環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
16 巻
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
巻頭エッセイ
特集 「災害」――環境社会学の新しい視角
  • 鬼頭 秀一
    2010 年 16 巻 p. 4-5
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー
  • 浦野 正樹
    2010 年 16 巻 p. 6-18
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    本稿では,人文社会科学の立場から災害研究に関してこれまでどのような問題関心のもとに研究がなされ視野が広げられてきたかをレビューし,現在の段階でどのような研究の視点を重視しようとしているかを紹介しようとする。ここでは,中心的な概念として副題にもあるとおり,「災害の脆弱性」概念をとりあげ,その歴史的な蓄積過程や変動過程に注目するとともに,社会構造や政治経済的な支配構造などとの影響関係を概念枠組に取り込む試みを紹介した。そのうえで,脆弱性の概念では捉えきれない部分を補充・補完する意味で,「復元=回復力」概念を提示しその意義を論じている。

    社会構造と社会的脆弱性との関係に着目する上記の分析枠組は,環境社会学でこれまでとりあげてきた被害構造や環境正義などの問題とも結びつくと同時に,日常的な生活の営みや環境の変化を辿ろうとする点で生活環境主義などとも関心を共有する側面がある。とくに,「復元=回復力」概念は,災害と共存してきた地域の歴史や文化を掘り起こし,生活再建に向けた人びとの活動に注目することで,災害に強い社会を構想しようとする社会的営為にフォーカスを当てようとしている点で,生活環境主義やまちづくり活動へのアプローチと多くの共通点を有する。このような災害と環境の複合的な問題系は,自然と社会の関係の変化についての新しい洞察を含む,包括的でダイナミックな理論構築を要請しているといえよう。

  • 原口 弥生
    2010 年 16 巻 p. 19-32
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    本稿は,2005年夏にアメリカ南部で発生した大規模水害を事例として,環境社会学的アプローチによる災害研究の可能性を探ろうとするものである。Erikson (1991)が指摘したように,産業災害は「汚染」を引き起こし,「自然災害」は物理的「破壊」をもたらし,環境への影響も短期間で修復されるというのが伝統的な自然災害の認識であった。05年8月末のハリケーン・カトリーナ災害は,このような自然災害にかんする伝統的パラダイムの転換を確定的なものにしたと言われる。本稿では,カトリーナ災害で都市の8割が水没した米国南部ニューオリンズを中心として,地域環境史という視点からみた都市の脆弱性の増大を指摘したうえで,近年の災害研究で注目されている「レジリエンス」(復元=回復力)概念の再検討を行う。従来,レジリエンス(resilience)概念は社会的脆弱性と強い結びつきをもって議論され,地域社会内部の組織力,交渉力,外部とのネットワークなど社会関係の構築に焦点をあてて議論されてきた。本稿では,この概念の射程を社会関係から社会と地域環境との関係性まで広げ,賢明な地域環境の管理による「持続可能なハザード緩和」という災害対応の文脈から,このレジリエンス概念の再定義を目指す。

  • 嘉田 由紀子, 中谷 惠剛, 西嶌 照毅, 瀧 健太郎, 中西 宣敬, 前田 晴美
    2010 年 16 巻 p. 33-47
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    滋賀県は,生活者の視点から環境問題をとらえる生活環境主義に立脚した治水政策として,“流域治水”を標榜している。流域治水を政策現場で展開するには,①生活者の経験的実感を総体としてとらえ科学的に定量化すること,②現場主義に基づくボトムアップ型の議論展開により部分最適ではなく全体最適を図る行政判断を導くこと,③既存の政策システムの否定ではなく不足を補完するという立場で新たな施策の必要性を説明すること,という3つのアプローチが必要となることがわかった。

    そのため,滋賀県では地形・気象・水文等の基礎調査や数値解析等を駆使し,生活者が実感できるリスク情報として,個別の“治水施設”の安全性(治水安全度)ではなく,生活の舞台である“流域内の各地点”の安全性(地先の安全度)を全県下で直接計量し,治水に関する政策判断の基礎情報として活用している。

    「地先の安全度」に関する情報を基に新しい治水概念を構築し,実際に政策への導入を図る場合には,住民,自治体など多様な当事者の幅広い合意が必要となる。行政組織にとっては,縦割りの部分最適が組織的責務となっており,担当以外の業務に自発的に手出しすることが難しい。そのため,生活現場の当事者である地域住民からボトムアップ型で議論を展開し,それらを判断材料とすることで,縦割りゆえの意思決定の困難さを克服しようとしている。

    また,新たな政策展開には,新旧両概念のwin-win関係を意識した問題解決が重要であることがわかってきた。そこで,流域治水に係る制度の設計にあたっては,新旧概念間に生じる対立構造のみが強調されすぎて本質的な議論が妨げられないように,既存治水計画を所与の条件とし,それらを補完する選択肢を追加する立場をとりながら政策の実現化を図っている。

