スポーツ社会学研究
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25 巻 , 2 号
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特集のねらい
原著論文
  • ―2020年東京オリンピック・パラリンピックという社会的装置はいかに機能するか―
    柄本 三代子
    2017 年 25 巻 2 号 p. 5-20
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
     本論は、身体や食をめぐる公共性がいかに剥奪されているかということについて考察する。そこで重要な社会的装置として機能しているのが「2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会」(以下「2020 東京オリンピック」)であることを明らかにすることで、新自由主義における規範的理性がいかなるものであるか考察する。
     「オーガニック」「有機農業」「GAP」「エコ」「環境保全」といった言説をともないながら親密化している「2020 東京オリンピック」と農業との結びつき方について、政府の言説を中心としてまず検討する。次に、その両者を結びつける際に重要な要素として組み込まれている有機農業の理念について検討する。有機農業とはそもそも、既存の経済システムや政策を批判してきた社会運動としての歴史を有する。そのような背景をもつ有機農業が経済成長主義かつ政府主導の「2020 東京オリンピック」といかに連動するのか。この点について考察するため、カウンターカルチャーとしての有機農業の性質についても注目する。抵抗のシンボルが商品化をへて消費者の選別につながっていく。また、近代において公共性が失われたとする議論を参照しつつ、公的領域への関心や現状に対するクリティカルなまなざしの喪失が、私たちにとってどのような意味をもつものであるか考察する。またそのベースに人的資源として価値を高める強靭な規範性もまた介在していることについて論じる。
     公共性を剥奪された身体と食をめぐる規範的理性の命令は、次の二点において作用するものとしてとらえる必要がある。一点めとして、新自由主義的な枠組みで展開する「2020 東京オリンピック」と農業との経済成長に典型的な市場戦略に寄与するものとして作用する。これと同時並行的に、二点めとして、ホモ・エコノミクスみずからが人的資源としての価値を高め、あらゆる経済化競争にみずから好んで関わる方向に作用する。
  • ―「パーツ」への注目、スポーツとビジネスの節合―
    牧野 智和
    2017 年 25 巻 2 号 p. 21-37
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
     近年の「身体」をめぐるベストセラーに注目すると、以前からみられるダイエット関連の書籍に加え、開脚、体幹、ふくらはぎといった特定の身体部位に注目し、それらへの働きかけによって人生の諸問題が一点突破的に解決するとする書籍をいくつかみることができる。このような身体をめぐる想像力はいかにして生まれたのだろうか。また、これらのうち体幹に関する書籍は、サッカー選手の長友佑都がトレーニングと自己啓発を地続きのものとして語るものだったが、このような身体をめぐる想像力は彼もしくは制作者の独創性によるものと単純に捉えるべきだろうか。本稿ではこのような身体をめぐる想像力に関する疑問を追究していく。
     まず特定の身体部位への注目については、女性向けライフスタイル誌『an・an』を分析対象として、その身体観の変遷を追跡した。具体的には、身体に関する「モノ」の消費、美の「心理化」が目指された1980・1990 年代を経て、2000 年代中頃から身体的「不調」の解消、体内の浄化が同誌の主たる関心になり、それが2010 年代に特定の身体部位の調整を通して心身の悩みを解消しようとする特集が陸続と展開することになる。これらから、近年のベストセラーは、大衆的な身体をめぐる想像力の系譜上に位置づけうることになる。
     次に、スポーツ関係者による自著を素材に検討を行った結果、やはりこれも長友らの独創性というよりは、戦後以来の系譜をたどることのできる、スポーツへの考え方とビジネス一般についての考え方を節合する言説の展開のうちにその想像力を位置づけうると考えられた。身体をめぐるこうした想像力の志向はともに、自らの身体を自らケアし、調整していくことを促すとする、現代的な自己統治の議論に収めることができる。だがおそらく重要なのは、包括的な統治論よりも描写をダウンサイジングさせたところでの、統治技法の具体的な展開や分散をより精緻に分析していくことだろう。
  • 高尾 将幸
    2017 年 25 巻 2 号 p. 39-54
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2018/10/15
    ジャーナル フリー
     本稿は「健康」をめぐる語りを通じて言及・達成されようとしてきた/いる公共性のあり方について、戦後日本社会における言説の系譜から考察することを目的とする。
     終戦後の感染症対策に端を発する病院・保健所体制がもたらした“疾病が無い状態”としのて「健康」に始まり、産業社会への反省的かつ対抗的な主体の掛け金としての「健康」(1970 年代)、高齢者が生きがいや意欲を持って生きるという意味での功利的価値としての「健康」(1980 年代)、そして高齢者の望ましい生の手段(身辺自立)としての「健康」(1990 年代以降)という系譜を示した。
     そして、1990 年代後半には、リスクファクターを通じた予防的介入を重視する健康増進の考え方が拡がり、高齢者介護の分野でも予防への傾斜が進む。とりわけ、介護保険制度における給付抑制の動きに同調する形で、予防実践を正当化する言説が拡がる。
     このとき、個別的な身体の自立=「健康」が社会全体の活力(財政的な効率性)に繋がるといった論理が「健康寿命」の延伸という命題とともに成立した。その結果“介護の社会化” の基本的な理念である自己決定権としての【自立】が、周縁化されていく事態を示した。
     こうした言説上の変化は、保険財政の中で保健事業を行う予防重視型システムの導入を促進した。それは同時に介護保険制度における給付抑制の動きとも並行していた。
     予防を重視する仕組みは健診事業にも導入され、各種の成果に応じて保険者の後期高齢者医療への負担金を可算・減算する制度も設けられることになった。さらに、健康的な行動を選択した加入者に正のインセンティヴを与える社会保険が登場するに至っている。
     最後に、「健康」という言葉が持つ現代的な位置価を踏まえて、社会保険が有していた公共性の社会的な性質とその変容について考察を加えた。
  • ―生徒の分極化に着目して―
    魚住 智広
    原稿種別: 原著論文
    2017 年 25 巻 2 号 p. 55-69
    発行日: 2017/11/01
    公開日: 2017/09/30
    [早期公開] 公開日: 2017/07/30
    ジャーナル フリー

