塩基配列レベルで種内および近縁種間の変異を調べることは,生物の遺伝的変異の維持機構を理解する上で有効である.特に他のマーカーを用いては検出困難であった個々の遺伝子座における組換えや自然淘汰の効果についての知見が得られる.しかし,現在まで多数の遺伝子座における塩基多型の研究は,植物ではシロイヌナズナやトウモロコシなどに限られている.針葉樹などの木本種は世代時間や交配様式などの生活史がシロイヌナズナやトウモロコシと大きく異なるため塩基多型の比較研究の良い候補であるが,研究例は少ない.スギは,胚乳からハプロイドDNAが抽出できる点・ESTs(Expressed Sequence Tags)の情報が蓄積されている点など技術的に利点が多い.本研究では,スギ(
Cryptomeria japonica)の精英樹48個体と近縁種ヌマスギ(
Taxodium distichum)1個体をサンプルとして, 12遺伝子座について種内・種間変異を調べた(一部の遺伝子座についてはスギ天然林32個体・ヌマスギ16個体のサンプルについても調べた).
スギの塩基多様度(サイレントサイト)は,12遺伝子座の平均で0.00443だった.この値と,突然変異率の推定値から,スギの有効集団サイズ(
N)は約10,000と推定された. この値はシロイヌナズナやトウモロコシなどの他の植物種と比べて小さい. したがって,遺伝的浮動の効果が強いと考えられる.
遺伝子内組換えの1つの指標であるMinimum number of recombination events (
RM)の値は0_から_6だった.この値は自殖性のため遺伝子内組換えが少ないと考えられるシロイヌナズナよりも小さかった.また,遺伝子座内の多型サイト間に強い連鎖不平衡がみられた. これらの結果は,スギでは集団組換え率(4
Nr)の値が小さいことを示唆している(
rは世代当たりの隣接サイト間の組換え率).実際,塩基多様度から推定される有効集団サイズ(
N)は他の植物種よりも小さかった.また,ゲノムサイズと連鎖地図の情報より,組換え率(
r)も低いと考えられる.低い集団組換え率(4
Nr)はスギの遺伝的変異の維持機構の重要な特徴である.
自然淘汰が効果的に働くためには有効集団サイズ(
N)と淘汰係数(
s)の積(
Ns)が1より大きい必要がある. スギでは,有効集団サイズ(
N)が小さいことを考えると,自然淘汰の効果は比較的弱いと考えられる.しかし,複数の遺伝子座で自然淘汰が働いている可能性が示唆された.
Acl5・
HemAの2遺伝子座では,塩基多様度が非常に低かった.この低い塩基多様度は,最近生じた適応的変異の急速な固定によるSelective sweepによると考えられる.また,
Ferr・
Cryj2の2遺伝子座では種間のアミノ酸置換の一部は適応的な置換であることが示唆される.逆に
Lcyb・
NCED遺伝子座のアミノ酸多型の一部は弱有害変異である可能性が示唆される. 以上のことから,自然淘汰もスギの遺伝的変異の維持機構として重要であると考えられる.
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