環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
7 巻
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巻頭エッセイ
特集 環境政策と環境社会学
  • 脇田 健一
    2001 年 7 巻 p. 4
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー
  • 池田 寛二
    2001 年 7 巻 p. 5-23
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    京都議定書を当面の争点とする地球温暖化防止政策をめぐる国際的な議論は今,混迷の様相を深めている。本稿は,環境政策の形成が社会の構造特性によって左右されるという社会学的な視点に立って,地球温暖化防止政策の混迷の原因を解明し,このような局面をのりこえるための戦略とそこにおける環境社会学の課題を探ろうとするものである。混迷の原因の第一は,京都議定書に排出権取引制度を基軸とする市場原理を性急に導入したことにある。第二の原因は,地球温暖化防止政策の形成過程が,その理念とは裏腹に国家間のポリティックス(利害調整)に終始し,真のガバナンスには程遠い実態にある。さらに第三の原因は,京都議定書に暗示されているサブシディアリティの原則が軽視されていることにある。これらの原因には,社会空間のグローバリゼーションと言説空間の錯綜という現代社会の構造特性が深く関与している。それらに由来する温暖化政策形成の混迷を克服するには,サブシディアリティの原則に立ち返って国内政策を最優先させる必要がある。環境社会学は,未だ政策化されていない多様な提案や試みや創意を,社会の諸階層・諸地域から掘り起こし,それらを国際政策(当面は京都議定書)に則って適切にリンクもしくはミックスして有効な国内政策を構想するための指針を提示するとともに,政策形成過程を錯綜させている多様な言説を構築主義の視点から分析することによって,温暖化防止政策を真のガバナンスに近づけることに貢献できる。

  • 樫澤 秀木
    2001 年 7 巻 p. 24-39
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    環境法政策の分野では,直接的実体的法規制と並んで間接的手続的法規制の比重が高まりつつある。本稿は,間接的手続的法規制の場合には社会学からの研究が不可欠となることを述べる。すなわち,もし法規制が間接的手続的側面に限定されるならば,そこで具体的に行われるコミュニケーションの質が問題の焦点となるが,その分析は社会学的手法を用いなければ不可能であるということである。具体的素材としては,まず環境アセスメントと産廃紛争を採りあげ,双方向コミュニケーションの必然性と重要性を述べ,次に企業の環境マネジメント・システムをコミュニケーションの側面から考察する。

  • 柿澤 宏昭
    2001 年 7 巻 p. 40-55
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    今日の環境問題は学際的な取り組みを行うことが必要とされているという前提に立って,環境問題は政策に何を要求しているのか,政策形成と社会科学の関係,社会科学がどのように環境政策に貢献できるかを検討した上で,環境政策と環境社会学の関係について議論を行った。環境問題はますます複雑化するとともに問題の規模を拡大しており,一方でこれを取り巻く社会・経済も複雑化するとともに国際化している。このような状況においては環境問題を総合的に捉え,問題構造を明らかにし,政策形成への架橋を行うことが求められており,社会科学のみならず自然科学も含めた学際的な研究が必要とされている。また,政策の形成・実行に関わっては協働で行うことが重要となり,社会科学者は協働関係構築に向けて市民のエンパワメントに貢献することと,協働のあり方について問題提起を行うことが求められている。ただし,個別的な環境政策によって環境問題を解決できるというのは幻想に過ぎず,社会変革への視座をもちつつ,これにむけた市民主体の問題解決のしくみをつくることが求められている。環境社会学の役割は,問題構造を包括的に把握するという志向性をもって,他の社会科学分野の組織者となるとともに,フィールド重視という特性を生かして協働関係構築を支援することといえよう。

  • 宮内 泰介
    2001 年 7 巻 p. 56-71
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    広義の「環境政策」のかなめは,地域住民がどう地域の環境を保全していくのかという「環境自治のしくみ」を考えることである。この論文では,札幌市の事例を参考にしながら,「環境自治のしくみづくり」のポイントとして,「所有権の相対化」,「担いのしくみの再形成と正統性の組みなおし」,「試行錯誤を保証する調整のしくみ」,という3点を考察する。

    所有権の相対化とは,所有権者への異議申し立てや環境への具体的なかかわりなど,所有以外のさまざまな営みを複合的に行うことである。そのことはつまり,誰が地域の環境へのかかわりや計画・管理を担っていくのかという担いの正統性を組みなおすということである。正統性の組みなおしには,状況によって,「正統性を争う」という方向と「正統性をともに作りなおす」という方向の2つが考えられるが,いずれの場合も,「市民調査」が重要な役割を担う。また「正統性の組みなおし」においては,環境保全を担ってきた/担う意志のある「有志」を尊重するということが原則となるが,その「尊重」の後ろには,「有志」と「人びと」の間の動的な関係がある。

