スポーツ社会学研究
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6 巻
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
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  • レナードセン ダグ, 小椋 博
    6 巻 (1997) p. 1-16,123
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    Both theoretical and empirical sociological works tell as that rapid social change in a local society might produce conflicts and problems. This paper tells the story about what happened to the community of Lillehammer (23, 000 inhabitants) during the construction period and during the 16 olympics days. How did the local popuration react to the prospects of huge investments during a short time span? The paper lists four criteria for “the integrated society”, and asks if the community of Lillehammer experienced processes of distintegration during the construction period. To a certain degree, the construction period can be described as “an anomic pregnancy”; there was a feeling of “community lost” in the town. During the olympic arrangement, however, this situation changed dramatically. While the years before the Games could be described in terms of fission, the 16 olympic days turned out as an enormous fusion process. The local integrational effects of the Games is explained in terms of collective identity processes. The theoretical framework for much of the discussion is phenomenological: Based on stories written by the local population of Lillehammer, the author asks: How do people construct the new social reality which took place outside their windows?
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  • 前田 和司
    6 巻 (1997) p. 17-29,124
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    林業政策論における「流域管理システム」の考え方は, 河川の上・下流ネットワークによる木材流通経路の確保と,「水」および森林の公益的機能を接点とした下流の都市とのネットワークによって, 中山間地域問題の解消を目指したものである。北海道北部の天塩川は, 河川改修事業の遅れから, 自然のままの姿を多く残す川であり, アウトドア・アクティビティ, とりわけカヌーの実践の場を提供し, 流域と都市との交流を促して, 自然を基盤とした観光による活性化の可能性を持っている。その実現のためには, 流域の自治体間の連携が必要である。しかし, 分村によって成立した歴史をもつ各自治体は独立性が高く, 近年まで広域的な行政上のネットワークを形成しにくかった。1980年代末から流域内に次々と成立したカヌークラブは, 天塩川とカヌーを媒介に, 草の根のカヌークラブネットワークを形成してきた。このネットワークは, 自然保護団体, 地域おこしグループ, 河川管理者である北海道開発局, 土木現業所, さらに各自治体とも連携し, 住民レベルから行政レベルまでの多種多様な組織による, より広範な「流域ネットワーク」へと展開してきている。そして, 天塩川の自然を観光資源とする流域単位の活性化事業が動き出している。
    本稿では, この流域における各カヌークラブの成立過程およびネットワーク化のプロセスを明らかにし, カヌークラブネットワークが「流域ネットワーク」へと展開していった過程を明らかにする。そして「流域ネットワーク」の現状と課題を, カヌークラブネットワークとの関係の中で明らかにする。
