スポーツ社会学研究
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30 巻, 2 号
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特集
  • 水上 博司
    2022 年 30 巻 2 号 p. 3-7
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
  • ―空間・時間・仲間を地図として―
    杉本 厚夫
    2022 年 30 巻 2 号 p. 9-24
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
     現代社会における「つながり」語りは、人と人との関係(仲間)だけではなく、家庭や学校等の自分が置かれている状況(空間)のつながり、出来事の連続性という時間のつながりにおいてみられる。そこで本稿では、これらの「つながり」を、遊びを地図として読み解いてみる。
     遊び空間における「つながり」語りは、価値の一元化を相対化し、その多様性を認識することへと導く。遊び空間を多元的現実として捉え、遊びの価値を認識する。その価値の認識過程では、それぞれの現実の価値のせめぎあいがあるが、それゆえにそれぞれの価値が明確になり、さらに新たな価値を生むことによって、終局的には価値の多様性を認識することでつながる空間が創造されるようになる。
     遊び時間における「つながり」語りは、近代時間を相対化する。時間的な制限を受けない遊びは、時間に縛られている現代人を浮かび上がらせる。さらに、一瞬にして過去に戻ってしまう遊びは、「不可逆性としての時間」を超えて、「可逆性としての時間」の意味をわれわれに問いかけてくる。そして、偶然と不確定性に支配される遊びは、過去・現在・未来という直線的な時間の「つながり」を溶解させる。
     遊び仲間における「つながり」語りは、現代社会の組織の在り方を相対化する。遊び集団では、成員のつながりを維持するために、役割やルールを変更するが、現代社会では組織の維持が優先される。また、遊びに参加する全員が当事者意識をもって意思決定することは、現代社会における上意下達の意思決定に疑問を呈する。さらに、遊びにおける贈与の行為が共同体を構築することは、現代社会における贈与による組織の在り方を考える契機となる。
     遊びにおける「つながり」を丹念に読み解き、現代社会における「つながり」を相対化することで、本来子どもに備わっている「つながり(社会性)」を取り戻すことができると考えている。
  • ―つながる場のデザイン―
    原 祐一
    2022 年 30 巻 2 号 p. 25-38
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
     本稿は、スポーツによって人と人、人と社会が「つながれる」場合と「つながれない」場合があることに着目し、このコインの裏表のような関係が生じる場の捉え方を問題にした。これまで自明のこととされてきた「スポーツは競争の遊びである」というパースペクティブからではなく、そもそもスポーツはゲームをプレイすることでしか成立しないというパースペクティブを採用する。その上で本稿では、ゲーム論から「スポーツをするという行為」について考察し、改めて「つながり」について整理することを目的とした。
     「ゲーム」としてのスポーツは、前提的目標と簡単には乗り越えられない構成的ルールによって生まれる挑戦課題を、内部的目標に向かって試行錯誤する自発的行為であることが導かれた。このことから、スポーツにおいて「つながり」が生まれる場は、ゲームの意味を理解した他者が一緒に内部的目標を常に合意形成し続けなければならないという不安定な場としての特徴がみいだされた。
     また近代スポーツは、その実践がフィジカル空間に規定されるために「強いつながり」を生み出しやすかった。それに対して新しいスポーツは、サイバー空間へ世界を広げたり、テクノロジーを身に纏ったりしながら、内部的手段を変更するルール等によって、これまで出会わなかった人々と一緒にプレイできるゲームとしてデザインされているために、「弱いつながり」が生みだされることを示した。
     最後に、スポーツが遊びへの離脱を促すと捉えるだけではなく、「ゲーム」としてのスポーツによる俗の遊化という方向性も検討していく必要性を示した。社会における様々な「つながり」が分断されている事態に対して、遊び心を持って新たなゲームを生み出すことが、スポーツ文化の可能性を拓いていく点について言及した。
  • ―聖書が教えるマコトのつながりに向けて―
    梅垣 明美
