環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
20 巻
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巻頭エッセイ
特集 環境社会学のブレイクスルー
  • 池田 寛二
    2014 年 20 巻 p. 4-16
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    今回の特集では,本誌の創刊から20年間の世界と日本の環境と社会の変容の趨勢を踏まえつつ,その中で環境社会学はいかなる方向にブレイクスルーできるのか,あるいはすべきなのか,いずれも示唆に富む4本の論文によって検討している。

    この20年間,地球規模でも国内的にも,環境問題への取組みは急速に進展したように見える。だが実際には,環境はそれほど改善されていない。化石燃料の消費量は今なお増え続け,気候変動は効果的に制御されず,熱帯林はさらに縮小しつつある。中国など新興国を中心に,大気汚染その他の環境問題がますます深刻化している国や地域も少なくない。このような現状にもかかわらず,環境改善のための人間の働きかけは世界的に進展しているという認識を正統化するいくつかの言説が,この20年間の世界を支配してきた。なかでも最も支配的な言説は,グローバル化,サステイナビリティ,そしてレジリエンスの3つである。これらはいずれも,この間の環境研究の課題設定に大きな影響力を及ぼしてきた。だが,環境社会学はこのような言説の支配を無批判に受け容れるのではなく,社会的現実の内側からそれらを相対化することによってこそ,独自のブレイクスルーの方向性を見出すことができるのではないかというのが,ここに収められた4論文に緩やかに共有されている問題意識である。

    井上真は,ますますグローバル化しつつある環境政策に対して,常にローカルな現場の内側で研究してきた環境社会学者にこそ期待できるブレイクスルーの可能性を,「黒子」としての研究者像に見据えようとしている。

    大塚善樹は,近年サステイナビリティに代わって支配的な言説となりつつあるレジリエンスの概念を,自然環境と社会の結節点を主体的に<想起>する人びとの能動性の考察を通して,環境社会学の視点からブレイクスルーしようとしている。

    三浦耕吉郎は,被害論という環境社会学の原点に立ち戻り,これまで展開してきた「構造的差別」論に依拠しながら,福島第一原子力発電所の事故がひき起した「風評被害」に象徴される今日の社会を覆う異様な閉塞状況からのブレイクスルーを試みている。

    福永真弓は,この20年間に世界的に普及したサステイナビリティの概念が,自然や人びとの生そのものを統治する道具として作用していることに警鐘を鳴らしたうえで,環境社会学における正義論の再構築にそのような統治からのブレイクスルーの可能性を見出そうとしている。

  • 井上 真
    2014 年 20 巻 p. 17-36
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿では,地域実践を国家政策や国際条約につなげる実践的政策研究としての環境社会学にどんなことができるのか検討した。まずは,レベルの異なる4つの政策アリーナのうち人々のローカルな生活の場に足場をおきつつ国家に影響を与える「国家の挟み撃ち戦略」を提案した。次に実践・政策過程への関わり方として,表舞台に立つ組織者やファシリテーターとは異なる「黒子」の役割を提案した。

    これらの基本的なスタンスにのっとって実際にどんな研究ができるのか提示するため,新しい国際的メカニズムであるREDD+を取り上げ,地域の実態をより広いレベルの政策アリーナへつなぐことを試みた。そのため,インドネシア共和国東カリマンタン州西クタイ県にて4つの村を対象とし,土地利用に対する住民の選好を明らかにする調査を実施した。その結果,商業的ゴム・プランテーション,伝統的ゴム園,焼畑農業に対する高い選好,果樹園への中程度の選好,籐園およびアブラヤシ農園への低い選好,が明らかになった。その背景要因を検討した結果,REDD+のような国際メカニズムを導入する際には,収益が期待でき,土地収用などの社会的懸念を引き起こさず,人々の多様な生計ニーズを満たすような制度設計が必要であるとの政策的含意を得た。具体的には,国家が権限をもつ林地では企業による森林事業権のなかに住民による非木材森林産物の採取を取り込むこと,地方自治体が権限をもつ非林地では伝統的ゴム園,籐園,果樹園といった二次林に類似した景観をもつ土地利用を炭素事業と関連づけてインセンティブ供与の仕組みを検討すること,などである。