    前記のような滋賀県での流域治水に関する一連の取り組みは,試行錯誤の積み重ねの結果であり,公共政策に生活者の経験的実感を取り入れるための貴重な先行事例となりうる。

  • 西城戸 誠
    2010 年 16 巻 p. 48-64
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    水害の潜在的な危険性を内包しながらも,水害に対する意識や備えが希薄な人々が多い現状において,災害文化を育む災害教育の実践は,地域社会におけるレジリエンスを担保するうえで重要である。本稿は,過去の水害の記憶や経験を紡ぎ出し,災害文化を育む災害教育の実践の一例として「三世代交流型水害史調査」を取り上げ,地域社会・学校教育における水害ワークショップの実践とその後の展開について考察した。水害ワークショップは,有意義な実践であると評価されながらも,継続的な活動をしているところは現状では少ない。本稿ではそのいくつかの要因を指摘したうえで,水害ワークショップの実践をより継続的に展開するためには,教育の内実や,教育現場の実態を踏まえたサポート体制や,仕組みを編み出していくことが重要であると指摘した。とくにこれまで教育実践の内容を看過してきた社会学は,教育実践の内容を踏まえた分析と実践に向けた考察をすべきであると結論づけた。

  • 中須 正
    2010 年 16 巻 p. 65-78
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    本稿は環境社会学における自然災害研究の分析視角を提唱し検討するものである。本稿では,その分析視角として,開発・環境・災害の因果サイクルモデルをとりあげ,その分析がどの程度可能であるか,そして有効であるか,検証を試みる。そのためまず,環境社会学においてこれまでどのように自然災害研究が行われてきたのかを述べた後,開発,環境,および災害,の各用語についての本稿の位置づけを示す。つぎに,開発・環境・災害の因果サイクルモデルを使って,1959年の伊勢湾台風災害および2004年のインド洋大津波災害を,一国内のみならず多国間の関係も視野に入れながら分析し,検討する。以上により,つぎの3点,(1)環境社会学は,どのように自然災害を研究できるか,(2)開発・環境・災害の因果サイクルモデルによる事例分析はどの程度有効であるか,(3)環境社会学は,どのように自然災害研究に貢献できるか,について明らかにする。さらに本分析過程を通して,自然災害研究に対して環境社会学が内包している可能性および将来への展望についても論じる。

論文
  • 富田 涼都
    2010 年 16 巻 p. 79-93
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    環境問題の解決には,地域住民,行政,専門家,NGOなどの多様なステイクホルダーが参画し協働する必要があることは数多く指摘されてきた。しかし,こうした協働はそう簡単ではない。環境社会学では,自然環境についての価値づけが多様であることが明らかにされており,それを尊重しつつ,自然科学において明らかにされてきた不確実性をはらむ自然環境の動態に対応する方法については,まだ議論がはじまったばかりである。

    本稿では,そのことを踏まえ佐賀県アザメの瀬で行われている自然再生事業を事例にしながら,「一時的な同意」による,多様な価値づけが行われ不確実性をはらむ自然環境をめぐる協働にむけた合意形成の可能性と課題について考察を行う。

    「一時的な同意」に基づく同床異夢的な協働は,明確な合意形成の内容や時期を設計しにくく,また,いつ矛盾が発生するかわからない緊張関係をつねにはらんでしまうという点で,従来のイメージの政策の実現プロセスとしては位置づけにくい。しかし,多様な価値づけが行われ不確実性をはらむ自然環境に対する協働を考えると,「一時的な同意」を繰り返し,あえて同床異夢を許容していくことは,多様な価値を尊重しながら,自然環境の動態の不確実性にも対応していける可能性をもっており,今後の政策の実現プロセスや,市民参加のあり方を考えていくうえで有益だと考えられる。

  • 三輪 大介
    2010 年 16 巻 p. 94-108
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    近年,自然環境の破壊が危惧されるような乱開発問題の現場で,入会権が地域社会の自然環境を守る手段として機能する,「環境保全機能」が注目を集めている。その一方で,近年の社会経済的な変化に伴い,かつてのような収益行為が行われていない入会は多く存在する。本稿では,入会地が積極的に利用されなくなるという状況が,(1)住民の権利にどのような影響を及ぼすか,(2)権利行使の様態は,どのような利用形態となり,(3)それは環境保全という観点からどのように機能するのか,という点を検討した。

    その結果,(1)入会権の利用目的は入会集団が自ら決定することができ,(2)その利用形態は多様かつ動態的であり,(3)その内容は,直接的な収益行為に限定されないため,非直接的な便益に基づく「保存型利用」のような利用形態も,入会権の権利内容として妥当することが確認できた。したがって,今日の社会経済的変化への1つの対応である「保存型利用」は,乱開発の抑止や生態保全に寄与する環境保全的機能を有しているものと考えられる。