    さらに,人びとと環境とのかかわりは一様でないので,それらを調整する必要がある。その調整のしくみは,その地域の歴史と現状に合わせた多様なものであってよいが,「試行錯誤を保証する」という原則が重要である。

小特集 環境パートナーシップの現状と課題:環境政策の現場から
研究動向
論文
  • 佐藤 仁
    2001 年 7 巻 p. 99-113
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,米国の高等教育機関で環境学の教育制度が直面してきた課題の分析を通じて,そこに映し出されたアメリカ社会の環境問題解決への取り組み方を探ることである。アメリカの大学や大学院における環境学プログラムは,決して発展の一途を辿ってきたわけではなく,予算の制約や流行の衰退などで様々な変化を強いられてきた。そうした中で,現在も生き長らえているプログラムが具体的に,どのような特徴を備えているかを分析することは,これから環境学を活性化させようとする日本にとって有益である。

    本稿では,8つの代表的な環境プログラムを訪問して,プログラムの生存に深く関係していると仮定された次の三つの問いに,それぞれの組織がどのように対応してきたのかを検討した。(1)諸学の融合や交流を促すような具体的なメカニズムには,どのようなものがあり,これまでどう機能してきたか,(2)様々な分野の教官が同居するプログラムにおいて,「コア」となる知識や技能はどのように定義され,学生に教授されてきたか,(3)既存ディシプリンとの緊張関係をどのように克服してきたか。

    大学における環境学の制度化の歴史を学ぶことは,その時々の社会的背景を学ぶことでもある。アメリカで環境学が辿って来た道を検証すると,環境問題の分析と解決に貢献できる英知を学際的に結集するには,学問それ自体の洗練だけでなく,それを制度的に可能にするメカニズムと社会的風土が不可欠であることが理解される。

  • 岩井 雪乃
    2001 年 7 巻 p. 114-128
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    アフリカの自然保護政策は,人間を排除する「原生自然保護」からの転換期を1980年代にむかえ,「開発か保護か」の二元論を脱却する施策として「住民参加型保全」が試みられている。しかしこの政策は,いまだ生態系の保全を重視する傾向が強く,その法規制と住民生活の実態には大きな乖離が見られる。本稿では,セレンゲティ国立公園に隣接して暮らすイコマの生活実践を事例に,この乖離点を明らかにし折衷の方向性を見出すことを試みる。

    イコマは政府によって狩猟が規制される以前から,野生動物を自給だけでなく商業的にも利用してきた人びとである。1970年代に規制が強化されると,パトロールに見つかりにくくかつ彼らにとって効率的な猟法を編み出し,現在では専業化と分業化の傾向を強めながら狩猟を継続している。これらの変化の中で,セレンゲティ地域における人と野生動物の距離は過去に比べると「遠く」なっている。しかし数年に一度「ヌー騒動」を経験するイコマは,野生動物との関係を比較的「近く」保っているといえる。本稿に見るイコマの実践は,「科学的」な研究にもとづいて猟法を規制し,利用可能な動物個体数を制限する政策とはかみ合わないが,その一方で,歴史的に利用してきた野生動物という資源を今後も持続的に利用していくことでは政策との接点が見出せるのである。

  • 渡辺 伸一
    2001 年 7 巻 p. 129-144
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    環境の保護は,社会的に重要な課題である。しかし,環境保護の実際をみると,学術的な重要性や,保護が生み出す受益のために,特定の少数者に過重な負担や受忍を強いる例が散見される。「奈良のシカ」の事例は,こうした問題がみられてきた典型例である。

    奈良のシカは,「奈良公園の風景の中にとけこんで,わが国では数少ないすぐれた動物景観をうみ出している」とされる天然記念物であり,奈良における最も重要な観光資源の一つでもある。が,当地では,このシカによる農業被害(「鹿害」)を巡り,シカを保護する側(国,県,市,春日大社,愛護会)と被害農家との間での対立,紛争が長期化し,1979年には被害農家による提訴という事態にまで至ってしまった。本稿では,まず,鹿害問題の深刻化過程をみた後に,紛争長期化の背景を,「シカが生み出す多様な受益の維持」「保護主体間の責任関係の曖昧性」「受苦圈と受益圈の分離」「各保護主体にとっての保護目的の違い」等に着目しながら検討した。