    このような研究成果をそれぞれのレベルでのアリーナに関わるアクターに提供する「黒子」としての役割は,環境社会学のなかで積極的に位置づけられるべき研究者像である。

  • 大塚 善樹
    2014 年 20 巻 p. 37-53
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    レジリエンスの概念には,新自由主義的な専門家本位の理論である,あるいは保守的な機能主義理論である社会-生態システム(SES)理論を母胎にしているという批判がある。元来SES理論は,生態系の均衡を前提とする機能主義への批判として出発し,複数のアトラクタを仮定する変動に関する理論である。ところが,その変動プロセスを一定の運河化された経路に固定化して考える傾向がある。そこで,本稿では,そのような経路の可塑性を主張している生物学のエピジェネティクスの理論,および記憶の曖昧さや主体的な想起に関する社会理論を参考に,SESにおけるレジリエンス概念の再構成を試みる。現在のSES理論に含まれている記憶の概念は,危機に陥った下位システムを再生する際に用いられる上位システムの結合パターンであり,すでに伝達可能なものとして構造化されている。これに対して,まだ構造化されていない曖昧な記憶を下位システムが想起し,上位システムの記憶を書き換える,そのような記憶の可塑性がありえること,そしてそれが柔軟な強さとしてのレジリエンスには,恐らく重要であることを主張する。そのような想起の事例として,八重山地域の津波とマラリアに関する(生)物の記憶について検討する。

  • 三浦 耕吉郎
    2014 年 20 巻 p. 54-76
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    日本の原子力政策の渦中で産声をあげ,東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故以降も,その多義性と曖昧性を武器に「原発の安全神話」や「放射線安全論」を人びとの心のなかに浸透させていく役割を担ってきた「風評被害」という言葉。本稿では,「風評被害」という名づけの行為に着目しつつ,現代日本社会におけるこの語にまつわる複数の異なる用法を批判的に分析し,その政治的社会的効果を明らかにする。第1には,「風評被害」という用語が,①生産者側の被害のみに焦点をあて,消費者側の被害や理性的なリスク回避行動をみえなくさせている点,及び②安全基準をめぐるポリティクスの存在やそのプロセスをみえなくさせている点である。第2には,「放射能より風評被害の方が怖い」という表現に象徴される,健康被害よりも経済的被害を重視する転倒が原子力損害賠償紛争審査会の方針にも見出され,本来の「(原発事故による)直接的な被害」が「風評被害」と名づけられることによって,放射線被曝による健康被害の過小評価や,事故による加害責任の他者への転嫁がなされている点。第3には,「汚染や被害の強調は福島県への差別を助長する」という風評被害による差別への批判が,反対に,甲状腺がんの多発という事実を隠蔽することによって甲状腺がんの患者への差別を引き起こしている,という構造的差別の存在を指摘する。

  • 福永 真弓
    2014 年 20 巻 p. 77-99
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,サステイナビリティという概念に環境社会学がどのように向きあうべきなのか,その概念において何を独自に示すことができるのか,を考えることである。本稿ではそのためにまず,サスティナビリティがたんなる言葉としてではなく,統治を推進する凝集点となりつつある様子を考察し,その環境社会学における意味を探った。サスティナビリティという概念の広がりは,1990年代以降の環境問題の質的変容と絡み合いながら,科学の再編や既存の諸学問のもつ統治の形態,学問自身を変化させてきた。環境社会学では,当事者枠の拡大と価値の多様化などに伴い,ガバナンスへの寄与や実践型プロジェクトへの参画を通じて,より調査地への積極的な介入と関与が広がりつつある。このことは環境社会学において何を意味するのだろうか。その疑問は,サスティナビリティにまつわる統治が新たな分断と排除のゾーニングを行いながら,法や制度,人びとのネットワークや日常的実践を組み替えようとする中で,たんなる統治の道具に転倒されないためには,何が必要なのか,という問いでもある。本稿では,現場主義であることを手掛かりに,環境社会学の中に培われてきた「よりそい」の方法論からこの問いを考える。