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  • 野崎 武司
    6 巻 (1997) p. 30-44,125
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    近代スポーツは近代性を大きな構成要素としていることを, 多くの研究が明らかにしてきた。本研究の関心は, 近代スポーツのもう一つの側面,〈反-近代〉にある。〈近代性〉は, 次のように定義された。主体は理性を活用することで十全に世界を制御できる, という錯認に帰因する諸現象。〈反-近代〉は, 次のように定義された。世界内での活動が主体に対して一挙に新しい自己性を与えるような神秘的な体験。本研究の仮説は, 近代スポーツが〈反-近代〉という局面を要素に持ち, 近代的主体に対して, 身体の恢復をもたらす効果を持つのではないか, ということである。
    主な結果は以下の通りである。
    1) 選手達にとって重要な試合の, その極限状況において, 間身体のパフォーマンスが実現することを明らかにした。そこにおいては, 選手達の自己意識や意図的身体制御が消失するのである。
    2) 間身体のパフォーマンスの実現にあたって, 普段の練習におけるリズムの共有が重要な役割を果たしていることを明らかにした。
    3) 間身体のパフォーマンスは, 選手達に身体の恢復をもたらし, 選手達は新しい自己性を獲得することを明らかにした。
    4) 近代的スポーツの〈反-近代〉という局面は, 近代的主体に癒しを与える反面, 局所的小宇宙を閉鎖的に構成する効果を持つことを明らかにした。
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  • 東方 美奈子
    6 巻 (1997) p. 45-57,126
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本稿は,「体験としてのスポーツ」の実例としてランニングをとりあげ, 6人のランナーに対するインタビュー調査と, マラソンに関する実証的研究である原田の『マラソンの現象学』とをつきあわせることで, その体験に対する分析を深め,「体験としてのスポーツ」の実証的研究を試みた。特に, 体験における「実存的レベルの身体」と「社会的身体」に注目して考察を行った。
    その結果, 第1に, フルマラソン体験において重要なのは, 社会的痩身によって「実存的レベルの身体」に還元されたランナーが他者と交流する点ではなく,「実存的レベルの身体」において自己を発見することであり, その結果ランナーは確かな準拠点に基づいた解釈図式によって, アイデンティティと現実世界を再構成することができる。
    第2に, 走ること自体に対するイデオロギーはフルマラソンのその場だけで生成されるのではなく, 日常的なランニングとの関わりの中から再解釈されるため, 日常的なランニングにも目をむけなければならない。
    そしてこの2点から, アイデンティティと現実世界の再構成の過程は, 社会的意味の網が張りめぐらされた日常生活の中で反省的にマラソン体験を捉えることから行われるため, 社会的意味の影響を受けざるを得ないこと。そこではすでに社会的意味がしみこんでいる「社会的身体」との葛藤の末, 新たに獲得した解釈図式を利用して, 既存の社会を読み替えることにより, 社会の圧力をかわす戦術が施されることが分析できる。
    以上の結果から,「体験としてのスポーツ」を捉える過程では, 体験における「実存レベルの身体」と「社会的身体」のメカニズムが見いだされる可能性が示唆された。
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  • 谷口 雅子
    6 巻 (1997) p. 58-69,127
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    本論文は, これまでスポーツとジェンダーに関する研究で扱われてこなかった「性別秩序」というジェンダー概念を用い, スポーツにおける秩序・関係性の形成とジェンダーとの関わりについて考察することを目的としている。
    分析の視点として, ここでは歴史社会学的視点を用い, 身体の持つ社会性に注目している。
    その結果, 日常における規範の抽象化とジェンダーとの関わり, スポーツの持つ独特な規範の形態とジェンダーとの関わり, 資本制の進行とジェンダーとの関わりなどが明らかになった。
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  • 藤田 紀昭
    6 巻 (1997) p. 70-83,128
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    スポーツへの社会化過程に影響を及ぼす, マクロレベルの要因に注目した研究や, 社会化の要素の一つである, 社会化される者の個人的属性について深く掘り下げた研究は数少ない。本研究ではこの点に注目し, 身体に障害のあるスポーツ選手の個人史を使い, スポーツへの社会化過程, すなわち, 社会化される主体的個人と社会化のエージェントとの相互作用の過程を, コンテクスト, 制度, 文化といった枠組みの中で明らかにする。
