本稿では,人間の働きかけによってかたちづくられてきた二次的自然のことを,積極的な意味をこめて“農的自然”と呼んでいる。農的自然は,農業,林業,漁業など専門化・制度化された産業の対象であるだけにとどまらず,生活,生業の場として接してきた自然であり,食料,肥料,燃料など,人間が生活に必要なものを引き出してきた自然でもある。
あらゆる国のあらゆる事象が環境や持続可能性という視点から評価されはじめた現在,原生自然だけではなく,この農的自然にも大きな社会的関心が集まるようになっている。そして,農的自然と密接なかかわりをもってきた農山村もまた,生態系や景観の保全,資源の持続的な利用管理,あるいは国土保全などの担い手やそのモデルであることを期待されるようになってきた。
その一方で,日本の農山村,とくに過疎高齢化のすすんだ山間部の農村は,すでに期待されたような意味での「担い手」能力を失いつつあることが懸念されている。このようななかで,我々は,これからどのように山や自然とかかわっていけばよいのだろうか。
本稿ではこの問題について「自然と向き合う姿勢」という点から考察している。そして,目的や機能をもたない自然と対峙するには,土地に蓄積された時間,そして予測したり理解したりできない“自然”を受容するしくみを考えることの重要性を示した。
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