宗教研究
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90 巻, 2 号
特集:食と宗教
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
論文〔特集:食と宗教〕
  • 編集委員会
    2016 年 90 巻 2 号 p. 1-2
    発行日: 2016/09/30
    公開日: 2017/09/16
    ジャーナル フリー
  • 薬物依存にとりくむ仏教パンク
    葛西 賢太
    2016 年 90 巻 2 号 p. 3-27
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    依存症は、食のあり方の異常が、生き方や人間関係、人としての責任能力の上での問題として現れることが多い病理である。薬物依存からの回復を目指す仏教的なアプローチを検討する。米国の瞑想指導者ノア・レヴァインは、青少年時代の非行・犯罪と薬物・アルコールの濫用から回復するため、キリスト教の儀式から学んだ依存症回復プログラム「十二のステップ」と、仏教瞑想とを学び、両者を統合するプログラムを工夫、彼同様に苦しむ若者に瞑想を伝える努力を払っている。人としての困難に向き合わず困難を避け麻痺させる行為(薬物使用)の反復が依存とみる。依存は仏教でいう苦であり、仏教の三宝(仏—現実と向き合う仏の智慧、法—十二のステップや四諦八正道、僧—回復を目指す共同体)への帰依(尊重)が回復への道であると説く。パンクロック音楽を愛好する彼は、既存の価値観を問いなおす仏教とパンクロックとの間に共通点も見いだしている。

  • ミャンマーを事例として
    藏本 龍介
    2016 年 90 巻 2 号 p. 29-54
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    上座仏教の出家者は、律と呼ばれるルールによって、「食」の獲得・所有・消費方法について、種々の制限を課されている。そしてこうした律を守る出家生活こそが、上座仏教の理想を実現するための最適な手段であるとされる。しかしだからといって、出家者は霞を食べて生きていけるわけではない。ここに上座仏教の出家生活が抱える、「食」をめぐる根深いジレンマがある。それでは現実の出家者たちは、「食」をめぐる問題にどのように対応しているか。そしてそれが出家者の宗教実践をどのように形づくっているか。本論文ではこの問題について、現代ミャンマーを事例として検討する。こうした作業を通じて、宗教/世俗を二項対立的に区別する発想では捉えられないような出家者の仏教実践の一端について、具体的にはなぜ出家し、どのようなライフコースを辿るのか、そして出家者の生活の基盤である僧院組織の構造がどのように規定されているのかといった諸点を明らかにする。

  • 宗教的性格を探求する
    田中 雅一
    2016 年 90 巻 2 号 p. 55-80
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、侵犯的な宗教性について理解することである。ここで取り上げる供犠は、おおきく聖化と脱聖化の儀礼に分かれる。前者は神に近づき、聖なる力を獲得する道を提示するのに対し、後者は罪や不浄を取り除く。聖化では、神の力が充溢している供物の残滓を分配し、消費する。脱聖化では、残滓に罪や不浄が吸収され、家屋や寺院の外に放置される。しかし、儀礼の目的が脱聖化かどうか不明だが、残滓が摂取されない場合がある。それはヴェーダの神々や、憤怒の相を表す下級の神々を鎮めるための儀礼である。シヴァ神については、残滓はニルマーリヤと言い、これを受け取るのはチャンダとかチャンデーシュヴァラと呼ばれる聖人だけである。彼はシヴァの聖者の一人である。本来忌避すべきニルマーリヤを受け取るのは、侵犯的な信愛(バクティ)の表れの一つと言える。本稿では、供犠の残滓に注目することで規範の侵犯に認められる宗教的性格について考察する。

  • 僧堂飯台、浄人、臘八小参、「精進料理」をめぐって
    徳野 崇行
    2016 年 90 巻 2 号 p. 81-105
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    本論では、曹洞宗における「食」と修行との関わりを道元の説いた食時作法(じきじさほう)の伝統が受け継がれているとされる永平寺を例に検討する。食に関わる語彙を日常のそれと比較し、応量器を用いた僧堂飯台(そうどうはんだい)における儀礼や偈文、禁忌を取り上げつつ、料理を準備し、給仕する浄人(じょうにん)の所作に焦点を当てる。そして食時作法と呼ばれる一連の儀礼が食べ物や食器を聖化する役割を果たし、伽藍のもつ仏・菩薩—僧侶—鬼神という仏教的なパンテオンを身体化する営みとなっていることを明かにする。

