植物研究雑誌
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73 巻, 5 号
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  • 原稿種別: 表紙
    1998 年73 巻5 号 論文ID: 73_5_9273
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 鄭孝基 , 鄭載珉 , 鄭明基
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 241-247
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    韓国鬱陵島固有の3種(タケシマブナ,オオスハマソウ,タケシマホタルブクロ),韓国では鬱陵島のみに産する2種(ヒメコマツ,ズダヤクシュ),および韓国内の産地が限られているイブキジャコウソウの計6種の植物について,保全生態学的見地から島内の集団の遺伝的多様性を酵素多型により調査した.その結果,タケシマブナとヒメコマツでは他地域で報告されている同属の植物と同程度の比較的高い遺伝的多様度を有することがわかったが,他の4種では集団内の遺伝的多様度は低かった.後者の理由としては,創始者効果,個体群サイズが小さいことによる遺伝的浮動,内交配等が考えられる.

  • 大橋広好
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 248-258
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    ナハキハギ属はアジアからオーストラリアに18種があり,インドシナが分化の中心と考えられている(Ohashi 1973).これまでフィリピンには2種あるいは3種と記録されているが,さらに1新種を発見した.そこで,フィリピンのナハキハギ属植物を分類的に再検討した.本論文では,フィリピンに1新種を含む4種が生育することを明らかにし,各種に対して検索表,正名,異名,記載,主な標本,などを記録した.以下にこれらの各種について少し解説を加えたい.

     Dendrolobium cumingianum Benth. はルソン島の固有種で,ナハキハギに似るが,小葉は小型(ナハキハギの約1/2)で,果実は2-3個の小節果(ナハキハギは3-8個)からなる.ナハキハギからルソン島で分化した種であると推定している.この類縁関係によく似た種分化のパターンが台湾でもみられる.台湾南部には固有種Dendrolobium dispermum (Hayata) Schindl. が分化しており,この種はナハキハギに最もよく似ている.Dendr. dispermum はその種形容語のように果実は2個の小節果からなり,小葉がナハキハギよりも小型である.海岸に生えるナハキハギに対して,D. dispermum は海岸近くの丘陵地に生える.D. dispermum は台湾南部でナハキハギから分化した種であろうと考えている.ルソン島と台湾とで,ナハキハギからそれぞれの固有種が分化したと考えられる現象は関連があると推測でき,興味深い並行進化の実例と考えている.これら3種の関係はDNA分析を用いて相互関係を調査してみる必要がある.Dendrolobium geesinkii H. Ohashi はルソン島で1986年に発見された.1988年採集者から同定を依頼され,直ちに新種と判断したが,資料不足のため発表を保留していた.1993年5月にルソン島に出掛け,原標本の採集者に同行したE. Reynoso 氏に案内していただいたが,原産地(私有地)に入れず,隣接の地域では発見できなかった.後に,サマル島で既に1883年に採集された標本を Kew で見付けた.まだ花と成熟した果実・種子を観察していない不完全な状態であるが,新種として記載した.この種はフィリピン固有種の Dendrolobium quinquepetalum (Blanco) Schindl. に最もよく似ている.D. quinquepetalum はニューギニアとオーストラリア東北部からも報告されていたが,それらは別種のD. arbuscula (Domin) H. Ohashi であることが分かり,ルソン,ミンドロ島の固有種であることがはっきりした.D. quinquepetalum は短縮して散形花序状となった総状花序を単位とする複総状花序をもつ.これはナハキハギ属で最も複雑な花序であり,最も単純な D. geesinkii の単純な花序(2-4花をつける散形花序)との間には著しい花序構造の変異がみられる.マメ科における花序進化のよい研究材料と考えている.残る1種は沖縄にも分布するナハキハギ Dendrolobium umbellatum (L.) Benth.である.本種はこの属の中で最も分布の広い種で,海岸に生育する.果実がコルク質で厚く,海水に浮くため,海流に乗り,分布を拡げたためと考えられている.しかし,ナハキハギは分布域が広いことと対応して,形態的な変異の幅も広い.小葉の形,小葉の側脈の発達程度,小葉裏面の毛の密度,果実の大きさなどの変異が明らかである.この変異は地域ごとにある程度のまとまった傾向を示しているようにみえる.

