農村計画学会誌
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3 巻, 2 号
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  • 宮沢 鉄蔵
    1984 年 3 巻 2 号 p. 2-5
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    第3回学術研究発表会は, 昭和59年4月6日 ( 金 ) に宇都宮大学工学部大教室において開催された。
    学術研究発表会は, 午前の一般講演と午後のシンポジウムで構成されている。なお, 例年のことではあるが, 学術研究発表会の翌日 ( 4月7日 ) には, 有志の出席による学術交流委員会研究会が開かれている。
    一般講演は, 発表題数が今年は19編になり, 昨年の発表題数の約2倍を示す数にのぼった。発表内容も充実化し, 質疑も活発化している中で, 時間の制約から, 発表, 質疑応答の時間を十分とれなかったのは残念であった。しかし発表題数が増化してきていることは, 学会の発展にとって大変嬉ばしいことである。来年は, 一般講演を2日間にわたり開催する予定である。本年の一般講演の内容については, 本文の要旨を参照されたい。
    シンポジウムの今回のテーマは, “ 「 水と農村計画 」―水計画の評価”である。農村において, 土, 緑とならんで最も重要な資源である水について, その利用方法を共通の場で考えてみようということである。水に関する計画は, 農村計画にとって根幹をなす計画である。水利用の研究については, 現在まで, 農業利水を中心に, どちらかというと機能別に, 或いは専門別に研究されている場合が多かった。農村の整備に関しては, 水利用は, 当然, 種々の機能の総体的評価のもとに計画されるべきであって, 学会では, その手始めとして, 研究各分野での水利用に対する考え方の相互理解と, 問題提起を目的としてシンポジウムを開催した。
    今週は, 水の計画を, 保水, 利水, 排水, 景観に分類し, 森林, 農業利水, 生活環境, 景観造成の各専門分野から主題解説を行い, 総合的視野で, 農業経済, 建築の分野からコメントを行うという企画をたて, シンポジウムの司会を志村博康氏 ( 東大農学部 ) に依頼した。シンポジウムの主題解説, コメント等は, 本文に詳述してある。学術研究発表会当日は, 80人をこす出席者があり, 盛況裏に大会を終了した。
  • その研究方法論の省察
    小泉 正太郎
    1984 年 3 巻 2 号 p. 6-10,70
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    地域の計画にあたっては, それは何よりも, そこに住む人びとのための計画でなければならない, ということは自明の理である。しかし, 実際にはそれ程すんなりと, そのようにいくとは限っていないのではないだろうか。それはこの計画が, 自然発生的なものではないということにある。それは多かれ少かれ人為的なものであり, 技術をともなうものである。更には, これが科学的でなければならないとさえいわれているからでもある。なお, この科学が近代科学によってすすめられるときにおいてである。そして, その対象としてのここに住む人びとは, 人それぞれの生きざまにおいて, 生活しているということからである。
    そこで大事なことは, やはりここに住む人びとが, その日その日に生きているという現実に直面して, その要望のよりどころをにない, よりよい生活がもたらされ, 自我の形成が満たされるように, 配慮されなければならないということである。このようにしてはじめて, 地域計画というものの理念の所在が見出せるということを, 明らかにしておく必要があろう。
    地域計画とは, という科学的な定義づけをする前に, それぞれの地域に, 人びとが住んでいるという現象認識から発足すべきである。それは為政の事情がどうであろうとも, 国家的おもわくがあろうとも, 地域居住の実態を直視して把握されなければならない。ひとときも静止できないのが人間の生命そのものであり, 日常性というのは日々のこの営みのいいである。だから, この営みを重じていくという視点をみつめることなしには, 生活をよりよくしていく術はないのであろう。
