本稿では,文の否定辞のスコープの拡がり方を観察することにより,日本語において,主要部移動と名詞句移動の存在を確認することができることを論じる。日本語の否定辞は主要部移動を起こす要素で,移動が起こるかどうかによって,そのスコープの拡がり方が異なる。否定のスコープ内でのみ認可される否定極性表現の振る舞いから,日本語では,形容詞から脱範疇化により文法要素となった否定辞は主要部移動を起こし,形容詞の範疇的性質を残す否定辞は移動を起こさないこと,および,日本語の主語は,時制辞が主格の項を認可する場合に,文の主語位置への移動を起こすことを示す。また,「なる」に節が埋め込まれた複文では,主語の移動が起こった場合に,主節の主語位置に移動する構文と主語が埋め込み節内でのみ移動する構文があることも示す。
本稿では,ジンポー語(北ビルマ:シナ・チベット語族)における,音素目録のギャップ,接頭辞の形態音素交替,レキシコンにおける類似回避など,複数の音韻現象を無気音化という観点から統一的に説明することを試みる。音素目録のギャップに基づき,同言語の無声摩擦音が,有気閉鎖音同様,音韻的に[+spread glottis]の指定を持つと考えることで,有気閉鎖音と無気摩擦音が関与する複数の接辞交替を[spread glottis] tierにおけるOCP効果の観点から説明する。同時に,本稿ではジンポー語のレキシコンにおける[spread glottis]の分布の偏りを指摘し,同現象が[spread glottis] tierにおける複数の[+spread glottis]に対する制約として説明可能であることを指摘する。
言語知識が二項的(binary)であるか,あるいは確率的(stochastic)であるかという問題は,言語学研究における最も重要な問題の1つである。実際,音韻知識は確率的であると主張する研究が,過去数十年で増えてきている(Hayes & Londe 2006など)。このような一連の研究の成果を生かし,本研究では,日本語において,段階的な(gradient)音韻知識が語形成のパタンに影響を与えることを示す。具体的には,子音やモーラ単位の同一性回避(identity avoidance)の効果が,日本語におけるグループ名形成と連濁という2つの語形成のパタンに影響を与えることを示す。これらの語形成パタンでは,OCP制約の違反が重なって生じている(Coetzee & Pater 2008)と仮定し,本研究では,これについて,「最大エントロピー文法(Maximum Entropy Grammar)」(Goldwater & Johnson 2003)の枠組みによってモデル化する。また,本研究は,このような理論的貢献に加えて,これまでに生成音韻論の視点から分析されたことがなかったグループ名形成の記述的価値も持つ。