2011年の東日本大震災は、地震による巨大津波というひとつの災害に留まらず、福島第一原発事故を招き、国家が国家として存続できるかといった側面でも特殊な複合災害であった。当時、日本学術会議では、専門家として統一見解を出すワンボイスについて議論が行われた。しかし、これは多様な論点や偏らない情報や意見を取りこぼすことになったのではないかと、たびたび問い直されてきた。
本稿では特に、緊急時の情報発信について、政府、学術コミュニティそれぞれの在り方について議論する。原子力災害についてはすでに対応が進んでいるが、ここではそれに限らず、国家の緊急時にみる学術コミュニティの情報発信および社会的責任について3つの角度から分析する。まずひとつめに、戦後、長く議論をされている「科学者の社会的責任」論の中で、緊急時の科学者の責任をどのように論ずることができるのかを確認する。第2に、もし緊急時の情報発信が可能であれば、それは日本学術会議なのか、学会なのか、どの単位のグループで発信をすべきなのかという点、そして既存の情報なのか新規の情報なのかについていくつかの事例を元に論ずる。第3に、緊急時のワンボイスに幅を持たせるため、いくつかの見解を世に発する「グループボイス」を機能させることの重要性であることを指摘する。
全体としては政府のワンボイスを支持しながらも、学術コミュニティの議論は幅のある議論を吸い上げるため閉鎖的にならないことが肝要であると指摘する。社会全体の中で専門家は情報提供に徹する必要があり、意見の違いがあっても一定人数以上の「グループボイス」を発することができる環境が必要であることを指摘する。同時に、科学者は緊急時にSNS空間でも果たすべき役割があるであろうことを指摘する。
当時の混乱の渦中で、筆者が経験した東京大学の科学の現場の様子を初めて伝えると同時に、「検証」の観点から、震災から8年が経過してもまだ整備がされていない、次の緊急時に向けての体制づくりに本稿が少しでも役に立てば幸いである。
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