前稿,前々稿ではいくつかのヘレニズム時代の神域について,寸法の簡潔な比例関係,なるべく端数のない完数による寸法を設計の二大要因と考えて,その設計の手法を明らかにした。本稿では,ローマ時代の巨大神殿であるバールベックの大神殿について,同様の分析方法を用いて検討を試みた。具体的には,考えられる設計過程をできるだけ多く設定して,それにしたがって各部の寸法の計算を行った。その中から最も合理的で簡潔かつ実測寸法との誤差の少ないと思われるもの,つまり最も蓋然性の高いと思われるものを以下に述べる。使用した資料はすべて,T・ヴィーガントの発掘報告書による。まず矩形の中庭を構成するコの字型柱廊であるが,約0.295mのローマ尺を考慮に入れて,これの全体幅を計算する。この幅は神域全体の幅でもあり,設計の最も初期に決定されるべき基本寸法であり,簡潔な尺の完数で決定されたと考えられる。そこで壁芯から壁芯までの距離118.6mを400ftと考えると1ftの値が0.2965mとなり,いわゆるローマ尺に匹敵する。したがってこの古代尺を使って各部を計算すると,列柱廊の柱間の設計が100ftを基本モデュールとして行われ,柱間はこれを9等分して決定されたと思われる。東列柱廊の長さは最初全体幅の3/4つまり300ftとして決定されたのが,中央柱間の拡張にともなって,他の柱間も102/3ftと再調整された。神殿本体については,正面の柱間が中央を広くし隅にいくにしたがって微妙に小さくなっている。しかし中庭と同様な方針で解釈すると,神殿も最初の段階では周囲の柱列の芯芯距離150ft×300ftの簡潔な比例と寸法で設計されたと考えられる。正面の柱間はこの寸法から始まって,ヴィトルヴィウスの神殿設計法と同様に柱下部直径と柱間の比を決定し,その比によって決まるモデュールの値を柱の直径とする方法をとっている。そしてそこで決定された基本柱間を隅の柱間とし,他はそれにほんの微妙な長さを加えていってそれぞれの柱間とした。六角形の柱廊については,設計が最も簡単で,しかも合理的なのは,六角形の一辺を半径とする円を描き,その円周をその半径で等分する方法である。この建物は基本的に三つの大きさの違う六角形によって構成されている。これらの六角形のそれぞれの辺の長さは次の段階以後の微調整等から,最終的には初期の計画寸法とは若干の誤差はあるものの,最初は60ft,90ft,120ftという,2:3:4の単純な比をなす寸法として決定された。プロピロンについても,やはり最初の全体幅を240ftとし両側の塔の幅を30ft, 中央の列柱廊の幅を180ftとした。柱間については柱下部直径が記録されていないので,それとの比が検討できないが,先ず中央柱間の拡張分10ft を列柱廊幅から差し引いて,それを柱間数で割り,基本柱間とする。この基本柱間に10ftを足して中央柱間とし,1ftを差し引いて両脇四つずつの柱間とした。以上のような分析結果から,神殿の前庭を形成する柱廊と神殿本体は,最初の基本設計に100ftのモデュールが使われ,また六角形の建物には60ftのモデュールが使われたといえよう。つまりは,最初の基本計画では,かなり単純な寸法でおおまかな設計が行われ,次の段階で各部材間の細かい寸法が調整されて,最終的な設計ができあがることをこの例は示している。建築設計の歴史において,グリッドの使用は,西洋古代ではアルカイック期の紀元前6世紀のシシリーの都市街路網の計画に既にみられ,とくに目新しいわけではない。しかし神域の設計に関して言えば,直交軸による整然とした建物配置をもつ神域はヘレニズム期になってはじめて出現する。バールベックの場合,厳密に神域全部がグリッドによって設計されたとは言えないが,上述のようにあるモデュールが使用されたことは明らかであろう。マグネシアのアルテミス神域などヘレニズムの神域との相似性を考慮すると,バールベックの建築家はそれらの計両手法を参考としたに違いない。ディディマのアポロ神殿から古代の設計図面が発見され(注22参照),古代の設計方法の一端が明らかになり,この分野の研究は益々進んできた。さらに同時代の建築についてその傍証を集め,古代の設計の法則を明らかにすることが今後の課題となろう。
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