    鹿害訴訟の提訴と和解(1985年)は,被害農家が長期に亘って強いられてきた状況を大さく改善させる契機となった。しかし,この新しい鹿害対策も,十分には機能してこなかった。そこで,後半では,鹿害対策の現状に検討を加えた上で,依然として問題の未解決状態が続いている理由と問題解決への糸口について考察した。

  • 関 良基
    2001 年 7 巻 p. 145-159
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    フィリピン政府は,商業伐採跡地の林野においてCBFM(コミュニティを基盤とする森林管理)を導入し,コモンズ的な資源管理制度を構築しようとしている。本稿では,地域住民への意識調査を通して,伐採会社撤退後の「伐採フロンティア社会」における林野管理制度の問題点を分析し,今後のあり方を展望した。調査の結果,CBFMによって伐採業者や新規開墾者といった人々の林野利用が排除され,地域内に紛争が生じていることが明らかになった。それは,CFFMが,「弱者生活権」という,コモンズが持つべき機能を有していないためであると考察された。今後,残存二次林では組合管理の択伐を認め,潅木・草地に関しては,弱者が優先的に土地使用権を享受すべき共有地として管理されるべきであると考えられる。

  • 石原 紀彦
    2001 年 7 巻 p. 160-173
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    2005年日本国際博覧会(通称,愛知万博)は,2005年に愛知県瀬戸市南東部の通称「海上の森(かいしょのもり)」を中心として開催が計画されていた。この愛知万博をめぐっては,これまで万博に反対する運動や海上の森の保護を求める運動が展開されてきた。それら運動を行う諸グループの異議申し立ての場のひとつが,海上の森での万博会場建設のために行われた環境アセスメントの手続きであった。このような様々な運動の直接間接の働きかけにより,2000年4月には,万博開催計画は大幅見直しされている。

    本稿では,愛知万博の計画変更のプロセスにおいて環境アセスメントをめぐる運動がどのような意義をもっていたかを,個別の運動の指向性と連携という観点から考察する。以下では,海上の森の万博アセスメントに限定して分析を行う。最初に環境アセスメントの概要とこれまでの議論を示し(1節),これまでの万博における運動の流れを概観した上で,万博において環境アセスメントがどのように位置づけられ,どのような環境アセスメントの手続きがなされたのかを見る(2節)。そして,万博の環境アセスメントに対する運動を行った諸グループの基本的な特徴と運動展開を示し(3節),環境アセスメントにおける運動の意義と限界,そして可能性を事例を通じて整理し,今後の運動の課題を考察する(4節)。

  • 浜本 篤史
    2001 年 7 巻 p. 174-189
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    近年,公共事業について社会的必要性が疑問視され,計画の見直しが相次いでいる。しかし,一定程度すでに進捗している事業の中止は容易でない。とりわけ,事業の予定対象地域住民は,事業によって生活が規定されてきた部分が少なくないために,事業推進側に位置するケースが増加している。こうした構図は,一見したところ,事業対象住民の犠牲者としての側面を捨象する一方,問題構造が複雑化するために事業の見直し自体を困難にさせる要因ともなっている。

    本稿では,岐阜県・徳山ダム計画を事例として,公共事業における立ち退き移転者の生活経験を被害構造論アプローチから解明することを試みた。その結果,過去40年にわたる人間関係のゆがみや故郷喪失感など,精神面の被害は甚大であることが浮き彫りとなった。そして,事業見直し論に際して,立ち退き移転者が計画継続を望む論理とは,重層的な被害経験を経た後の,自己存在を肯定化しようとする作用の結果であることが示された。

  • 升田 尚宏
    2001 年 7 巻 p. 190-206
    発行日: 2001/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    我が国には,公共事業等の計画を進める場合,まず,「審議会」(国家行政組織法第8条に基づき設置されている合議制の機関・行政によって選任された委員で構成される)と呼ばれる会議形式のプロセスがある。

    吉野川可動堰建設においても,審議会による議論が計画のスタートである。一般的に審議会は非公開であり,その審議過程は公開されない。

    こうした中,可動堰建設を検討する審議会では,市民やマスメディアの強い要求によって,途中から段階的に審議の一般市民への傍聴が許された。会議場だけでなく別室における,テレビモニターでの傍聴も可能とするなどの方法で少しずつ関心を持つ市民が増えていった。

    審議会が公開され,建設省の可動堰建設の根拠となるデータを得た市民グループは,独自に専門家を立てて水位計算を行い,審議会の中で発表し議論するに至った。この現象は,これからの審議会とその公開の意義を示した好例といえ,今後の公共事業をめぐる合意形成のモデルになると考えられる。

資料調査報告
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