スポーツ社会学研究
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28 巻, 2 号
選択された号の論文の6件中1~6を表示しています
特集
  • 岡田 光弘
    2020 年 28 巻 2 号 p. 3-7
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2021/10/15
    ジャーナル フリー
  • ―スポーツの記述とその理解及び共有について―
    海老田 大五朗, 杉本 隆久
    2020 年 28 巻 2 号 p. 9-25
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2021/10/15
    ジャーナル フリー
     本研究は、スポーツの記述についての、現象学から影響を受けた社会学の一分野であるエスノメソドロジー研究である。本研究の目的はスポーツを記述するときに、いわゆる身体知とされて他者から知ることができないとされることなどが、実際には記述の可能性に開かれていること、そしてこの記述可能性は私秘的なものではなく、そのスポーツに親しむ者であればだれでもアクセスできるものであることを、放映されたスポーツ番組にもとづきあきらかにすることである。
     本研究では、不可知とされがちな領域を、「メディア的環境要因によるアクセス困難性」によって不可知とされがちな領域と、選手の内面的なものとされることで不可知とされがちな領域の2つに区分し、それぞれの領域におけるスポーツの記述と理解について分析した。その際、記述や理解のための参照リソースに焦点をあてた。前者はサッカー実践になじんでいるものであればだれでも知っているような規範や実践が主な参照リソースになっており、後者は瞬間的・反応的動きが可能になる理由を、「予期」や「確信」といった概念と結びつけられることで理解可能になっていることをあきらかにした。
     本誌特集テーマと関連する「スポーツ指導の現場に役立つスポーツ社会学を構想する手がかり」として、このような分析によってえられる記述の位置づけについても考察した。本稿では、理解というものを身体的理解と概念連関的理解にわけて再定式化し、これら相互の翻訳可能性こそがスポーツのプラクティス(練習や実践)の源泉になることを示した。
  • 渡 正
    原稿種別: 研究論文
    2020 年 28 巻 2 号 p. 27-41
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2021/10/15
    ジャーナル フリー
     本稿は、スポーツにおけるコーチングを指導者―選手間のコミュニケーションとして捉え、それがいかなる相互行為によって達成されているのかを提示するものである。それによってスポーツコーチングがスポーツ社会学にとっての重要な研究課題であることを示す。まず、日本のコーチング研究においてコーチングがどのように理解されているかを明らかにした。コーチングとは指導者と選手の「主観のチャンネル」を合わせること、との指摘があったもののその具体的内容は明らかになっていなかった。またテキストの検討からは「指導の方法」とされていることの多くが、「指導の種類、メニュー」の提示であり、具体的な指導手順の説明がないことが判明した。
     次に社会学におけるエスノメソドロジー研究に基づくスポーツコーチング研究について検討を行った。指導は(1)コーチによる修正の開始、(2)間違いの提示、(3)解決策の提案という連鎖として提示されていた。特に、指導者による「失敗の再現」は、選手に何が失敗だったかの理解を作り上げる点で重要である。また、「ボールに関連したカテゴリー」やコートの空間的分割によって、選手の身体の相対的位置が規範的に決定されることが、指導者と選手双方の理解の資源となるという。
     最後に、日本における大学フットサル部の練習についてその録画データの検討を行った。日本のスポーツコーチングにおいても、エスノメソドロジー的研究の結果と同様の相互行為の連鎖が析出された。これらのことから、スポーツコーチングのある場面においては、修正の開始、間違いの提示、解決策の提案という連鎖が基礎的な手順であることが確認できた。そしてこの手順が、練習あるいは指導において、指導者にとっても選手にとっても共通に理解可能で合理的なものとして秩序づけられ、利用されていることを明らかにした。
  • ―設計主義的思い込みから自由になること、及び、シークエンスあるいはシステムへの注目―
    樫田 美雄
    2020 年 28 巻 2 号 p. 43-56
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2021/10/15
    ジャーナル フリー
