本稿の目的は, 計画理論および農村の定義等に関する文献調査によって, 欧米諸国でのコンテックスト (文脈) を反映した (農村) 計画論を紹介することである。
本稿は, 計画論, 農村の定義, そして (農村) 計画論の三つの節から構成されている。欧米諸国において, 合理性 (rationality) に基づいた計画論への批判或いは支持により計画論が発展してきた。合理性に基づく計画論 (合理的計画論) によれば, 計画の対象とすべき問題および課題の選定は主に政治的判断等によるが, その計画策定・実施は効率性を重視した合理性に基づいて策定され, 目的を最大に実現するために限られた資源の効率的な計画策定がプランナーの重要な役割, と考えられている。
しかし, 1960年代以降, 合理的計画およびプランナーの役割についての批判が特に強まった。合理性という名の下で, 合理的計画は, ある地域での多様な社会・経済状況の現実を無視しがちである, との批判にさらされてきた。この批判は, 合理的計画が期待したように計画策定・実施は決して合理性のみで進められるのではなく, 計画策定・実施はその国或いは地域の社会・経済状況の影響を大きく受けるとの考えに基づいている。
また, マルクス派によって, 合理的計画における計画及びプランナーは, 社会的弱者への対応が不十分との批判がなされた。しかし, 資本主義における 「生産」 等の概念のみで社会的弱者を説明するマルクス派に対し, 欧米諸国が抱えている人種, 女性, 都市 (スラム) 等の問題への対応の必要性が高まったこともあり, それだけでは不十分であるとの批判が強まった。つまり, 「階級」 に加えて人種, 女性という多様な社会での計画論のあり方の議論が欧米社会ではより必要とされた。 この結果, 計画策定は, 硬直した計画ではなく多様な社会での関係者との議論を通じてのPlanning through debateがより必要となり, これが欧米諸国での計画論の大きな流れとなった。
従来の農村の持つ豊かな自然およびコミュニティーへの憧憬は, 農村が抱える現実および多様な現象の表面化により崩壊していき, 農村の定義は, 統計的指標による都市と農村の明確な分類からより複雑化していった。また, 空間の定義においても, 社会はその空間でのコンテックスト等を反映している, と考えられ。この結果, 一元的に農村を定義することは意味をなさず, 都市或いは農村の定義をすることよりも, 多様な地域の特性を把握することの重要性, つまり‘locality' が強調された。ある地域 (空間) での, 多様な状況, そしてアクターによって継続的につくられていくさまざまなプロセスを強調した‘1ocality' が, 計画論における重要なキーワードとなった。この変化には, 規則性から一般化された法則が導かれるとするpositivism (実証主義〉からの呪縛を逃れ, rea1ism (現実主義) からの哲学的 (理論的) 支援がある。そして, プロセスとしての‘locality' の重要性が, 計画論における住民参加型計画策定 (Planning through debate) の必要性を導いていった。
ある地域 (空間) での計画策定・実施を把握するのは, 社会状況等を判断したアクター間の相互関係によるプロセスへの理解が不可欠である。しかし, アクターが社会構造を含めた社会状況をどの様に解釈し判断したかは, 当人の無意識な解釈と判断もあって, この分析は社会科学において最も困難な課題である, とされている。この分析のひとつの切り口として, アクターと社会構造の相互関係を日々の空間と時間軸の中での動きに焦点をあてたstructuration theoryをGiddensが理論化しているが, 実務的な分析手法として活用するには, これをさらに発展させていく必要がある。
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