  • 大橋広好
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 259-263
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    Desmodium bolsteri Merr. & Rolfe はこれまで属内で分類学的位置のはっきりしていない種であった.本種はフィリピンのルソン島に稀産する固有種である(既に絶滅した可能性もある).本種の分類学上の位置について,Merrill(1910)はヌスビトハギ属 Dollinera 亜属に属するものと考え,van Meeuwen(1962)は所属不明とし,Ohashi(1973)は Sagotia 亜属に属し,シバハギDesmodium heterocarpon (L.) DC. に近いとした.また,ロンボク島,ルソン島,海南島に知られているTrifidacanthus unifoliolatus Merr. にも似ている点がある.本研究では,花,花粉,果実の形態を主に比較して考察した結果,本種がヌスビトハギ属 Sagotia 亜属の Heteroloma 節に属すると結論した.本論文では,同節に含まれるアジア産の全種の区別を検索表で示した.また,従来の本種の記載(Ohashi 1973)を補足した.

  • 遠藤泰彦 , 大橋広好
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 264-269
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
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    マメ科植物の,成熟した休眠中の種子中の子葉には,ドーム状に隆起した表皮細胞が集まり,楕円形の小区画を成している状態が認められる.この構造は子葉の背軸面で,かつ中央脈の直上に位置している.これを cotyledon areole と命名した(Endo and Ohashi 1997,p. 527).これまでにマメ科マメ亜科植物の23連から報告されている(Endo and Ohashi 1998).しかし,その機能は不明であり,分類学的意義に関する研究も端緒についたばかりである.本研究では,同構造の存在が認められた23連から各1(または2)種を選択し,cotyledon areole の解剖学的特徴の変異を詳細に調べた.(1) cotyledon areole構成細胞は周囲細胞とサイズが異なる.すなわち,表皮の細胞は,より大きいか,あるいはより小さい.また,下皮と主脈へ向かう数層のcotyledon areole細胞は,通常,その周囲の細胞に比べ小型となるが,稀に,下皮細胞のみがより大型となる.(2) cotyledon areole 細胞の染色性は多くの場合周囲の細胞と異ならない.しかし,鉄ヘマトキシリンで染色されない顆粒を cotyledon areole 細胞にほとんど含まない数種では cotyledon areole 細胞は濃く染色されることにより周囲の細胞からはっきりと識別できた.

  • 御影雅幸 , 毛塚重行
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 270-278
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    ネパール産のセリ科ミシマサイコ属(Bupleurum)8分類群の葉を比較組織学的に検討し,本属の組織分類学的な要素を明らかにするとともに,ネパールの高山帯で薬用として利用されているチベット薬物 TUNAK CHUNGA の基源解明を試みた.その結果,組織学的には茎の中央部付近の葉において,横切面における主脈部や葉縁部の形,厚角組織の発達状態,油道の存在数,乳状突起の有無や上面の気孔の分布数などの形質で全種を分類することが可能であった(Table 1).また TUNAK CHUNGA の基源は,ネパール高山帯の本属植物では資源的にもっとも豊富なB. falcatum subsp. falcatum var. gracillimum の全草であることが明らかになった.本種はチベット薬物の原植物としての初めての記録である.

  • 松山和世 , 松岡孝典 , 宮地和幸 , 田中次郎 , 有賀祐勝
    原稿種別: 原著
    1998 年73 巻5 号 p. 279-286
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    日本産シオグサ科藻類4属14種のピレノイドの微細構造について透過型電子顕微鏡による観察を行った.シオグサ科藻類のピレノイドは二裂型(チラコイドが1枚貫入した基質を2つのデンプン鞘が囲む),二裂型+多層型(平行に複数のチラコイドが貫入した基質を複数のデンプン鞘が囲む),単純多裂型(複数のチラコイドが貫入した基質を複数のデンプン鞘が囲む),複雑多裂型(湾曲した複数のチラコイドが複雑に貫入した基質を複数のデンプン鞘が囲む)の4型があった.ジュズモ属,シオグサ属,ネダシグサ属内には種により3~4型のピレノイドが観察された.

