環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
6 巻
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巻頭エッセイ
特集1 公害問題への視点
  • 舩橋 晴俊, 松村 和則
    2000 年 6 巻 p. 4
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー
  • 飯島 伸子
    2000 年 6 巻 p. 5-22
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    公害問題は,一般的に過去のものとみなされる風潮が生まれて久しい。本稿は,この風潮に対し,公害問題は地域社会においても,国際的規模でもいまだに発生している実態があるとの問題提起をおこなっている。さらに,国際的規模における公害・環境問題と地域規模における公害問題を含めた加害‐被害関係の新たな枠組提示も,各地の調査結果を踏まえておこなった。

  • 丸山 定巳
    2000 年 6 巻 p. 23-38
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    水俣病問題には発生・拡大・補償救済の遅れという重大な3つの責任問題がある。そして,それぞれに原因企業に加え行政や医学それに地域社会などが深く関わってきた。

    原因企業チッソ(株)は,生産至上主義に徹し安全性を無視した経営を行ってきた。唯一の巨大企業として地域社会に君臨し,環境を私物化してそれを長期にわたって破壊し,ついには水俣病被害を発生させてしまった。行政もそうした企業の操業を容認し,環境破壊を未然に防止する規制を講じなかった。地元地域社会には,チッソの企業活動をコントロールする社会的勢力は存在しなかった。

    水俣病の発生が公的に確認された後の初期の調査で,それが魚介類を介していること,そしてその魚介類を有毒化している原因として工場排水が指摘されたにも関わらず,いずれの面でも対策が怠られた。チッソも行政も,有効な排水対策を怠った。地域社会も,チッソの操業を擁護する立場から排水規制の動きを牽制した。加えて,漁獲の法的禁止措置も講じられなかった。その一方で,原因工程の生産規模は拡大されていったために,さらに被害を拡大させてしまった。

    補償救済問題においても,チッソは当初は責任を認めず低額で処理した。公式に責任が確定した後は,チッソに自力補償能力がなくなり,代わって行政が「認定医学」を利用して補償対象者を制限したため,長期にわたり大量の被害者が放置される状態が続いた。

    現在,地元地域社会では,過去を反省して「もやい直し」をキーワードにした地域の再生が目指されているが,「チッソ運命共同体意識」からの解放が鍵となっている考えられる。

  • 畑 明郎
    2000 年 6 巻 p. 39-54
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    イタイイタイ病は日本の公害病認定第一号であり,イタイイタイ病裁判は四大公害裁判の先頭を切って被害住民原告が勝訴した裁判である。その意味では現代日本の公害問題の原点であり,近代日本の鉱害の原点とされる足尾鉱毒事件に匹敵する公害事件と言える。

    本稿は,江戸時代以降の300年以上に及ぶ鉱公害の歴史,イタイイタイ病の原因物質であるカドミウムを排出した三井金属・神岡鉱山の約120年に及ぶ歴史,イタイイタイ病発見後の約40年に及ぶ被害者運動の歴史,イタイイタイ病裁判後の約30年に及ぶ公害防止対策などを,加害と被害の社会過程に焦点を当てて歴史的に概括して,20世紀日本の典型公害の一つであるイタイイタイ病問題の教訓を明らかにする。

    また,イタイイタイ病の公害病認定30周年を記念して,「イタイイタイ病とカドミウム環境汚染対策に関する国際シンポジウム」が1998年に富山市で開催され,カドミウム汚染の世界的な広がりを明らかにしたが,食糧庁による1997〜98年産米の全国調査では,秋田県,新潟県,宮城県などで1ppm以上のカドミウム汚染米が多数発見され,イタイイタイ病は過去の公害病ではなく,カドミウム汚染問題が未解決であることを示す。

