本稿は原発事故により農業を続けることができないにもかかわらず,人びとが事故後もそれ以前と同じ周期(農繁期と農閑期の生活リズム)で,農地へ働きかけ続ける理由とその社会的意義を明らかにする。本稿が対象とした集落の農家は,事故の影響により生産活動をやめ,再開の意志ももてなくなった。他方,生産性の見込めない土地でも荒らさないように手入れを続けている。
注目すべきは,人びとが事故後も農繁期にのみ手入れを行っている点である。事故以前と同じ周期で農地へ働きかける背景に,土地の手入れに関して,集落で暮らし続けるための成員共通の認識枠組みがある。それは周期にみなが沿うことで,集落の人間関係のなかで恥をかかずに,集落の一員として認められるという考え方である。
すなわち,人びとの活動は集落の“当事者になる”ことを意味している。原発事故により場所から単なる空間へと化した集落で,そこの当事者であることを認識し続けることは難しい。しかし,周期に沿って働きかけることは,恥や産廃問題において自らが在住の当事者であることを強く自覚させ,他者に対して相互認知し合うための共通の社会的行為になっていた。つまり,集落住民になる社会的意義が人びとの実践的活動には含まれていることになる。
抄録全体を表示