    それは恐らくは, 一人ひとりにとっての創造性を志向するということであり, 或は人間形成という言葉におきかえてもよいであろうか, なぜならその人にとって, その瞬時, 瞬時がその所における, かけがえのない生存を意味するからである。それぞれが, 自分としての所在をこの世に問うことによって, ここに生きているとの自覚が得られるからである。これを死と直面しての生としてみるときは, 近年問題にされてきた生命論の課題にも通じ, 人間の価値観にもかかわる命題をもっているともみられよう。生き甲斐とは, ここに得られるのではないだろうか。
    ここではまた, 自分だけの生活というものではなく, 地縁的な人びととのかかわりによってはじめて, 自分のものとしての自己認知が出来るという境地を生み出すものである。そして, それが人びととの間柄とともに, 自然現象とのかかわりにおいてもみなければならないものとなる。人の生活とこれを支える物との間に生じる, 環境としての生態系が問題となるところである。
    このような人間性を内在する生活にとりくむことなしの計画や, ここに理念の基盤をおくことなしのどんなすぐれた思考も, どんな精致をきわめる解析も, とかくその時代の権力や, 風潮等による理由づけによって, 歪をもたらされる恐れなしとしないのである。それほどまでに現実は, 人間を疎外する要因や仕組等に満ちている。また, これを是正すべき学問的把握においてさえも, 近代科学は細分化され, ひたすら専問化の一途を進み, 科学の為の科学としての権威のじよう成を期している。この為に, 人びとに生き方を教えてくれるものとは次第に遠ざかり, 知的な為の知的なものとして, ひとり歩きを可能にするに至っている。ここに計画という行動態においては, 理念の如何が問題となるゆえんである。
    ただ, ここに理念というも, それは観念的にその絶対性をみるのではなく, 具体的な生活実態においての相対的ともみられるものである。そして, つねに変容を内包しているものである。地域計画における理念とは, 正にこのようなもので, 人間の形成過程として, 変容において展開するものとして把握されなければならないであろう。このことは地域計画そのものが, その地域としての実在を環境として, ここに住む人びとの生活に対しての“くわだて”として, 行為的なものであることを示している。これより理念そのものも, 創造性をもつ質的な素因をもつものとみることが出来る。
  • 千賀 裕太郎
    1984 年 3 巻 2 号 p. 11-15,70
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    水・土地等の地域資源の賊存状態およびその利用・管理のあり方をめぐる論議が活発になっている。
    これは, 地域資源の需給逼迫が信行し, かつ従来形式の地域資源管理が地域社会の変ぼうに対応し切れないところに行きついたことによるものと言ってよい。
    とりわけ水資源は, 多くの重要水系で水資源開発限界期をむかえており, またその配分・利用管理の現場では, 水利用主体および水使用方式の多様化, 水質の悪化等水利秩序の変化・混乱に直面している。このような状況は, 地域資源の利用管理に対する新たな需要の発生をも意味し, また地域資源の保全に対する社会的関心の高まりを促している。
    この小論は, 農村計画のベーシックな構成要素である水・土地等地域資源管理のあり方について, 比較論的に史的総括を行い, そのなかからわが国水田農業社会の地域資源管理の特質を抽出し, 当面する問題と今後の対応について分析を加えるものである。
  • その対立と協力の歴史
    熊崎 実
    1984 年 3 巻 2 号 p. 16-23,71
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    昭和48年10月群馬県議会は, 利根川下流の東京都などにむけて 「 再認識を求める決議 」 を行った。その中に次のような文言が見える。 「 永い間, わが県は水源地帯保全のため, 治山, 砂防工事をはじめ, 造林事業の助成等には莫大な財力を費やし, 県民も又, 水源酒養林を維持し, すすんで植林の事業にあたってきた。…… 利根の水利用をあたかも既得権の如く考え, 天の恵みとする ( 下流の ) 姿勢は, 誠に遺憾である。… … 東京都を始めとする下流関係県は, 水源地帯における洪水調節, 治山, 防災ならびに植林事業に対し, 惜しみない支援を与え, … …受益者としての責任を果すべである 」 と。
    群馬県のみならず, 重要な河川の水源地帯において近年これと同じような不満が聞かれるようになった。そのような風潮を受けて昭和50年以降, 「 水源林基金 」 のような形で下流が上流の森林整備に協力する例が増えてきている。本稿では, こうした下流参加の事例を歴史的にあとずけながら, 上下流協力の今日的意味を考えてみたいと思う。