     少子化にともなう学校規模の縮小や生徒数の減少は、一定規模の集団を前提としてきた運動部活動の存続に大きな影響を与えている。本稿の目的は、部員数の確保に苦慮する小規模の運動部活動がいかにして存続しているのかについて、部の内部で生じた生徒の分極化に着目しながら検討することである。
     先行研究は、競技に対する志向性を基準に生徒を類型化し、志向性の異なる生徒が入り混じる運動部活動に葛藤する教員や生徒の姿を描いてきた。これに対して本稿は、生徒の志向性が必ずしも彼らの行動に反映されないことに留意しつつ、生徒たちの不均一性が表面化するに至った実際の争点を注視しながら、彼らが運動部活動を存続させていく過程を捉えることを試みた。
     調査は、2015年1月から北海道の公立A高校サッカー部で行われた。A高校サッカー部は部員数が非常に少なく、部員が1人でも欠席すると活動の成否に大きな影響を与えた。こうした背景から、部活動への出席状況の相違を争点として、生徒たちは2つのグループへと分かれるようになる。だが彼らは、出席者の減少による練習や対外試合の不成立を経験しつつも、この分極化を放置しながら活動をつづけていた。
     考察の結果、継続的に出席する生徒たちが作り上げた部活動への出欠に関する二重規範によって、一部の断続的な出席は容認され、結果として2つの生徒グループの共生が可能となっていた。そして、この二重規範は、断続的に出席する生徒たちがサッカー部から一時的に離脱することを可能にした点で、逆説的ながら、部員数の確保および運動部活動の存続に重要な役割を果たしていた。

  • ―支援の質的位相をめぐって―
    申 恩真
    2017 年 25 巻 2 号 p. 71-83
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/09/30
    ジャーナル フリー

     サッカー日本女子代表が2011年に開催されたFIFA女子ワールドカップで優勝して以来、日本の女子サッカー選手の生活形態が問題視されるようになった。そこでは、多くの女子サッカー選手が仕事とサッカーを掛け持ちしていることや、男子サッカー選手との待遇面での格差が主に取り上げられた。だが、こうしたメディア言説を中心に構築された経済的問題に関する議論は、選手の日常生活とサッカー実践の間に生み出されるいくつかの問題を不可視化してしまう。つまり、女子サッカー選手が直面する社会生活上の質的問題については、議論の外に置かれがちになる。こうした中で、彼女らはどのように就労し、どのような仕事環境で働きながらサッカーを実践しているのだろうかというものを問う作業は、彼女らが抱えている困難へ接近することを可能にする。したがって、本稿では、女子サッカーチームで行ったフィールドワークをもとに、従来の経済的支援に特化された議論に対して、女子サッカー選手の生活形態に焦点化して論じることを試みる。とりわけ、女子サッカーチームの「支援企業」で働く選手に注目し、そこでの仕事環境とサッカー実践との関係性を解明する。結論として、雇用した支援企業と雇用された選手の関係は、支援する者/支援される者として形成され、そこで築かれた関係性が女子サッカー選手の日常生活に構造化されている点が明らかになった。このことから、選手の生活全体における支援の「質的位相」を視野に入れる必要性を示唆する。

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