  • 川原 一之
    2000 年 6 巻 p. 55-65
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    バングラデシュでは,丘陵地帯を除く国土の大半でチューブウエルの水から飲料水基準を超える砒素が検出されて,国家的な環境問題になっている。1億2千万人の国民のうち3000万-4000万人が危険な井戸水を飲んでいるといわれ,患者の急増することが危惧され,緊急に代替水源を確保することが望まれている。この問題の解決に向けて協力しているNGOが,宮崎県に本部を置くアジア砒素ネットワーク(Asia Arsenic Network,略称AAN)である。

    宮崎県の土呂久鉱山で,硫砒鉄鉱を焙焼して農薬や毒ガスの原料になる亜砒酸を製造し始めたのは1920年のこと。鉱山の周辺で,川魚が死に,蜜蜂が姿を消し,椎茸が発芽せず,稲の育ちが悪くなり,牛がばたばたと倒れるといった異変が起こり始めた。やがて住民の間に,皮膚や目や気管支や肝臓を冒される病気が広がった。しかし,医師はだれ一人として原因について語ろうとせず,この事件は歴史の闇に消されようとしていた。高度成長のあと,日本列島が深刻な環境汚染に襲われて初めて,人々の目が土呂久に向いたのである。

    患者が鉱山会社を相手に民事訴訟を起こすと,土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会という市民組織が裁判闘争を支えた。土呂久訴訟が90年に最高裁で和解したあと,守る会の会員は日本の経験を伝えるために,アジアの砒素汚染地を訪れるようになった。守る会を母体に,アジアの砒素問題の解決に協力する目的で,AANを設立したのは94年のことだった。97年からバングラデシュにパイロット地区を設定し,3年間に20回以上調査団を送り込んで,現地の医師や村人と共同で調査・研究・対策を進めた。その成果を生かすために,2000年4月にダッカ事務所を開設し,新たなプロジェクトに踏み出したところである。

    AANの海外での活動を支えるのは,土呂久の高齢化した患者たちの「私たちと同じ砒素で苦しむ人たちの力になってあげてください」という言葉だ。AANは,同じ苦しみを負わされた者同士の絆を根底に置いて草の根の国際協力を進めている。

  • 長谷川 公一
    2000 年 6 巻 p. 66-82
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    日本では放射性廃棄物は,廃棄物処理法上の廃棄物から除外され,産業廃棄物と別個に扱われ論じられてきたが,両者はともに事業活動から生み出された事業系廃棄物と見るべきである。本稿では放射性廃棄物問題と産業廃棄物問題の同質性と異質性を論じることで問題構造の社会学的特質を考察し,どのような方向に政策転換をはかるべきか,政策目標を検討する。一見異質な両者は,安全性と立地問題をめぐってダウンストリーム問題としての共通の問題構造をもっている。大量生産・大量消費社会は,放射性廃棄物と産業廃棄物を増大させ,そのツケをダウンストリームの周辺部に集中させ,青森県六ヶ所村をはじめとする原子力施設の立地点や,産業廃棄物の最終処分場の立地点において,深刻な地域紛争を招いてきた。放射性廃棄物と産業廃棄物は現代においてもっとも先鋭・広範囲に環境汚染・公害被害・身体被害を引き起こしうるリスクをもっている。産業廃棄物の最終処分場不足,放射性廃棄物の最終処分場の立地点確保の困難,同じく中間貯蔵施設の立地難といった事態が社会問題化しつつある。産業廃棄物のエネルギー資源化をはかることは,デンマークやスウェーデンのバイオガス・バイオマス利用の先進事例のように,二酸化炭素など温暖化ガスの排出抑制と放射性廃棄物の排出抑制にも貢献する。産業廃棄物の発生・排出を抑制し,減量化とリサイクル化・再資源化をはかる循環型社会の建設こそ,全地球的な規模で温暖化問題を改善し,同時に脱原子力社会化をすすめる方途である。