  • 目黒 紀夫
    2010 年 16 巻 p. 109-123
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    本稿では「聞く」という環境社会学に特徴的な手法に加え,利害関係者が直接に対話する場面に着目することで,アフリカの野生動物保全をめぐり地元住民と外部者の間に存在する「対立や紛糾の契機となる争点」と「状況の定義のズレ」の内容を明らかにし,「かかわり」と「担う意志」の観点から地元住民が野生動物保全の「担い手=有志」となりうる可能性を検討する。対話の場では,外部者が隠蔽しようとする獣害の問題を住民が争点化を試みており,そこには「動物観のズレ」と「保全の範囲の認識のズレ」からなる「状況の定義のズレ」が見られた。「コミュニティ主体の保全」のもとで主体性・能動性の発揮を期待する外部者に対して,住民は保全を「担う意志」を示さずにいたが,それは外部者による野生動物保全の「状況の定義」が在来の人間-野生動物間の「かかわり」を否定し,住民が「担う」ことが困難な非在来で近代的な「かかわり」を想定していたからである。野生動物保全は歴史的に外部者によって「定義」されてきたが,住民-外部者間に生じる対立の根本にはその「定義」が抱える権力性の問題がある。「試行錯誤を保証するしくみ」のもとで,既存の「定義」を括弧に入れつつローカルな「かかわり」がもつ可能性と対話の場に潜む恣意性に注意しながら野生動物保全を「再定義」することが必要と思われる。

  • 關野 伸之
    2010 年 16 巻 p. 124-138
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    生物多様性保全ネットワークの構築と地方分権化という2つの大きな流れを受け,西アフリカでは海洋保護区の設置が進められている。人口増加に伴う乱獲による資源の枯渇というグローバルな言説は外部者の介入を正当化し,構造調整プログラムによる民主化の試みは自然資源管理の権限を国家から地方自治体に委譲することを可能にする。

    本稿では,セネガル共和国・バンブーン地域共同体海洋保護区を事例に,所有・利用・管理の社会的背景に着目して資源にかかわる人々のレジティマシーを検討するとともに,グローバルな言説の拠りどころである海洋保護区の目的を検証する。海洋という境界の曖昧な空間においては,必然的に利害関係者は多様化する。地域住民というアクターの内部においても,歴史や自然とのかかわりの濃淡により複数のレジティマシーが生成され競合し,さらに社会システムのもつ曖昧さや水産資源に関する知見・情報の不確実性が利害関係者のレジティマシーを弱めていく。本事例は幅広い利害関係者による資源管理の試みが逆に地域住民の対立を深刻化させていくジレンマを提起する。

  • 定松 淳
    2010 年 16 巻 p. 139-153
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    本稿は,埼玉県所沢市周辺地域におけるダイオキシン問題に対する公害調停運動を,フレーム調整の視角に基づいて分析する。1990年代この地域には無数の産業廃棄物焼却施設が集中していた。施設近隣の住民は運動を開始したが,なかなか広がらなかった。95年に科学者の協力を得て,高濃度のダイオキシンが排出されていることを明らかにしたことから,住民運動は大きく拡大した。つまり「ダイオキシンによる環境汚染」へのフレーム転換が成功したといえる。しかし拡大した住民運動は,「地域への産廃施設の集中」へとフレームの再調整を行い,埼玉県行政との対決姿勢を強めていった。これは,「ダイオキシン」という情報によって問題の存在を知らされた「新住民」たちが,自分たちの問題として主体的に問題を捉え返そうとした過程であった。そこには,ほかでもない自分たちが生活する地域の問題であるという「限定」に基づく強い当事者意識がある。「誰も当事者である」というかたちで今日広がった環境意識を相対化してゆくさい,この「限定」の契機は重要であると考えられる。

  • 保屋野 初子
    2010 年 16 巻 p. 154-168
    発行日: 2010/11/10
    公開日: 2018/11/20
    ジャーナル フリー

    1997年の河川法改正以降,さまざまな河川において,河川管理計画策定のさいに住民参加の場が設定され試行されてきた。近畿地方の淀川水系流域委員会は,専門家と住民が対等な立場で参加し,新たな治水観に基づく河川管理計画策定をめざす画期的な試みであった。しかし国土交通省によって休止され,その成果が計画に生かされないままとなっている。現在,河川法改正の趣旨は停滞し,方向を見失っているように見える。

    本稿では,長野県砥川流域協議会において流域住民が河川計画案を協議し合意に達するまでの過程を分析し,その背景や根底にあるものを,住民の流域へのかかわりを中心に考察した。そのかかわりとは,藩政時代以来の上流域の山での入会による資源採取,山を原因とする下流域での水害・土砂災害という,共通の歴史的経験である。流域の上―下流域は,「恩恵」と「災害リスク」という2つの相反する要素が一体となった関係性,すなわち「恩恵/災害リスク」軸でつながり,人々の「流域意識」生成の根底にこの軸があったことが論証された。住民が協働することで「流域」を外在化した協議会の意義も明らかとなった。この事例に注目することで,地方の中小河川における流域住民主体の「流域管理」の新たなあり方を考えることができよう。

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