環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
2 巻
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巻頭エッセイ
特集 環境社会学のフィールド―〈現場〉から学ぶ―
  • 長谷川 公一
    1996 年 2 巻 p. 4
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー
  • 平岡 義和
    1996 年 2 巻 p. 5-20
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    本稿は、アジア地域の環境問題のフィールド調査において得られた知見を一般化するためには、コンテクストとしての世界システムにおける歴史的、空間的な位置を考慮にいれる必要があることを、主としてフィリピン・レイテ工業団地というフィールドでの知見を利用しつつ、論証するものである。

    工業団地の立地は、地域を資本主義世界経済に巻き込み、環境破壊とあいまって、実体的な経済部分を縮小させ、農漁民層を貧困へと追い込む。それは、大衆社会的消費様式の世界的普及という事態によって昂進され、被害住民の職業移動、地域移動を促す。

    次に、工業団地の中核をなす銅精練所の事例からみると、アジアの産業公害において日本企業の関与は間接化しつつある。また、銅の輸出先は、日本から他のアジア諸国へとシフトしており、環境問題の受益‐受苦関係が、先進国と途上国の間だけでなく、途上国間にも広がっていることが読みとれる。

    さらに、世界システムの急速な拡大は、途上国において、種々の環境問題を同時多発的に引き起こすことになった。これに対して、システムの周辺に位置していたことも一因として成立した権威主義的な政治体制が、地方自治、運動を抑圧してきたため、政府、自治体、運動といった解決主体の対処能力の成熟が遅れている。

    このように、現代アジアの環境問題においては、加害構造、被害構造、解決主体、いずれの面においても、コンテクストとしての世界システムによる規定性が存在しており、それを無視した知見の一般化は問題が多いのである。

  • 野田 浩資
    1996 年 2 巻 p. 21-37
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    本稿では、岩手県平泉町の柳之御所遺跡の保存問題を検討することを通じて、〈歴史的環境〉という問題領域の特質と〈歴史的環境〉をめぐる地域の意思決定について検討を加える。従来のような「住民 対 行政」の二項の対立図式ではなく、専門家の役割に注目して「住民/専門家/行政」の三項図式を設定することにより、専門家相互もしくは専門家と住民・行政との間の相互作用過程を浮び上がらせ、〈歴史的環境〉をめぐる問題のダイナミックスをとらえてみたい。

    柳之御所遺跡の保存問題においては、住民団体、歴史学・考古学の専門家団体、地元マスコミという多様な担い手による保存運動が展開された。その過程で、歴史学・考古学の専門家による価値判断が行政によって重視され、一方、歴史学・考古学の専門家は(1)行政内の発掘担当者、(2)保存運動の担い手、(3)遺跡の価値の審判者という3重の役割を果たしていた。また、歴史学・考古学の専門家と地域住民、行政の間にはパースペクティブのずれが存在し、その中でどのように地域の意思決定がなされたかを明らかにする。

  • 吉兼 秀夫
    1996 年 2 巻 p. 38-49
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    環境に対する見えざる手が働かない時代において、人類が長い年月かけて形成してきた環境文化の見直しとその新たな創造についての研究は、環境社会学にとっても重要な分野である。〈環境文化〉とはその地域の人間が学習してきた環境に対する作法といえるものである。

    本稿ではフィールドでの研究を通して確認した環境文化とその重要性を明らかにする。それらは、地形を読み取り自然現象を被害に結びつけない住まい方の工夫、神への崇りに託して災害を回避し、自然と共生する工夫である。限定された空間における最適空間の維持のため、お互いが同一の規範を守ることであり、それを犯すことによって連鎖的に生まれる環境の地獄絵を知ることである。また環境保護の主体性を軽視して外的に環境保護制度を持ち込むことによって外部依存化が進み、内なる環境維持力が逆に衰退してしまうことについてである。

    環境文化が喪失し、衰退するところで環境は破壊されていく。環境に関わる地域の記憶の井戸を掘り、豊かな環境文化を汲み出し、各井戸の水脈を介して環境を護っていくことが今大切である。環境保護活動とは環境文化の忘却に対する記憶の戦いであり、環境文化の喪失によって失われたものの復活ののろしである。

  • 似田貝 香門
    1996 年 2 巻 p. 50-61
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    かつて私は調査にかかわる主体者間の関係(調査者-被調査者)について論じた。昨年からはじめた神戸市での震災に関する調査から、あらためてこの問題の中心テーマであった、調査者-被調査者の「共同行為」について論じる。被災地域ではいかにして生活再生が可能であるか、が緊要なる課題である。この課題への専門的支援は不可欠である。しかし残念ながら社会学は、他の応用科学のように、専門的知識・技術をも持ち合わていない。〈現実科学としての社会学〉は、いかようにあるべきか。被災者の〈絶望〉から〈希望〉への転身という行為は、被災によって自らの存在を否定されている人々が、現在の状況を、〈希望〉が無くなってしまった通過点として考えるのではなく、それとは反対に、あらゆる可能性がそこからはじまるところの「現実的境界」として考えられている。被災者のこうした転身に対し、私たちは何ができるであろう。この被災者の〈希望〉への可能性という「未検証の行為」が、再び〈絶望〉の状況へ引き戻されぬように、「未検証の可能性」のチャンスの瞬間を、観察し記録しつづける行為こそ、社会学者の構えでなかろうか。調査は、単に調査者‐被調査者の関係に留まらない。私たちは被災者の〈希望〉の可能性への行為を反映している現在の〈絶望〉の具体的状況から認識すべきである。テーマは、そこに包摂されている。同時にまた、「未検証の可能性」の行為そのもののなかに包摂されていることを、対話によって発見し、共同で構築していかねばならぬところまできている。

