砂川村役場文書を作成した行政機関は、明治6年(1873)4月~番組(小区)会所、明治11年~戸長役場、明治22年~村役場、昭和29~38年(1954~63)に町役場と変化している。砂川町は、昭和38年5月1日に立川市と合併し、現在の東京都立川市が誕生した。
本稿では、この砂川村役場文書の構造を、作成した組織の分析に基づいて考察し、町村制下の役場文書の特徴に言及する。現存する砂川村役場文書は、大半が町村制下の村役場で作成された文書である。町村制下の村役場は、村長などを含めて5~10人程の吏員が勤める程度であり、機構も分化されていない小規模な組織であった。このような組織で作成された文書を、事務内容によって分類すると、大半が郡役所とのやり取りによって発生した収受・発送文書であったことが判明した。この特徴は、町村制下の町村役場が、中央集権体制下における末端の機関として上意下達の文書を重視した結果である。
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