イオン照射誘起マルテンサイト変態は,鋼の組織状態図から,照射イオンの注入による組成変化に起因する合金化効果の結果生ずると当初考えられた。しかしながら,この合金化効果以外に,希ガスイオン照射の場合の微粒子形成によるひずみ効果,さらには,照射欠陥の蓄積によるひずみ効果等によって,マルテンサイト変態が起こることを実験的に初めて確証することができた。
これらの成果に基づき,オーステナイトのすぐれた諸特性を保持したまま,ステンレス鋼表面に強磁性で非常に硬いマルテンサイト組織を,再現性よくつくることが可能になった。
イオン照射技術の特長は,イオン電流や加速電圧等を組合せ,いろいろな照射条件を選択,制御できる,その操作性のよさにある。このイオン照射誘起マルテンサイト変態を利用し,例えば,ステンレス鋼表面をマルテンサイト組織で覆えば,鋼の表面硬度が増し,強靱化を達成することになり,鋼材の応用範囲が広がることが考えられる。また,常磁性オーステナイト相上をイオンビームスキャンすることで,容易に強磁性マルテンサイト相を形成できることから,一種の永久磁気記録法としての可能性もありうる。
最後に,本研究は,イオン照射においてイオンの注入に伴う照射欠陥の生成とその挙動が,物性変化に対して著しく作用していることを,具体的な事象として明らかにしたものである点を強調しておきたい。欠陥挙動の制御が,従来考えられていた以上に重要であることが,現在我々が進めているイオン照射実験からも明らかにされつつある。
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