様々な国や地域に生産や流通の拠点を持つ多国籍企業は、技術の発展や向上、雇用の拡大、合併、買収、連携などの事業の再編成により世界経済に大きな影響を与えてきた。多国籍企業は、多様な国・地域に進出することで、それぞれの地域社会で生活する市民や団体、地場企業などの価値観や行動様式が大きく影響を受けている。特に新興国に進出した多国籍企業は、現地社会の生活水準の向上、新しい社会の仕組み作りに貢献している。しかし、既存研究では、多国籍企業の諸活動による現地制度の構築プロセスへの影響に関する分析は限られている。本稿の目的は、多国籍企業が進出した新興国の現地社会のステイクホルダーとの相互作用を通し現地制度の構築プロセスにどのように関与しているか、その主たる要因とそ
れらの因果関係につき検討することにある。
そこで本稿では、まず制度理論をレビューし、既存の制度を所与の存在と捉えず、状況に応じて変革を試みる制度的企業家に着目する。次に多国籍企業論をレビューし、多国籍企業が制度的企業家として、進出した現地社会の様々なステイクホルダーと相互作用し、新たな制度構築に関与するプロセスについて検討し、リサーチギャップを導出する。
研究方法としてケース・スタディを採用し、事例としてアジアの様々な新興国市場に参入している流通大手のイオンがタイで展開する金融事業(タナシンサップ)を取り上げる。金融は一般に規制産業であり、社会インフラの整備が途上である新興市場において、制度が構築されていくプロセスを観察する上で適したケースである。タナシンサップは、低所得者に対する無担保与信が一般的でなかったタイにおいて、制度構築に努力した。無担保与信の対象となる生活者、金融制度を管轄する官庁と相互作用をし、生活者、運営する企業(タナシンサップ)にとって使い易い制度を段階的に作り上げている。
本稿は、認知の限界を認識し、システムの簡便化を進め、低コスト構造のビジネスモデルを作ることでステイクホルダー(顧客と取り扱い店)を漸進的に増加させること、そして主要なステイクホルダーと地道に相互作用を繰り返す活動が、多国籍企業の制度的企業家としての重要な要素であることを発見した。
抄録全体を表示