     本論文では、前半は、障害者スポーツ、とりわけ、車イスバスケットボールという競技を取り上げて、それがどのような種類の競技なのか、どういう点で「競技性」を担保している種目なのか、ということを、IPC のような専門的集団ですら見いだせていない可能性があることを指摘し、各競技が持っている可能性や美学まで意識した指導をするのならば、現実の各競技の中で達成されているものの価値や意義を問い直す作業から、開始しなければならないだろう、ということを主張した(もちろん、このことは、非障害者スポーツにも当てはまることである)。具体的には、「クラス分け」の理念に注目し、車イスバスケットボールにおける「クラス分け」は、チーム間の公平性を確保するための「クラス分け」であって、個人間の公平性を確保するための「クラス分け」とは働き方が異なること、および、車イスバスケットボールは、諸状況が総合的に働くなかで、どのようなレベルの障害者もチームに貢献できる「包括性」という価値を体現できる競技になり得ていること。この2点を主張し、設計主義的思い込みから自由になって、実際の競技がどのような価値を実現しているのか理解したうえで評価し、その評価にフィットした指導をしていくべきであることを主張した。
     後半は、樫田ほか編[2018]を活用し、指導者が被指導者に働き掛けをするとき、しばしば、ラダーモデル(はしごモデル)を採用して指導を行うが、その「見立て」が正しいとは限らないこと。被指導者の負荷を落とす方向での指導が、被指導者に受け入れられやすいとは必ずしも限らないこと。そもそも、被指導者がどのような相互行為をおこなっているのか、ということをビデオ・エスノグラフィー等の手法を用いながら観察するのならば、被指導者がシークエンシャルな秩序として形成しているものを見いだすことは比較的簡便な場合があるので、その成果を生かしていけばよいこと、これらのことを主張した。
原著論文
  • 石田 智佳
    2020 年 28 巻 2 号 p. 57-72
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2020/10/15
    ジャーナル フリー
     近年、五輪などのメガ・スポーツイベント開催を契機とした都市開発は、スタジアムや競技関係地区周辺部で暮らす地域住民の立ち退きを引き起こしている。日本においても、2020年東京五輪開催のための新国立競技場開発により、近隣のTアパートで暮らしていた住民が立ち退かされている事実が報告されている。本稿はこうした立ち退きを迫られた住民たちに着目し、彼らがどのように立ち退きを考え対応しているのか、彼らの暮らしの内実から立ち退きの実践過程を明らかにするものである。
     事例として東京都新宿区のTアパートを取り上げた。そして、住民の生活実態と地域住民組織である町内会と老人会の活動に焦点を当て、1年間のフィールドワークを行った。調査によって明らかになったのは、第一に、住民たちは「高齢者」として暮らすなかで、「支え合い」という関係性を軸に生活していたこと。第二に、この関係性が失われていくなかで、住民たちは町内会や老人会という地域住民組織を通じて、それぞれが立ち退きに対して活動し合っていたことである。彼らは、立ち退きに対し反対を示しつつも高齢者である自身の生活と今後の立ち退きを、各々の会の活動を経ながら考え合っていた。
     住民たちの生活と立ち退きという問題は、切り離して考えることはできない。なぜなら住民は、自らの生活の立て直しを迫られる中で立ち退きを考えていかなくてはならないからである。Tアパート住民の地域住民組織を通じた活動は、立ち退きを強いられる先に潜む「再定住」という課題を浮き彫りにしていた。最後に本稿は、彼らの生活や「再定住」という視角から、新たにスポーツイベント政策の議論を展開していく必要性を指摘した。
研究ノート
  • ―沖縄のリーグボウリングに着目して―
    笹生 心太
    2020 年 28 巻 2 号 p. 73-81
    発行日: 2020/09/30
    公開日: 2020/10/15
    ジャーナル フリー
     本研究の問題関心は、スポーツを通じていかに人々のつながりを作るかというものである。本研究では沖縄のリーグボウリングの様子を記述し、それが人々の日常生活と密接に関わりながら人々のつながりを形成していることを示す。
     沖縄のリーグボウリングでは、アルコールを含めた飲食を通じて人々の間で活発に社交が行われている。そこでは、参加者同士の社交にとどまらず、その家族たちも同様に社交していたほか、参加者とボウリング場経営者の間にも親密な交流が行われている。さらには、そうしたつながりがボウリング場の外に広がる場合もある。そして、ボウリングはお互いの信頼感を醸成し、さらにリーグが定期的に開催されることから、リーグは模合(無尽講・頼母子講の一種)の場としても機能していた。
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