宗教研究
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97 巻, 1 号
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論文
  • 清田 政秋
    2023 年 97 巻 1 号 p. 1-26
    発行日: 2023/06/30
    公開日: 2023/09/08
    ジャーナル フリー

    従来本居宣長は仏教批判者とされ、また宣長自身が自らの学問への仏教の影響を語らないために、宣長研究は仏教を考慮外に置いてきた。それに対し漢学との関係は、宣長が京都で医学修行の基礎として学んだ関係からよく研究された。しかし宣長の学問は仏教と深く関連し、それを追究すれば宣長について従来とは異なる新たな知見が得られる。それは宣長にとって仏教とは何であったかの追究でもある。本稿は宣長の学問の出発点である「物のあはれ」説を取り上げる。「物のあはれ」説には膨大な先行研究があるが、まだ十分明らかになっていない問題がある。宣長は、その説は藤原俊成の「恋せずは人は心もなからまし物のあはれも是よりぞ知る」の歌がきっかけになったと語る。だが研究史では俊成の歌からいかにして「物のあはれ」説が成立したかは十分解明されていない。本稿はその成立に『摩訶止観』の心の有り様と感情をめぐる仏教の哲学的思考が関わることを明らかにする。

  • 篤胤のコスモロジーにおけるウブスナ神の位置をめぐって
    増田 友哉
    2023 年 97 巻 1 号 p. 27-49
    発行日: 2023/06/30
    公開日: 2023/09/08
    ジャーナル フリー

    本稿は平田篤胤(一七七六―一八四三・安永五―天保十四)の思想における、ウブスナ神という存在に注目し、篤胤の思想においてウブスナ神が担った役割を捉えなおす事を目的とする。その際、篤胤が近世社会におけるウブスナ神の受容から発展させた逸脱を捉える。また、篤胤のウブスナ神に関する語りを民俗や怪異の探求という視点のみで捉えるのではなく、篤胤が神話の解釈を基に創造したコスモロジーにおける、ウブスナ神の位置や役割を明らかにすることに本稿の目的がある。篤胤は世界生成の根源神であるムスビ二神の意志に基づき、オホクニヌシが人間の死後を掌り、そしてその役割をウブスナ神に委譲したと考えたのである。本稿の結論は、篤胤が近世人の日常生活に身近なウブスナ神を媒介として、自らを含む民衆一人一人の生死を、『古史伝』で創造したコスモロジーへと架橋することを可能としたということである。

  • 角田 佑一
    2023 年 97 巻 1 号 p. 51-74
    発行日: 2023/06/30
    公開日: 2023/09/08
    ジャーナル フリー

    本論の主題は、曽我量深(一八七五―一九七一)の「日蓮論」における日蓮本仏論の構造を解明することである。曽我は近代日本を代表する浄土真宗の教学者である。彼は二〇歳代の頃、日蓮研究を行い、同時代の日蓮主義から影響を受けて、自らの日蓮理解を深めていった。曽我の「日蓮論」(一九〇四年)において、彼の日蓮理解はさまざまに変化するが、最終的に彼は「日蓮本仏・釈尊迹仏」の見解を示す。筆者の解釈では、曽我の述べる「日蓮本仏・釈尊迹仏」の基盤には以下のような構造があると考えられる。すなわち、日蓮が自らの罪悪と無力を自覚して題目を受持するとき、久遠実成の如来を自らの主体として認識し、「本仏」としての自覚に至る。そのうえで、日蓮は久遠実成の釈尊を客体として認識し、釈尊を「迹仏」であるとみなす。曽我の日蓮本仏論の特色は、日蓮の罪悪と無力の自覚、題目受持、「本仏」としての自覚が相互に深く結びついている点である。

  • 真宗大谷派の『宗憲』改正過程と川島武宜の議論に着目して
    宮部 峻
    2023 年 97 巻 1 号 p. 75-98
    発行日: 2023/06/30
    公開日: 2023/09/08
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、一九八一年に改正された真宗大谷派の『宗憲』の改正過程を事例に、法学が教団組織の近代化に与えた影響を考察することである。大谷派の『宗憲』改正、それによる宗務機構の近代化は、精神主義運動を展開した清沢満之のエートスの影響に着目して論じられてきた。しかし、大谷派の『宗憲』改正は、宗教的権威である法主が宗教法人の代表を兼ねることをめぐって生じた。本願寺の歴史的状況、明治以来の法整備の過程で生じた法主の地位について、教学・教団史にもとづいて問い返すだけでなく、法律上の位置づけについても見直す必要があった。法学の立場から『宗憲』改正に重要な役割を果たしたのが法社会学者の川島武宜であった。本稿は、『宗憲』改正過程に照準を合わせて、『宗憲』改正に対して法学による正統化が必要とされた背景、教学と法学それぞれの立場がどのように正統化したのかを論じる。この作業を通じて、仏教教団の近代化を宗教と法の関係史の文脈に位置づける。

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