本論では、曹洞宗における「食」と修行との関わりを道元の説いた食時作法(じきじさほう)の伝統が受け継がれているとされる永平寺を例に検討する。食に関わる語彙を日常のそれと比較し、応量器を用いた僧堂飯台(そうどうはんだい)における儀礼や偈文、禁忌を取り上げつつ、料理を準備し、給仕する浄人(じょうにん)の所作に焦点を当てる。そして食時作法と呼ばれる一連の儀礼が食べ物や食器を聖化する役割を果たし、伽藍のもつ仏・菩薩—僧侶—鬼神という仏教的なパンテオンを身体化する営みとなっていることを明かにする。
本論後半では、菜食と粗食という二つの意味を包含する「精進料理」という言葉の歴史を辿り、「精進料理」なる語が「他者表象」として用いられることで、食べ物と食べ方が一体化した仏教的な「食」のあり方から世界観や儀礼の多くを濾過して「料理」を抽出する役割を果たしたこと、近代以降は「日本料理の源流」の一つとされることでナショナリズムの文脈を帯びてゆくことを論じる。
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