    2022 年 30 巻 2 号 p. 39-52
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
     COVID-19が世界的規模で広がり、人と人が分断されているような状況が見受けられる。このような中、第3期スポーツ基本計画が制定され、様々な人々が集まり、ともに活動し、つながりを感じながらスポーツ活動に取り組める社会の実現が謳われた。果たして、スポーツを通して人はつながりを感じることができるのだろうか。
     本稿では、まず人と人が真につながるとはどういうことかを考察した。具体的には、ジンメルとエリアスに依拠しながら人と人のつながりを考える認識方法について確認した後、人と人の真のつながりをキリスト教に求め、聖書が教える人とのつながりについて明らかにした。次に、体育授業に導入できる人とつながる方法を教える指導モデルを紹介した。
     まず、個人と社会の関係について、社会を、個人に対峙し、個人とは関係のない存在として理解するのではなく、社会を人と人との相互作用のネットワークとみなす捉え方を示した。次に、聖書から読み取れる真のつながりとして、神との霊的なつながりを基本として、そこから流れでる聖霊による人と人との霊的なつながりが真のつながりであることを示した。それは、この世にあるものとは思えないようなとても麗しい温かなつながりであった。最後に、アクティビティによらない人とつながる方法として、チームづくりに関する知識・技能を教える指導モデルを紹介した。
  • 田中 彰吾
    2022 年 30 巻 2 号 p. 53-64
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
     特集の趣旨を受け、筆者が依拠する現象学的身体論の立場から、障害者スポーツを通じた「つながり」について考察する。本稿では、考察の具体的な端緒を得るため、冒頭で筆者自身の東京パラリンピック観戦経験の一端を記述する。その一方で、身体的経験としての「つながり」を考えるうえで重要になるメルロ=ポンティの「間身体性」概念を導入する。両者を重ね合わせてみると、さまざまな障害を有するパラアスリートの身体と、競技を観戦する者の身体とが、知覚的経験を通じて共鳴しつつ互いにつながり得ることが理解できるだろう。また、間身体性を通じた自己と他者の間での知覚—行為の循環、さらには行為—応答行為の循環は、豊かな相互理解と間主観的経験を導くものである。この点に関連して、日本スポーツ社会学会第31回大会で開催されたトークセッション「パラリンピックを学際的に紐解く」での議論も部分的に参照する。当日の議論を参照し、パラアスリートとアシスタントの間で、身体的レベルから心理的レベルへと拡がる高度な間主観的経験が共有されていることに言及する。最後に、以上の具体的記述を経て、第3期スポーツ基本計画に示された「つながり」の視点を、単なる理念にとどめず実質化するにはどうすればいいか、二つの論点を指摘する。
  • ―視覚障害者ランナーと伴走者を事例として―
    植田 俊, 山崎 貴史, 渡 正
    2022 年 30 巻 2 号 p. 65-84
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/10/26
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は、ブラインドマラソンを事例として視覚障害者ランナーと伴走者のつながりの多様性やその困難の実際を、筆者らの調査・実践経験から具体的に描くことである。
     伴走の基本原則は、ブラインドマラソンの達成のために伴走者によって個々のランナーに合わせて様々にカスタマイズされている。具体的には、伴走者はランナーの望みに沿って、一見すると効率的かつ合理的なランニングには不必要と思える双方向的なコミュニケーションを導入していたり、伴走の基本原則上必要とされる情報提供を省略したりしているのである。ところが、ランナーがどのような場所を走るのか、どのように走るのかによって、求められる伴走は大きく変化するため、状況に応じて個々のランナーに望ましい伴走が探索し続けられてもいた。また、ランナー側からも伴走者へと同期を図ることによって、ランナーと伴走者との間の身体的特徴や走り方の癖の違いから生まれる動作のズレの解消が試みられていた。それでもなお、伴走者が行うべき適切な伴走とは何かや、ランナーにとって良い伴走とは何かを双方が具体的に言語化したり、理想的実体的に説明することは難しく、こうした現実が時に伴走者によるランナーの望みへの過剰な介入や指導する側—受ける側といった非対称的な関係を生みうることが明らかとなった。