論文
  • 佐藤 圭一
    2014 年 20 巻 p. 100-116
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿は,日本の気候変動政策に関わる主要な利益団体への面接式アンケート調査の結果をもとに,第1に,日本の気候変動政策ネットワークの構造を明らかにすること,第2にその政策ネットワークの構造と,日本の気候変動政策の特徴との関連を明らかにするものである。調査結果によれば,日本の気候変動政策ネットワークは,環境省ブロック・経団連ブロックを両極とし,経産省ブロックを綱引きしあう三極構造である。補助金や減税といった政策に関する政策選好に関しては,各ブロック間の違いが見られないため,争点化がなされず,これらがベースとなる政策となる。一方これらの政策だけでは削減が不十分なため,追加的な対策が必要となる。ここでは各ブロックの政策選好の違いは大きく,それぞれの政策選好の違いを反映したかたちで綱引き状況が生じ,最終的に政治的影響力の大きい経団連ブロックの政策選好がより反映されやすい。また三極構造であることは,ブロック間のバランスを働かせ,離脱を防ぐ効果ももっており対策をとらないという選択はされにくい。以上のプロセスの結果,補助金と減税,原子力発電と自主行動計画を中心とした日本の気候変動政策の特徴が生み出される。

  • 野田 岳仁
    2014 年 20 巻 p. 117-132
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,非経済的活動にも力をいれるコミュニティビジネス組織が住民から批判を受けるなかで,どのような非経済的活動に取り組むことで地域社会に受容されていくことになったのかを明らかにすることである。事例地である滋賀県高島市針江集落ではコミュニティビジネスとして観光に取り組んでいる。コミュニティビジネスは経済的利益を追求する事業活動を通じて地域社会に貢献することが期待されている。しかしながら,地域のコモンズである自然資源をコミュニティビジネスに活用する場合には,これまで地域社会が築いてきた地域資源をめぐる社会秩序を乱し,地域の対立を招くようになっている。針江集落においても対立を抱えることになり,その対応としてコミュニティビジネスによる経済的利益が集落に還元されるが,住民が納得することはなかった。そこで人びとは川掃除といった地域資源の管理の担い手をかってでるものの,それも地域の資源利用秩序を乱すものとして否定されてしまう。人びとは反省をして,地域の資源利用秩序を乱さない非経済的活動に取り組むようになっていく。それは生活の充実を目指したありふれた活動であった。しかし,そのことが住民の評価を得られるようになっていった。本稿では,コミュニティビジネス組織が地域の社会秩序を壊さない非経済的活動に取り組むことによって,コミュニティビジネスが住民に納得して受け入れられることを明らかにした。

  • 折戸 えとな
    2014 年 20 巻 p. 133-148
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    公害問題,農薬による環境汚染や健康被害の深刻化,また食品添加物等に関する危機意識の高まりとともに,1960年代から70年代にかけて有機農業は運動として展開した。生産者と消費者が市場流通を介さず直接農産物をやりとりする「提携」は,日本の有機農業運動の特徴とも言われ国外からも注目を集めてきたが,近年では関係者の高齢化や有機農産物をとりまく社会状況の変化を背景にして,すでに停滞傾向にあると指摘されていた。そのような時期に起こったのが,2011年の東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故であった。放射能汚染によってもたらされた農産物の安全性問題により,この「提携」はその意義やあり方についての問い直しを迫られる事態となった。

    本稿では埼玉県比企郡小川町にある霜里農場で行われてきた「お礼制」という「提携」の一事例を取り上げて,生産者と消費者の間に醸成される関係性を考察し,有機濃業における産消提携の本質を問い直す。「お礼制」にはたんなる経営思考で成立する交換の関係性や共生思想だけではなく,農が営まれる自然の理を理解した人々によって取り結ばれた,恵みとリスクをともに分かち合う関係性が存在している。本稿では,その関係性を“もろとも”の関係性と呼び,この関係性に埋め込まれている合理性を「農的合理性」として,近代資本主義的な経済合理性がもつ価値システムや論理と峻別し,その「農的合理性」に従って行動する人々の生存基盤のつながりとしての「提携」を論じる。