    そのために, 車いすバスケットボール選手 (若田瞳さん, 仮名) からの聞き取り調査, 個人史の確認を目的とした, 関係者への聞き取り調査および, 関係文書・文献調査を行った。
    その結果, 次のようなことが示唆された。
    1. 重要な社会化のエージェントは時間経過とともに変化していること, また, 複数のエージェントが同じ時期に, 重層的に影響を及ぼしていた。
    2. 若田さんは社会化される個人であると同時に, 自らをスポーツへと社会化していく主体的個人でもある。
    3. 二分脊椎という先天的障害のあった若田さんにとって, 低年齢時のリハビリテーションは, その後のスポーツ活動に重大な影響を及ぼしていた。
    4. 統合された, 遊び, 運動, 教育 (体育) の場での相互作用過程は若田さんのスポーツ的社会化 (スポーツへの社会化および,スポーツを通しての社会化) に大きな影響を与えていた。
    5. スポーツへの社会化過程は文化, 制度, コンテクスト, エージェントと関連しあっていた。
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  • 古川 岳志
    6 巻 (1997) p. 84-96,129
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    競輪は, 終戦後の日本で, 公的な資金集めを目的に誕生した公営競技である。誕生以来急激に巨大化し, 今やプロ競技最多の選手層を擁する競技となっている。しかし, 初期に騒擾事件などが頻発したことなどによって, これまでマイナスイメージを付与されてきた。スポーツとして扱われることも, ほとんどなかったのである。
    競輪運営者は, このようなイメージを払拭するため, 様々な施策を行ってきた。まず, 不正レースが存在するのではないかという, ギャンブルの対象として致命的な疑念を取り除くことが必要とされた。誕生時には極めて未熟だった運営組織や審判制度, 選手の管理などは, 初期に起こった事件に対応する中で, 整備されてきたのである。1970年代以降に人気が低落化すると, 選手層の細分化を図って実力伯仲のレースを組み, 選手間の競争意識を高める改革も行った。これは, よりギャンブルの対象としての面白味を増す為に, つまり, 結果の予想し難さを確保する為になされた改革であった。また, 近年では, 海外の自転車競技界との繋がりを深め, KEIRIN という名を持つギャンブルの対象ではない競技種目が誕生した。ギャンブルの対象としての競輪も, 現在大きな質的転換をせまられているのである。運営者側は, これらを受けてスポーツとしての競輪をアピールするイメージ転換戦略に取り組んでいる。
    本稿では, 競輪の競技としての変容過程を, 運営者側の施策に焦点をあててたどり, ギャンブルの対象であったことが, どのように影響してきたのかを考察する。
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  • 海老島 均
    6 巻 (1997) p. 97-102,130
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    北アイルランド問題を作り出してきた, ナショナリスト, ユニオニスト間の見解の相違は根深いものがある。政治的解決になかなか進展を見ないという現実を, この2つのコミュニティを分断してきたファクターに帰結させることは, 一見端的に思えるが, 大方, 正確な把握と言えるであろう。
    本研究ノートにおいては, この分断に関して, スポーツが関与した重要性及び, それぞれのコミュニティが, その個別性を表現する手段としてスポーツを利用してきた過程の概要を明らかにしようとしている。そして, 社会において重要な役割をしているシンボリズムが, この過程から派生している。
    3つの異なったスポーツが, この文化現象を例示するのに選択された。つまりGAA (Gaelic Athletic Association), ラグビー (ユニオン), サッカーである。これらのスポーツは全て, アイルランド中で (北も南も) プレーされていて, 双方の文化, 歴史において, 独特な形で絡み合っている。
    GAAは, 伝統的に, ナショナリストのスポーツであり, 彼らの文化的アイデンティティを強化する手段として使われてきた。この目的は, あまりにも完壁に達成されてきたので, ユニオニストの伝統においては, 自分たちのコミュニティを裏切ることなしに, GAAをプレーすることは不可能に等しかった。ラグビーは, その異なった信条や伝統にも関わらず, 表面的には南北統一チームをつくり出してきた。しかし, 実際には, これは現実を反映しているとは言えない。つまり, ナショナリストは, 自分たちのコミュニティに逆らうことを恐れて, ラグビーをプレーすることを避けてきたからである (特に北では)。サッカーは, 2つの代表チームと組織を有し, より現実的方法で, 実際の社会状況を反映していると言えよう。
    別々の教育システムが, 社会の文化的分断を継続させているキー・ファクターであることに着目する必要性があり, ある意味では, セカンダリー・スクールにおけるスポーツ種目の選択が, 特に北アイルランド社会に根づいた文化的多様性を強化する働きをしてきた。
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