植生史研究
Online ISSN : 2435-9238
Print ISSN : 0915-003X
29 巻, 2 号
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  • 吉川 昌伸, 鈴木 三男, 佐藤 雅俊, 小林 和貴, 長谷川 健, 吉川 純子, 戸田 博史
    2021 年 29 巻 2 号 p. 37-52
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/10/12
    ジャーナル オープンアクセス
    ヤチカンバは東シベリアから中国東北部,北朝鮮に分布するカバノキ属の低木種で,北海道の 2 箇所の自生地は分布域の南限のひとつに当たり,氷河期の遺存種とされている。自生地の一つ,別海町西別湿原にヤチカンバがいつから生育していたのかを明らかにするため,1)北海道に自生するカバノキ属 5 種の花粉形態を詳細に検討して,ヤチカンバの花粉を他の種から区別できる形質を探索し,2)その形質を用いて,堆積物中のカバノキ属花粉にヤチカンバ花粉が含まれるかどうかを経時的に調べた。カバノキ属 5 種の花粉の赤道長(E),外孔長(EP),孔深度(PD)を測定し,赤道長 / 外孔長比(E/EP)と赤道長 / 孔深度比(E/PD)を求めた結果,ヤチカンバには E/EP 比と E/PD比が他のカバノキ属よりも大きな値になる花粉が存在することが明らかになった。西別湿原でハンドボーリングにより堆積物を採取し,テフラ分析および堆積物の 14C 年代測定を行った結果,堆積物は 6500 cal BP から現在までのものであることがわかった。各層準の堆積物にはカバノキ属花粉が 4–34%含まれており,このうちの 7–50%がヤチカンバ以外のカバノキ属よりも E/EP 比の大きな花粉であることが明らかとなった。以上の結果から,西別湿原には 6500 cal BP 以降,現在までヤチカンバが継続して生育していた可能性が高いと考えられた。
  • 百原 新, 工藤 雄一郎, 三宅 尚, 中村 俊夫, 門叶 冬樹, 塚腰 実
    2021 年 29 巻 2 号 p. 53-68
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/10/12
    ジャーナル オープンアクセス
    本論文では三木茂博士が三重県桑名市多度で採取し,大阪市立自然史博物館に保管されている大型植物化石標本を再検討し,形態を記載した。標本の放射性炭素年代測定を実施し,MIS 3 に相当する 40,300–39,070 cal BP と最終氷期最寒冷期後半の 21,920–20,270 cal BP の 2 つの時代に形成された植物化石群に由来することが明らかになった。最終氷期最寒冷期の化石群はツガ,トウヒ属バラモミ節,カラマツ,ヒノキといった温帯性針葉樹が優占し,カツラ,サワグルミ,イヌブナ,アサダなどの温帯性広葉樹の多様性が高かった。ツガ属球果と同定された化石標本に付着した堆積物の花粉分析結果は,多度川沿いに発達した針広混交林の周囲に温帯性針葉樹林が広がっていたことを示していた。亜高山針葉樹林は付近の山地帯に分布しており,針広混交林とは隣接していたと考えられる。多度周辺の地域は最終氷期最寒冷期には太平洋と日本海の中間の内陸に位置していたが,その温帯性落葉広葉樹を含む植生はマツ科針葉樹が優占していた当時の中部日本での温帯性樹木のレフュージアだったと考えられる。博物館標本の再検討は最終氷期の古植生分布を復元する上で重要である。
  • 工藤 雄一郎, 水ノ江 和同, 百原 新, 野澤 哲朗, 門叶 冬樹
    2021 年 29 巻 2 号 p. 69-73
    発行日: 2021年
    公開日: 2023/10/12
    ジャーナル オープンアクセス
    During excavations in 1984 and 1985 of the Ikiriki site, a lowland wetland site in Nagasaki Prefecture, stones of a peach (Prunus persica) was excavated from a cultural layer containing artifacts of the early Jomon period. Because peach is an exotic cultigen native to China, these stones were thought to be the oldest record of peach in Japan. Radiocarbon dating for 11 samples of these peach stones and related plant remains showed that these peach stones were mainly of the middle to late Yayoi period, indicating that the later peach stones seem to have fallen into the cultural layers of the early Jomon period.
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