    本論後半では、菜食と粗食という二つの意味を包含する「精進料理」という言葉の歴史を辿り、「精進料理」なる語が「他者表象」として用いられることで、食べ物と食べ方が一体化した仏教的な「食」のあり方から世界観や儀礼の多くを濾過して「料理」を抽出する役割を果たしたこと、近代以降は「日本料理の源流」の一つとされることでナショナリズムの文脈を帯びてゆくことを論じる。

  • 平野 直子
    2016 年 90 巻 2 号 p. 107-130
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、スピリチュアリティ研究の対象としてよく取り上げられる、オルタナティブな食実践における身体観を取り上げ、そこに見られる〈現代の社会システムのなかで流布している通常医療や科学の言説における身体観を乗り越える〉という言説について検討を加える。

    食を含むオルタナティブな療法や身体実践においては、身体を「自然なもの」と見て、それを見つめ直すことにより、より良い身体やライフスタイルを作り上げることが提案される。しかしそもそも、言説から切り離された白紙の身体というのは有り得るのか。本稿ではこの点を検討すると同時に、実践者たちにとって重要なのは、自分自身やライフスタイルを再帰的に見つめ、管理し、絶えず作り直していくツールを消費し共有することであることを示す。

  • イスラーム的規範の多元性
    堀井 聡江
    2016 年 90 巻 2 号 p. 131-155
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    イスラームにおける酒の禁止は日本においてもよく知られている。事実、何らかのイスラーム化政策を必要とする現代のムスリム国家にとっては、酒の禁止は最もわかりやすくかつ簡単な方法である。しかし、逆に言えば多くのムスリム国家では酒が消費されており、製造や輸出がさかんな国まである。それはイスラームの戒律が守られていないというより、シャリーア(イスラーム法)自体が不統一だからである。

    本稿では次のことを明らかにする。イスラームの聖典クルアーンはワインの飲用のみを禁ずるが、その沿革および禁止の性質は不明確である。酒の禁止は、そこにイスラームの理想を求めた伝承主義運動の影響を通じてイスラーム法学の多数説となったが、ワイン以外の酒は酩酊しない限度で飲用を認めるハナフィー派の学説もシャリーアを構成していた。また、いずれの立場も飲酒罪に法定の処罰を科すことに対して現代のイスラーム主義者ほど積極的とはいえない。

  • 本多 彩
    2016 年 90 巻 2 号 p. 157-182
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    日本人移民の仏教徒、日系アメリカ人仏教徒によるアメリカ本土の仏教会を舞台とした、一世紀以上にわたる食の提供と継承と広がりを論じる。浄土真宗は食の厳格な戒律を持たないが初期真宗の史料には精進料理の記述がある。アメリカの浄土真宗では開教当初から食が登場しており食に関わる女性仏教徒や青年仏教徒の活動があった。宗教儀礼後や仏教会活動や移民社会に提供される食、個人のために作られた食があった。人が結びつくところで食の役割は重要である。定期的に開催される仏教会のバザーの中心は食であり仏教会を財政面から支援してきた。バザーでは日系社会や地域社会に対して食が提供され食が地域密着型アメリカ仏教の展開にも一役買っている。さらに仏教会における日系アメリカ人仏教徒の料理は口頭でそして明文化されて継承されてきた。仏教会では、様々な食事が場や食べる人のことを考えて調理、提供され続け、個人や社会をつなぐ力となっている。

  • 山我 哲雄
    2016 年 90 巻 2 号 p. 183-207
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/15
    ジャーナル フリー

    ユダヤ教の食物規定(カシュルート)は、主として(1)血の摂取、(2)肉類と乳製品の混合、(3)ブタなどの「穢れた」とされる動物の肉の禁忌を三本の柱とする。個々の禁忌の由来や理由には不明な点が多いが、旧約聖書では、いずれも問答無用の神の絶対的な命令と理解されている。旧約聖書の食物規定がほぼ今の形に体系化されたのは、いわゆるバビロン捕囚時代(前六世紀)であるが、このことは、国と土地を失って異民族、異文化の中で生きることを余儀なくされたユダヤ人捕囚民の状況と関連があろう。圧倒的優位にある周囲の異民族、異文化、異宗教に同化、吸収されないようにするために、彼らは食という、生活の最も基本的な要素を手掛かりとした。周囲と同じものを同じように食べないという生活様式を確立することによって、捕囚のユダヤ人たちは、自分たちの信仰と民族的同一性(アイデンティティ)を維持したのである。

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