スポーツ社会学研究
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23 巻 , 2 号
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特別寄稿
  • ドネリー・ ピーター
    23 巻 (2015) 2 号 p. 3-22
    公開日: 2016/10/07
    ジャーナル フリー
     スポーツの当局者や政治家たちが未だに「スポーツは政治と関わりあうべきではない」と力説するのを耳にするかもしれないが、それが事実だと信じる人をみつけることは増々難しくなっている。 特にこのことは、あからさまなナショナリズムからそのイベントの経済活動まで、その全てのプロセスが非常に政治化されている国際的なスポーツイベントについてあてはまる。オリンピックのような大きなスポーツイベントの開催は、非常に多くのアクターを引き合わせる。それらは互いに異なり、時に利益を争っている。これまで大抵の研究は国際オリンピック委員会と相互に関係する「札つきたち」―様々なレベルの政府・自治体や国内/国際企業―に焦点を当ててきた。しかし、考察すべき権力軸は他にもある。本稿で私は、第1に、ヨーロッパの人間が未だに組織のほとんどの権力を保持していることを示す最近のデータを参照しながら、それに対するオリンピック・ムーブメントにおけるアジアの相対的な政治的権力について考察する。第2に、「札つきたち」が保持している高度な権力について考察する。「ソフトパワー」の手段として国際的なスポーツを利用することや、彼らによって引き起こされたオリンピック・スポーツのいくつかの問題について指摘する。第3に、学術論文ではほとんど研究されていないが、オリンピックの形態や意味に影響力をもつ、諸個人や諸集団、諸組織によって保持されている中間レベルの権力について考察する。特にここでは、どの国も大規模な国際的スポーツイベントを開催するときにはいつもサービスを提供し、時によっては雇用もされる、国際的なコンサルタントや専門家の組織に焦点を当てる。更に、間接的ではあるがしばしば予期せぬ影響力をもつ、オリンピックの批判者や抗議者たちについても考察する。
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特集のねらい
原著論文
  • 佐伯 年詩雄
    23 巻 (2015) 2 号 p. 25-44
    公開日: 2016/10/07
    ジャーナル フリー
     2020年7月、再び東京でオリンピックが開かれる。周知のように、現代五輪は様々な欲望を刺激し、それをパワーゲームに組織する巨大な装置である。そして、「復興五輪」のキャッチフレーズに典型化されるように、このグローバルイベントには「理想と現実」、「ブランドと偽物」、「本音と建て前」が交錯している。本稿は、この東京五輪大会の「招致過程」、「招致計画」をケースにして、この状況を「虚と実」の視点で整理し、オリンピックが直面している根本問題を明らかにする。
     始めに、東京五輪招致の動機と背景を取り上げ、それが石原元都知事による都の臨海副都心開発計画破綻の累積債務清算という「負のレガシー」処理であることを示す。
     次に招致活動を取り上げ、五輪招致「オールジャパン」の捏造を、「広島・長崎共催五輪構想」の消滅との対比、「震災復興」の政治的利用の分析によって明らかにする。
     次いで東京五輪レガシー戦略を取り上げ、新国立競技場建設問題、開催計画書におけるレガシー約束を分析し、五輪競技と市民スポーツの現実との乖離等から、レガシー戦略の失敗を指摘する。 特に、「オリンピック・レガシー戦略」は、近年提唱され、世界的にも好意的に受け取止められているものであるが、その虚実を明らかにすることによって、それは、行き詰まっている五輪大会の存在意義を再構築し、五輪イデオロギーを再建しようとするIOCのあらたなパワー戦略であることを示す。
     最後に、この視点からIOCの新政策「アジェンダ2020」を取り上げ、それがIOCと現代五輪の権力保持を意図するヘゲモニー戦略であることを明らかにする。
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  • 有元 健
    23 巻 (2015) 2 号 p. 45-60
    公開日: 2016/10/07
    ジャーナル フリー
     本論は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として新自由主義的な国策と都市形成が結びつきヘゲモニーを構築するあり方を、東京大会招致から決定後の諸言説・表象を素材として分析し批判するものである。本論はまず、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」という招致スローガン及びポスターを記号論的に分析する。そこでは領土的な意味合いを視覚的に連想させる「日本」ではなく音声化された「ニッポン」という記号が用いられることによって情緒的なナショナリズムが喚起されると同時に、東京という個別的な都市が「ニッポン」に置き換えられることによって、個別の利益が全体の利益を代表=表象するというヘゲモニー構造が自然化される。本論は次に、東京大会開催決定後のエコノミストや都市政策専門家の新自由主義的言説の中で2020年東京大会がグローバル・シティとしての東京の都市開発戦略にどのように奪用されているかを分析する。そこではオリンピック開催を契機とした都市開発をめぐるユーフォリアがたきつけられながら、アベノミクスの経済政策と東京一極集中化が肯定されていく。だがそうした都市開発や経済政策の受益者は階級的に選択されたものとなる。本論は最後に、そこで語られるオリンピック・パラリンピック開催の「夢の力」が、現実にはどのような結果を導きうるのかを2012年ロンドン大会の事例を参照しながら批判的に捉えていく。レガシー公約とは反対に、ロンドン大会が生み出した都市のジェントリフィケーションは貧困層を圧迫し、またスポーツ普及は全体として進まず、参加者の階級的格差が広がっている。「夢の力」を当然のように期待し、それが良きものだと前提することは、オリンピック・パラリンピックというスポーツ文化を奪用しようとする限られた一部の特権的な受益者を批判する視点を失うことになる。
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  • 張 寿山
    23 巻 (2015) 2 号 p. 61-78
    公開日: 2016/06/03
    ジャーナル フリー
     近代スポーツの成立以来、スポーツ活動が持つ社会的影響力や経済力は増大し続けている。この様な近代スポーツの隆盛は、社会制度としてのスポーツ組織の発展に支えられている。しかしながら、「スポーツ組織」についての研究の多くは企業組織との比較でスポーツ組織の問題を指摘し、スポーツ組織を企業組織に近づけていくような方向での問題解決をはかろうとするものが多い。一方で、スポーツの本質やスポーツ行為者に視点を置いて、スポーツに特有の組織あるいはスポーツによる社会貢献をより強化・発揮させるための組織制度は何か、という視点での研究は限られていた。 この一つの原因は、スポーツ組織研究において共通の基盤となるべき、スポーツ組織を実証的に分析するための概念的枠組みが、未だ成立していないことにあると指摘されている。
     自称他称のスポーツ組織として、競技連盟、国や地域によって様々な形態を有するスポーツクラブ、スポーツ関連企業、学校の運動部やサークル、プロフェッショナルスポーツの興業機構、スポーツ大会組織、公営私営のフィットネスジム、スポーツ愛好者の集まり、スポーツメディア、スポーツ研究機関、スポーツ仲裁所等が挙げられるが、これらのどの組織を対象とするかで、組織論・経営論・社会制度論の何れにおいても全く観点の異なる研究になることは容易に想像できる。
     本稿は、法理論として確立した分類枠である「法人格」を基準に、スポーツ組織を4象限マトリクス分析の手法を採用して分類した。4象限の分類軸として目的合理性軸と価値合理性軸を設定し、これにより、多種多様なスポーツ組織が既存の法人格である行政、企業、NPOとして扱える組織と、「スポーツ活動に固有な組織」に分類されることを明らかにした。官僚型組織や企業型組織とは異なる視点によるスポーツ組織研究の重要性を提示した。
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