、延喜天暦期 (九〇一. 九五六) の音楽を描いているのである。作品の出来た一条天皇 (九八六. 一〇一一) の御代と、延喜天暦期とは、四、五十年ほどの隔りではあるが、楽器の種類などにもかなりの変化があるようである。作者は、儀式、制度、その他種々な点で、しばしば、延喜天暦期にはあって、一条天皇の頃にはなくなっているものを描く。それによって、読者に、一時代前の世界を想い浮べさせようとするのである。平安時代のことに関して、極めてわずかな知識しか持たない我々は、このせっかくの作者の用意も気がつかずに過ぎてしまうことが多いが、ふとした機会に、偶然そのようなものにぶつかったものだけでもかなりの数になる。丹念に調べれば、まだまだそういう例はあるのであろう。音楽に関する記述のみを調べて、作者のこの方法を明らかにされたのが山田博士の「源氏物語之音楽」である。このように、延喜天暦期の音楽を描いたとすると、前に、宇津保物語について、その描写が写実的でなく、直ちに資料には用いがたいように記したが、これとても、おそらく大部分は、当時の実際の有様を写したのであろうから、当然研究し、源氏のものと合わせ考えなければならないのであろうが、今のところほとんど手がつけられていない。
    さて、この稿の題には「源氏物語の音楽」などと大袈裟なことを記してしまったが、実は、他の目的で、物語中の管絃の遊びを調べているうちに気がついた、ほんの二、三のことを書いてみたに過ぎない。源氏物語は、これらのことを調べるきっかけになっただけのことでしかないようなものである。その上、私は、現在行なわれている、舞楽、管絃、歌謡等に関してはほとんど全くといってよいほど知識がないので、もっぱらこの物語と、その近辺の幾つかの資料によったから、音楽上考えられないような結果を出してしまう危険も十分あり得るのである。
    ここに「管絃の遊び」といったのは源氏物語の中には、舞楽、管絃、歌謡、神楽、東遊等が描かれているが、その中の、管絃および歌謡、しかも、専門の楽人によるものでなく、皇族、貴族達自らが演奏し、歌うものを指す。物語中では、単に「あそび」といい、宮中で行なわれる「殿上の御あそび」、「御前 (ぜん) の御あそび」、「御まへの御あそび」、「うへの御あそび」等と、貴族の邸宅で行われる「あそび」、「御あそび」とがある。この「あそび」の語は、舞楽は含まないのが普通である。
  • 和洋音楽の音階と旋法・各論のうち
    篠田 健三
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 176-206
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    芝祐泰採譜「雅楽第二集催馬楽総譜」 (龍吟社、一九五六年) を用いて以下、催馬楽の旋法を考える。まず歌謡旋律の部分のみを対象として分析したい。
  • 第一集
    水原 渭江
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 207-231
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    殷〓の発堀とそのト辞の放釈が試みられて以来、殷人の物質文化、あるいは、精神文化の一端が窺知されるに至うたが、要するに、段の王朝とは、黒陶を作り、農耕を生業とした一民族であって、盤庚に引率されて、山東の基部の曲阜より河南の安陽に移住し、彩陶の夏民族を征服して建てた所の王朝であるといえる。その殷の王朝の頃に、どのような形式内容の音楽が存在していたかについて、卜辞とか金文資料並びに後時史料等によって、多少の考察を加えたのが、中国古代音楽思想研究の第一集である。
  • 平出 久雄
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 232-234
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    前号「資料」所収、霜田氏所蔵の掛軸の紙背裏打文書にみえる記録は、たしかに寛文三年九月に行なわれた二條城に後水尾帝の行幸をあおぎ、徳川秀忠・ 家光が歓待をつくした記録の断簡には違いない。示された記録以外に二行ほど断片がある由だが、九日の部分だけを収載したと注記されている。
    このときの催馬楽再興の模様の一部分については、雑誌 「楽道」 の拙論で少しくふれておいたので興味深く田辺先生の解説を読んだ。引用されている記録は「 九日」 の個所だけを掲げ、「 雅楽の演奏は九日だけに行なわれている」 とし、また 「 九日には (猿楽 ) 能楽と雅楽とが演奏された」 と、特別な解題をされている。
    しかし、所収の記録をよみ、手近かにある二條城行幸記および続史愚抄と、徳州実紀 (巻七・ 八) だけで調べた結果、霜田氏所蔵の巻子本には若干の錯簡のあることが確然とした。
  • 李 恵求
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 235-242
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    筆者は「韓国に於ける左方楽と右方楽」 (註1) の中で、次のように納曾利に言及した。
    日本の右方舞の一である納曾利 (ナソリ) は (左方舞) 蘭陵王の番舞であり、又その蘭陵王は前記崔致遠の郷楽雑詠五首中「手抱珠鞭役鬼神 (即ち鞭で鬼神を追払う) 大面に相応するため、納曾利も (蘭陵王) と同じく、追儺に使用されたと解せられ、 (従って) その「 ナソリ」は韓国語の「 ナ」 (灘の義) 、「 ソリ」 (歌の義) の音読と考えられる。
    このように考えた筆者が、去る二月、アメリカのU ・C・L ・Aで、偶然、東儀季信氏指導の下に納曾利の舞の稽古が行われたのを見た時、この右方舞についてますます関心を持った。すなわち筆者が見た納曾利はいったい何を表現するか? その舞は何を意味するか? について考えさせられた。以下、この問題について私見を述べたいと思う。
  • 伊藤 隆太, 渥美 かをる, 林 那嘉子, 村松 一弥, 谷本 一之, 井野辺 潔, 西山 松之助, 福田 まつ
    1965 年 1965 巻 18 号 p. 243-252
    発行日: 1965/08/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    箏曲「夏の幽」の分析
    平曲における荻聾検校の整譜
    傅続のについての美学的考察
    敦煙莫高窟に現われた楽讐と音楽
    アイヌの口琴
    義太夫節表現の本質
    小唄百流とその支持者・
    音曲力草の三味線音宮
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