  • 平野 悠一郎
    2014 年 20 巻 p. 149-164
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    中国では,林地所有権,林地使用権(請負経営権),林木所有権,および各種事業の賃借権といった権利関係を保有する主体によって,木材生産のみならず,非木質林産物の採取・栽培,土地保全事業,農地・工業用地・宅地への転用,観光リゾート開発等,様々な森林への働きかけが行われつつある。この重層的権利関係に基づく森林利用は,資源利用の効率性,公平性,持続性という複数の評価基準において,深刻な「せめぎ合い」の構図を生み出している。すなわち,現在の中国各地では,各権利を活用した「林地をめぐる様々な主体の価値・便益の最大化」が図られており,この意味において資源利用の効率性が高められている。しかし同時に,それぞれの権利を保有する主体間,特に企業・集団・地方政府と農民世帯において便益分配の不公平が発生し,資源利用の公平性が損なわれる傾向が見られ,その是正が「集団林権制度改革」等を通じて政策的に図られている。一方,それぞれの権利主体の便益追求が,結果として林地の過剰利用を招くことにもなっており,資源利用の持続性が脅かされている。このため,今後,政策的な規制・管理の強化による対策コスト上昇が避けられない趨勢にある。

  • 野澤 淳史
    2014 年 20 巻 p. 165-179
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿は,福島第一原子力発電所事故の影響によるリスクと被害の結びつきを明らかにすることを目的とする。具体的には,福島市で自立生活を送る障害者を対象に,生活環境の変化をリスクと捉え福島に留まらざるをえなかった障害者が直面した介助者不足の深刻化について,福島市にある自立生活センターのスタッフを中心とする聞き取りにもとづいた分析を行うことで,具体的に現れた被害がどのようなことがらであるのかを考察する。

    福島原発事故発生以降,障害者にとってリスクとは,むしろ福島から離れることを意味していた。避難や移住をめぐって制度的な制約を受けやすい重度の障害者であるほどこのリスクは高くなり,福島に留まらざるをえない。そうした状況の中,子どもを守る親のリスク回避行動によって介助者が減少し,かつ震災後の介護労働現場の選好の偏りを受けて新規の介助者が集まらなくなり,不足の問題は深刻化した。障害者が留まらざるをえないという「選択」の結果として介助者不足が深刻化し,自立の機会が奪われていくとすれば,それは被害の具体的な現れとして規定することができるのではないか。

  • 定松 淳
    2014 年 20 巻 p. 180-195
    発行日: 2014/12/10
    公開日: 2018/10/30
    ジャーナル フリー

    本稿は,高レベル放射性廃棄物の処分をめぐって2012年に日本学術会議が原子力委員会に対して行った提言と,それに対する原子力委員会の返答の分析を行った。本稿では,これらを環境社会学における「公共圏の豊富化」の実践の試みとして捉え,両者の不一致の理由を探ることで,「公共圏の豊富化」概念の弱点を明らかにすることを試みた。

    日本学術会議の提案は,できるだけ中立的かつ包括的な,結論が開かれた討議を志向するものであった。しかしカナダの先行事例と比較すると,すでに地層処分を実施するための枠組みをもっている原子力委員会が,結論がオープンな討議に参加することのメリットが少ないことが明らかになった。中立性という普遍的な合理性の志向が,推進側の条件適応的な合理性を説得できていない状況であるということができる。

    このことは,「公共圏/公論形成の場の豊富化」という概念が,民主主義的な理念としての魅力を強く備えたものであるがゆえにかえって,「すでに利害をもった主体を,開かれた討議にいかにして引き込むか」という点の検討,ひいては「討議を,実効性ある政治的決定にいかにつなげるか」という点の検討の手薄さにつながっていることを示唆する。環境社会学者は,この「公共圏概念による政治過程の忘却効果」に留意しながら,研究と実践を進めることが求められる。

国際シンポジウム報告
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