     ブラインドマラソンにおけるランナーと伴走者のつながりは、常に変動・変転を繰り返しながら動的かつ過程的にしか描きだせないものではあるが、この探求の過程は、ブラインドマラソンを実践し楽しもうとするランナーと伴走者には欠かせないものである。そして、そこにこのスポーツの「面白さ」を見出し得ると本稿は結論づけ、理念的で予定調和的なスポーツ理解に批判的な目を向けながら、スポーツ「において(in)」現前化するつながりを丹念に描き出しその成果を蓄積していくことの重要性を主張した。
原著論文
  • 森津 千尋
    2022 年 30 巻 2 号 p. 85-99
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/25
    [早期公開] 公開日: 2022/07/28
    ジャーナル フリー
     オリンピックは、1980年代からグローバルメディアのコンテンツまたは企業のマーケティング・ツールとしての側面を強化し、「商業主義」と批判を受けながらも大会を継続させるため、メディアやビジネス環境に適応しながら合理的に変化してきた。そのため2020年東京大会の国内スポンサーも、日本国内の事情に合わせて、各カテゴリーで複数企業がスポンサーとなる「東京方式」が導入され、新聞カテゴリーでは複数の新聞社がスポンサー契約をしていた。
     本稿では、まず近年におけるオリンピックとメディア、スポンサーの関係の変化、さらに2020年東京大会で浮上した問題点を整理した。そして新聞社がオリンピックスポンサーになることの問題を考察するため、今回スポンサーとなった新聞とそうでない新聞の社説を対象にテキストマイニング分析を行い、その論点や言説の違いについて検討した。
     その結果、スポンサー/非スポンサー新聞社説では、オリンピックについて扱う話題は同じだが、その論点と語られ方に違いがあることがわかった。非スポンサー新聞では「感染」や「復興」の問題がオリンピック開催と直接関連するものとして語られていたが、スポンサー新聞ではそれらの問題はオリンピックとは切り離され、大会外部の出来事として位置づけられていた。
     またスポンサー新聞か否かに関わらず、大会スポンサーについての議論は各紙とも消極的であり、特に新聞のスポンサーシップについては、社説では言及されず、一般記事において外部からの問題指摘として数回掲載されるにとどまった。新聞社のスポンサーシップに関する報道は、世論(世間の空気)に追随するかたちであり、特にスポンサー新聞では、言論機関としての主体性がより曖昧であったといえる。
  • ―社会経済的地位と性別の観点から―
    下窪 拓也
    2022 年 30 巻 2 号 p. 101-113
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/25
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は、スポーツ観戦者の社会的属性を解明することである。本研究ではスポーツ観戦を一種の文化消費、つまり趣味と定義して議論を展開した。従来の研究では、社会的属性、特に世帯年収、学歴、職業といった社会経済的地位および性別と文化消費の関連を議論してきた。本研究においても、社会階層および性別と文化消費の関連に関する理論を基に、スポーツ観戦者の社会経済的地位および性別を分析した。本研究では、スポーツライフ・データ2018の二次データを用いた潜在クラスモデル分析により、スポーツ観戦者の社会的属性を検証した。分析の結果、以下のことが明らかになった。まず、スポーツ観戦者の類型として、多くのスポーツを網羅的に観戦し、男性が多く、運動経験の影響を強く受ける高寛容層、寛容性は高寛容層に劣るものの、多様な種目を観戦する女性や高職業階層者が多く属する中寛容層、野球を集中的に観戦し、低・中所得層の男性が多い野球ユニボア層、社会的関心が集まるスポーツイベントのみ観戦し、同居人のいる女性が多いイベントユニボア層、そしてスポーツ観戦に消極的な不活発層の存在が確認された。高寛容層には、スポーツに対する嗜好性の高さが見られた。中寛容層は、スポーツ観戦を社会関係資本獲得のための戦略として用いている可能性と、スポーツ観戦を商品としての文化として消費している可能性があることが議論された。また、ユニボア層においても、大衆文化消費的な動機から野球観戦のみ行う場合と、スポーツへの関心は低いものの社会的関心を集めるイベントのみ消費する場合の、2種類のユニボアが確認された。以上、本研究により得られた知見は、スポーツ観戦者の実態解明の一助となるものである。最後に、本研究の限界と今後の発展可能性を議論した。
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