小特集 環境社会学と隣接環境科学
論文
  • 藤村 美穂
    1996 年 2 巻 p. 77-90
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    アメリカでは、エコロジカルな世界観や倫理の重要性が、多くの環境社会学者に認められている。だが、彼らの多くは、既存の社会学の枠組みを保持したまま、社会現象の説明に「自然環境」という新たな変数を追加しようとしたにとどまっていると言わざるをえない(満田,1995)。これにたいして、ダンラップ(Riley E. Dunlap)は、「エコロジカルな制約が人間社会にも社会学のディシプリンにも重要な問題を投げかけている」(Catton and Dunlap,1978:44)ことを指摘し、科学における社会学の位置づけをも再考するように提起するのである。すなわち、環境社会学は、エコロジーの視点をとりいれることによって、「環境」そのものを対象とする新たな枠組みを持たなければならないというのである。

    アメリカでは、このダンラップの主張を否定する環境社会学者はほとんどいないという(Buttel, 1987)。しかしその一方で、環境社会学は、研究対象のとらえかた、すなわち「環境」という対象を社会学に組み込むことがはたして可能なのかどうかという基本的課題を解決することができず、未だに議論が続けられているのである。

    本稿は、「環境」そのものを研究対象にすることによって、アメリカの環境社会学がいかなる問題に直面してきたのかを、ダンラップの記述を主な手がかりに整理・分析する試みである。特に、ダンラップがエコロジーを導入しようとしたときに直面した矛盾に注目することによって、社会学における自然環境の位置づけについて、理論的な水準で再検討してみたい。

  • 田窪 祐子
    1996 年 2 巻 p. 91-108
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    原発政策をめぐっては、巨大な影響を持つだけに様々な形の決定方法が模索されている。本稿ではカリフォルニア州で1976年に成立した「ウォーレン・アルキスト法修正条項」(通称“原子力安全法”)を取り上げ、日本の原発政策とは異なる意志決定過程を分析する。この条項は原発の新規建設を事実上不可能にすることでアメリカの原発政策におけるマイルストーンとなったものである。条項の成立の背景には「イニシアティブ」制度を利用した市民の側の法案提出の運動があった。州法政策決定に関わる複数のアリーナ(主張が公になされる場)に焦点を当てて原発がイッシューとして登場する時点から立法的措置がなされるまでを分析し、アリーナ間の相互作用と日本にはない「イニシアティブ」という公共アリーナの果たす機能について考察する。

  • 谷口 吉光
    1996 年 2 巻 p. 109-122
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    ごみに関する対策はごみの流れ全体を包括する体系性と、地域の諸条件に応じた多様性を持つ必要がある。そしてごみに関する研究もごみ対策の体系性と多様性を前提としたものでなければならない。本稿では、そうした前提をふまえたリサイクル行動の分析モデルとして機会構造論的モデルを提案する。

    本稿は、日米3自治体(東京都目黒区、埼王県与野市、ワシントン州シアトル市)における事例調査をもとに、住民のリサイクル行動を、住民の意識からではなくその地域のリサイクル・システムの特徴から説明することを目的とする。取り上げるシステムの特徴は、(1)リサイクル・システムの包括性、(2)ごみ処理費用の負担方法、(3)システムへのコミットメントの3つである。

    分析の結果は以下の通りである。(1)日本の多元的なシステムより、シアトル市の包括的なシステムの方が住民の分別行動の比率は高い、(2)シアトル市のごみ有料収集はごみ減量に一定の経済的動機づけを与えている、(3)システムへのコミットメントの相違による分別行動の比率の差はあらわれなかった。全体として、地域のリサイクル・システムが住民の分別行動をかなりの程度規定していることを明らかにできた。

  • 中野 康人, 阿部 晃士, 村瀬 洋一, 海野 道郎
    1996 年 2 巻 p. 123-139
    発行日: 1996/09/20
    公開日: 2019/03/26
    ジャーナル フリー

    本稿は、環境問題を社会的ジレンマの視点からとらえ、個人の合理的な行為に焦点を当てることにより、問題解決を目指そうとするものである。ここでは、ごみの排出量を減少させることについて、協力行動をしようと考える行為者と協力行動をしないと考える行為者との違いを探ることにより、協力行動の促進要因や阻害要因を明らかにする。1993年11月に仙台市内の1500世帯を対象に実施した調査データに基づいて、過剰包装拒否、使捨商品不買、資源回収協力、コンポスト容器利用の4つの行動について、その行動を実行する協力意志に影響する要因を分析した。判別分析によると、いずれも行動に対する規範意識がもっとも強く協力意志に影響するという結果が出たが、要因間の構造を見るために、規範意識とコスト感と心配度の3変数をPOSA (Partial Order Scalogram Analysis)に投入した。その結果、行動によって要因間の構造に差が見られた。使捨商品不買とコンポスト容器は、コスト感と心配度が改善されないと、規範意識が高まりにくく(規範後発ルート)、資源回収協力は、コスト感が高かったり、心配度が低かったりしても、規範意識は高くなりうる(規範先発ルート)のである。各要因を制御する際には、こうした構造の違いを考慮に入れなければならない。

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