日本古生物学會報告・紀事
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1944 巻 , 30 号
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  • Yatsengiaの1種の記載
    湊 正雄
    1944 年 1944 巻 30 号 p. 21-25_1
    発行日: 1944年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    筆者は先に北上山地に於ける二疊系を3分し, 坂本澤・叶倉・登米統となし, 叶倉統は岩質及化石内容に依り更に合地澤・岩井崎・小演階に區分される亭を述べた。此の中岩井崎階に於いては, Yabcina, Vcrbccbina等の紡錘蟲と並んでWaagenophyllum, Wentzelella及びWentzelelloides等の珊瑚類が示準者として重要な役割を演じてゐるが, 猶其の他にYatsengiaの1種が是等と併せて可成り廣く分布してゐる様子なので茲に其の記載をなした次第である。記載は筆者の採集品の他に, 東北帝大理學部地質學古生物學教室の所藏標本にも據つた。該種は樂及黄が中國・南京丘陵地の棲霞石灰岩より記載したYatsengia kiangsuensis YOH.に殆ど一致するけれども, 猶完全なる同定は暫く將來にまちたい。中國に於いてはYatsengiaは棲霞石灰岩に限つて産出するに封し, 日本に於いてはYabeina, Waagenophyllum, Wentzelclla等と共存する事は興味深い。
    猶此の短報に於てはCorwenia, Waagenophyllum, Yatsengia等の屬め識別にDissepimenteの形態及びDissepimentenzoneの厚薄が, 大切な目印であるとの筆者年來の見解を述べておいた。又記載に於いては各固體の大いさに應じてのSeptenの數及びColumellaの形態上の変化に就いて特に注意しておいた。
  • 小林 學
    1944 年 1944 巻 30 号 p. 26-28
    発行日: 1944年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    群馬縣北甘樂郡小坂村中小坂虻田のLepidocyolina石灰岩は古くより知られ, 有名な矢部長克・半澤正四郎雨博士の研究がある。數年前藤本治義博士と共に碓氷川・鏑川流域の第三紀層を調査した時, このLepidooyolina石灰岩の東方延長線と思はれる大桁山 (835m) の東側古田村小倉の谷にも同様のLepidocyclina石灰岩の存在を知り, 更に共の東南方高瀬村井戸澤の富岡層下部の石次質礫岩にもLepidooyclinaの存在を知つた。以上の3ケ所の他に此の度中小坂虻田の西南方2km北甘樂郡小坂村大李松尾澤に於いて, 更にLepidocyclina石灰岩の存在を發見したので此處に報告する次第である。
  • 野中 諄一
    1944 年 1944 巻 30 号 p. 29-32
    発行日: 1944年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    昭和17年度東京帝大理學部地質學科中期學生志水次郎, 故橋本公久雨君は五日市近傍の地質調査中同地西北方の所謂白丸古生眉帯より3種の腕足類化石を發見したがその鑑定結果は次の如くである。
    a) 高明山山頂神社東側, 汚褐色珪質堅硬石灰岩:Hustedia(?)sp.
    b) 馬頭刈山北1100米通稱小宮澤, 白色結晶質石灰岩:Squamularia cf. asiatica CHAO, Dielasma new species.
    同地域の層序, 構造及び古生代有孔蟲化石に關しては既に藤本博士の御研究があり, 又今囘の調査の結果は地質學雜誌, 昭和18年9月號に發表せられた通りであるが, 白丸古生層帯は有孔蟲化石に依ればモスコウ階から上部二疊系までを含み構造複雜で逆轉を示してゐる処もある。併しながら本化石産出石灰岩は略々同ー層準に位し高明山に於ては二疊紀を指示する有孔蟲化石を共産する事に依り上記腕足類も亦二疊紀 (嚴察なる意味のウラル世を含めて) に屬ずるものと考へられる。
  • 野中 諄一
    1944 年 1944 巻 30 号 p. 33-36
    発行日: 1944年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    満洲國熱河地塊の太子河系=平安系層序論は1935年頃より漸く其の緒に就いた。最近張麗旭學士, 次いで桐谷文雄學士に依つて確認された其の基底の南票フェーズの不整合は東亜地史上極めて重要な新事實である。又野田光雄・皆川信彌兩學士に依つて漸く下表の如き層序區分と東亜他域の平安系との封比論が提案された。
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