特集2 廃棄物処理の法制化:その意義と社会的影響
研究動向
論文
  • 帯谷 博明
    2000 年 6 巻 p. 148-162
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    近年,植林運動が全国的な高まりを見せているが,その中でも漁業者による運動は,1980年代後半に北海道と宮城県で相次いで始まり,90年代以降,全国規模で急速に拡大している。下流部の漁業者が上流部に植林を行い,流域環境を守ろうとするこの運動は,山から海までを一体のものとして捉える流域管理の思想に裏打ちされたものであり,その表出的な運動スタイルとも相俟って,大きな社会的インパクトを有している。

    本稿では,これらの運動が全国的に興隆するきっかけとなった「森は海の恋人」運動を考察の対象とする。ダム建設計画に対する危機感を背景として,宮城県唐桑町の養殖業者を中心に展開されているこの運動は,「大漁旗を掲げて木を植える」という行為を通して,流域環境保全の必要性を訴え,幅の広い支持層を獲得している。宮城県最北端の「周辺地域」に位置する,少数の漁業者の運動が発展し,ダム計画休止の一つの契機となるに至った背景にはどのような要因があるのか。本稿では,運動主体の資源および戦略,外部主体との関係,フレーミングに着目しながら,時系列的に運動過程を追い,運動がいかに展開し,外部環境との相互作用の中でその性格を変容させていくのかを明らかにする。さらに,本運動がもつ流域保全運動および環境・資源創造運動としての二重の意義を考察する。

  • 牧田 満知子
    2000 年 6 巻 p. 163-177
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    アメリカ先住民族居留地は先進国アメリカの中にありながら,失業・貧困・環境破壊という開発途上国と同様の問題を抱えている。環境レイシズムと評されるこうした格差をいかに是正していくかという問題も,先進諸国に課せられた重要な課題であろう。

    本稿で取り上げるズニ族環境保護プロジェクトは,1992年の世界環境サミットで砂漠化防止の行動計画の一つに選ばれた先住民族主体の環境保護に向けてのとり組みである。その特徴は次の三点に要約される。第一は伝統文化の維持と自然との共生をめざしたプログラムであるという点である。第二は受益・受苦という対立構造ではなく,「修復」という共通課題に向けてのマクロなアメリカ政府とミクロレベルの先住民族との協働プロジェクトとして結成されている点である。第三は環境保護のみならず環境開発に向けても積極的にとり組むことで,元来社会的な力の強弱によって不均衡を生じていた一面をもつ環境開発を,影響を被る側から捉え直し,考え直そうとする視点を提供した点である。本稿は以上の点をふまえ,先住民族自らが居留地の環境問題にとり組んでいく過程を通して,伝統文化の再構築と環境との共生構造を明らかにする試みである。

  • 谷口 吉光, 堀田 恭子, 湯浅 陽一
    2000 年 6 巻 p. 178-191
    発行日: 2000/10/31
    公開日: 2019/03/12
    ジャーナル フリー

    本稿は地域リサイクル・システムにおいて自治会がどのような役割を果たしているかを明らかにしようとする。行政のごみ政策には自治会の協力が不可欠だという現実にもかかわらず,自治会の役割を実証的に検討した研究は非常に少ない。そのため,本稿では調査地を限定し,その自治会の活動を網羅的に調査することを通じて,この課題に答えようとした。ただし,自治会のリサイクル活動が果たしている公共的性格を明らかにするために,行政のリサイクル政策という概念と区別して「地域リサイクル・システム」という鍵概念を使用する。

    調査地にはリサイクルの先進地であり,かつ自治会活動が全域で活発な埼玉県与野市を選んだ。市内の全自治会長への聞き取り調査の結果,自治会は(1)政策決定への参加,(2)住民の監視と注意,(3)住民レベルでのリサイクル・システムの維持管理,(4)新しい問題解決方法の創造など,住民組織として独自の役割を果たしていることが明らかになった。しかし,同時に自治会のリサイクル活動は公共性,正当性,実行力の点で矛盾と限界を抱えていることも指摘した。全国的に自治会の弱体化,空洞化が進むなかで,こうした機能を自治会なしに果たすような新しい地域リサイクル・システムの構築が必要とされている。

研究ノート
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