【要旨】ブローカのtan 症例論文について異なった視点からの考察をこころみた。1861 年報告のtan 症例は大脳局在論をめぐる議論の嚆矢であり、後年の「我々は左脳で語る(1865)」という結論に至ったのは周知のとおりである。著者はtan 症例生存中の記載に注目した。ブローカは、パリ人類学会において脳と言語をめぐる討論に参加していたが、大脳局在論の論者であったオーブルタンの来診を求めて、言語の所見の記述と病巣について臨床推論をおこなった。これらの作業は死亡までの終末期の5 日半になされた。研究には発見と解決の2 側面があるが、発見は気付きであり、準備が必要であることをこの論文は我々に教えてくれる。
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