  • 武内康義
    原稿種別: 短報
    1998 年73 巻5 号 p. 287-288
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 武内康義
    原稿種別: 短報
    1998 年73 巻5 号 p. 288
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 門田裕一
    原稿種別: 短報
    1998 年73 巻5 号 p. 288-290
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 山崎敬
    原稿種別: 短報
    1998 年73 巻5 号 p. 291-296
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
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  • 八田洋章
    原稿種別: 追悼
    1998 年73 巻5 号 p. 297
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー

    原 襄先生は1931年8月29日,東京に生まれ,1998年6月8日,川崎市の病院で亡くなりました.まだ66才という若さでした.ここ数年来短期の入退院を繰り返してはおられましたが,元気そうで,訃報に接したときは一同驚きと,深い悲しみに襲われました.

     先生は1953年東京大学理学部生物学科(植物学)を卒業,同大学院に進まれ,小倉謙教授(修士課程),亘理俊次教授(博士課程)に師事されました.その後お茶の水女子大学助手,東京大学教養学部助手・助教授を経て1980年同学部教授に就任,1992年退官後は明星大学一般教育生物学教授を勤めてこられました.その間,日本植物学会の幹事長や編集委員長を,また日本植物形態学会の創設にも尽力され,1988年より1991年の間は学会長を歴任されました.

     先生はツツジ科,オニシバリ,リョウブ,イチョウ,アオキなど比較的身近な材料を用い,一貫して「茎頂分裂組織と葉の初期発生」を基本テーマに研究を続けられました.学究としての先生は大変謹厳で御自分の研究領域を大切にされ,植物形態学の最も基本的と思われる細胞分裂と成長との接点の解析に多大の功績を残されました.先生の原著論文の大部分は『植物学雑誌』に発表され,一部は雑誌『Nature』にも掲載されています.著書としては『植物の形態』(1972),『植物形態学』(1994)などがあり,大切な教科書として広く利用されています.『岩波生物学辞典』や,『文部省・学術用語集』などの分担執筆もされました.また先生は『植物の形-茎・葉・根・花』(1981),『植物観察入門』(1986共著)などを通して植物の形態をやさしく語ることにもつとめられました.

     私が先生にお会いしたのは1976年,初めて出席した富山での植物学会で,アオキの成長の様子を発表されているのを聞き,自分のヤマボウシそっくりだと思ったのがきっかけでした.以来すんなりと受け入れてくださり,20数年が経ちました.私の最近出た『木の見かた,楽しみかた』(朝日選書599)は原襄先生を意識し,先生に校閲してもらおうと最初から決めていました.私のささやかな先生へのご恩返しのつもりでもありました.そしてよく勉強しているとほめてくださり,「私ももっと自由に(形態学にこだわらずに)自分の好きなことを進めておれば,きっと八田君の仕事に近いことをやったと思う」と話されました.

     今年の3月28日横浜のお宅に伺い,最後の(本の校正の)ご厄介になりました.その際,以前から声をかけて下っていた共著書の構成について議論した後「途中で自分がいなくなったら,八田君が仕上げて欲しい.医学の進歩のお陰で,まだまだ三途の川をわたることはないと思うけど」と何気なく言われたのを今は寂しく思い出します.先生の訃報に接したのはタイ国出張の前日で,ご葬儀にも出られず心残りでした.出来あがった本が届いた時には,先生はすでにそれを喜んで下さる状態ではなかったと奥様に伺い,悔やまれました.心から先生のご冥福をお祈り致します.

  • 金井弘夫
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 298
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 金井弘夫
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 298-299
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 金井弘夫
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 299
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 金井弘夫
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 299
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 千原光雄
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 299-300
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 金井弘夫
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 300
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
    ジャーナル フリー
  • 近藤健児
    原稿種別: 新刊
    1998 年73 巻5 号 p. 300
    発行日: 1998/10/20
    公開日: 2022/10/21
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