本稿は「健康」をめぐる語りを通じて言及・達成されようとしてきた/いる公共性のあり方について、戦後日本社会における言説の系譜から考察することを目的とする。
終戦後の感染症対策に端を発する病院・保健所体制がもたらした“疾病が無い状態”としのて「健康」に始まり、産業社会への反省的かつ対抗的な主体の掛け金としての「健康」(1970 年代)、高齢者が生きがいや意欲を持って生きるという意味での功利的価値としての「健康」(1980 年代)、そして高齢者の望ましい生の手段(身辺自立)としての「健康」(1990 年代以降)という系譜を示した。
そして、1990 年代後半には、リスクファクターを通じた予防的介入を重視する健康増進の考え方が拡がり、高齢者介護の分野でも予防への傾斜が進む。とりわけ、介護保険制度における給付抑制の動きに同調する形で、予防実践を正当化する言説が拡がる。
このとき、個別的な身体の自立=「健康」が社会全体の活力(財政的な効率性)に繋がるといった論理が「健康寿命」の延伸という命題とともに成立した。その結果“介護の社会化” の基本的な理念である自己決定権としての【自立】が、周縁化されていく事態を示した。
こうした言説上の変化は、保険財政の中で保健事業を行う予防重視型システムの導入を促進した。それは同時に介護保険制度における給付抑制の動きとも並行していた。
予防を重視する仕組みは健診事業にも導入され、各種の成果に応じて保険者の後期高齢者医療への負担金を可算・減算する制度も設けられることになった。さらに、健康的な行動を選択した加入者に正のインセンティヴを与える社会保険が登場するに至っている。
最後に、「健康」という言葉が持つ現代的な位置価を踏まえて、社会保険が有していた公共性の社会的な性質とその変容について考察を加えた。
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