  • 田中 義朗
    1984 年 3 巻 2 号 p. 24-28,71
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    陽当りと水はけ, 清浄で豊富な水は生活の基本的な要件であって, 都市・農村を問わない。古来, 人はこのような要件のかなう土地を求めて住み, 条件の悪い土地に住むことになってしまった人々は, 要件をみたすために様々な工夫をし, 条件を改善して住みついてきた。
    永い歴史をもつ農村の集落は, ひとつひとつがそれぞれの時代の技術水準に応じて, 先人がつくりあげてきた遺産の集積であるといえよう。
    ところが, 近年の都市化・工業化等経済社会の急激な変化は, 農村社会にも及んで, 住民自らの対応できる限度をはるかに越えてしまい, 従来の施設, 旧来の秩序では充分に機能しえなくなったというのが現状である。したがい生活環境の保全にも種々の公的施策を必要とするようになったのである。
    農村計画は, このような現状に対して, 現に問題があればそれを解決し, さらに将来を見通して, より住みよく豊かな農村とするための処方を示しうるものでなければならないであろう。
    水のかかわりは普遍的で, 境界を明確にすることは至難であるが, この稿では与えられたテーマ 「 生活環境からみた水計画 」 に即して, 現にどのような問題が生じているか, その要因は何か, を検討し, 次に生活環境を主に生産環境へも視野を広げながら, どうあるのが望ましいかを展望の上現在から将来にわたる対策を求めることとしたい。
  • 小林 治人
    1984 年 3 巻 2 号 p. 29-32,71
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    ランドスケープ計画・設計とは, この大地に生物学的空間秩序を保全・回復しながら人間生活の場を快適にするために行われる総括的な行為ということができる。したがって, その対象空間は小さな住居から, 都市, 地域, 国土にまで及ぶ場合がある。このことは, 人間が生活を営む上で, 直接的, 間接的にかかわりを持つ環境を保全し, 創造するとともに, 人間の各種の生活行為の中でも, 特に野外レクリェーションの場を確保するための基礎行行為ということができよう。このことをふまえてここでは地域景観と水計画について考える。
  • コメント
    青木 眞則, 平井 秀一
    1984 年 3 巻 2 号 p. 33-38
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
  • 討論会
    1984 年 3 巻 2 号 p. 39-46
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
  • 石田 頼房, 亀山 章, 田畑 貞寿
    1984 年 3 巻 2 号 p. 47-65
    発行日: 1984/09/30
    公開日: 2011/04/13
    ジャーナル フリー
    司会: 農村計画の課題というテーマについて, さっそくシンポジウムを進めさせていただきいと思います。
    初めに学術交流委員長から挨拶と主旨説明を頂き, それから石田先生と亀山先生に話題提供を頂いて, この討論に入りたいと思います。
    北村貞太郎 ( 京都大学 ) : 農村計画の課題というテーマの研究会は, 各分野の方々がそれぞれの考えで農村計画を理解しておられるので, できるだけ共通の場で理解できるよう議論をしてみてはどうかということで, 昨年東京大学で開かせていただきました。その報告は, 農村計画2巻2号で皆様にお届けしました。昨年は, 私が話題提供させていただきまして, 農村とは何か, 農村計画の方法, 内容といったような議論がされましたが, まだ充分な議論までに至らずという状態でした。今年は分野を変えて, 石田先生に, 都市計画, 建築等をやっておられる立場から, 亀山先生に, 緑地・造園関係の立場からどう考えているかを発表していただき, ご討議いただいてはどうかということで今回開催したわけです。来年は農業経済あたりからまとめを含めて, 議論いただこうかということも考えております。
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