アーカイブズ学研究
Online ISSN : 2434-6144
Print ISSN : 1349-578X
7 巻
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
特集 2007年度大会
〈講演〉
〈企画研究会:アーカイブズの〈力〉-歴史からの検証-〉
  • 保坂 裕興
    原稿種別: シンポジウム
    2007 年 7 巻 p. 18-19
    発行日: 2007/11/15
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー
  • 利用の側面を中心に
    冨善 一敏
    原稿種別: シンポジウム
    2007 年 7 巻 p. 20-38
    発行日: 2007/11/15
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー

    本論文は、日本近世(江戸時代)のアーカイブズについて、当時の人々の利用のあり方を検討したものである。第1章ではこれまでの文書管理史研究について、「アーカイブズ学的文書管理史」と、「儀礼・由緒論的文書管理史」をキーワードに整理した。

    第2章では、村方文書の保存・管理と利用について、信濃国諏訪郡乙事村の事例を扱った。当村では文化10年(1813)大規模な文書整理を行い、1 点毎の検索が可能な文書目録帳を作成し「帳蔵」に収納した。以後名主が作成した文書は任期終了時に村役人立会の下改めが行われ、1)帳蔵に収納される非現用文書、2)年々交代する名主の手元に置かれる現用文書、3)作成当時の名主が保存する年貢・村入用関係文書という、その機能と保存場所を異にする3 つの文書群に分化したことを指摘した。

    第3章ではモノとしての文書の利用について、武蔵国秩父郡大野村で行われた検地帳祭りを取り上げ、近世の村方文書が一方ではマジカルな世界の中で存在したことを指摘した。

  • 明治期の行政機関の文書管理制度を中心に
    渡辺 佳子
    原稿種別: シンポジウム
    2007 年 7 巻 p. 39-49
    発行日: 2007/11/15
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー

    封建制度が終わりを告げ、新しい近代行政機構がスタートする明治期に焦点を当て、明治期の行政機関の文書に対する認識の変遷を追いながら、アーカイブズの兆しにつながる行為、それが育ち得なかった環境等について考えてみたい。

    現代の公文書管理の原点は、この近代行政機構がスタートする明治期にあると考えられる。年代を追いながら文書に対する政府の認識がどのように変化していくか、アーカイブズにつながる兆しがあったのかなかったのか、あったとすれば、それは育ったのか育ち得なかったのかなどについて考えてみたい。

  • 明治後期~昭和戦前期の図書館と府県庁記録
    太田 富康
    原稿種別: シンポジウム
    2007 年 7 巻 p. 50-69
    発行日: 2007/11/15
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー

    明治から昭和戦前期の日本では、アーカイブズ=文書館の誕生をみることはなかった。しかし、旧藩県期の記録や太政官制期の編纂資料など、限られた種類のものではあったが、府県庁の情報資源=記録や書籍が図書館に移管され公開されていた。それは、郷土資料として国民教化に資する〈力〉の利用であったといえる。アーカイブズの持つ〈力〉が選別され制御された結果であった。

    しかし、専門家団体を得た図書館の指導者たちは、県庁記録を含めた郷土資料の蓄積を進め、「府県行政の参考機関」としての府県立図書館を提唱し、さらには「文書館独自の使命と機能」を認めてその設置を求めていた。

    戦後、他にも数千点規模の県庁記録が図書館に移管される府県があるなかで、日本最初の文書館が山口県立山口図書館から誕生した必然性は、戦前期におけるこれらの経験と蓄積の出会いにあった。

論考
  • 18世紀後期における文書管理の転換
    東 昇
    原稿種別: 研究論文
    2007 年 7 巻 p. 72-89
    発行日: 2007/11/15
    公開日: 2020/02/01
    ジャーナル フリー

    対馬藩では宝暦期(1751-­1762)まで御内書、老中奉書を選別して成巻し、寛政期(1789­-1801)以降その全てを成巻するようになった。享保12年(1727)、宝暦5年(1755)の「御内書御奉書員数目録」と現存する老中奉書との比較を行った結果、御内書、朝鮮通信使関係の老中奉書のすべて、それ以外の老中奉書の約3割を選別し成巻していたことが判明した。それらは将軍の就任、交代をはじめ、幕府、朝廷、対馬藩、朝鮮国関係の臨時的な内容を選別していた。また未成巻の老中奉書は、将軍への挨拶、祝儀、献上など定期的な内容であった。そして寛政8年(1796)の全成巻への転換の要因は、文書管理を担当する表書札方の管理の効率化、日朝貿易衰退に伴う対馬藩財政の幕府依存体制への変化と考えられることを明らかにした。

動向
書評
feedback
Top