宗教研究
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93 巻, 1 号
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
論文
  • 主に『日本書紀』「神代巻」の構造と解釈を通しての試論
    久保 隆司
    2019 年93 巻1 号 p. 1-24
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    本論は、近世初期の神道家・朱子学者の山崎闇斎が探究した「闇斎神学」を、闇斎が「神書」として重視した『日本書紀』(特に神代巻)の構造と解釈の観点から捉える試みである。井筒俊彦の「神秘哲学」概念を主な補助線として導入し、闇斎の構築した「天人唯一」の神学は普遍性を持つ神秘哲学の日本的展開であることを明らかにしたい。闇斎は普遍的真理の探究過程において、朱子学的「合理主義」の限界と葛藤し、超克することでその神学を形成したと考えられるが、具体的には、中世以来の神聖な行為としての『日本書紀』の体認的読解を、神秘哲学の構造上に取り込むことで、実践と哲学との統合を図ったとの解釈が可能となる。この観点から、闇斎神学の本質は、合理性を獲得した上で、神道的な学び・実践を通じて、その限界を超える意識の高みを目指すところにあることがわかってくる。本論では、闇斎神学とは、垂直段階的に構築された「神儒兼学」の統合体系であり、近世・近代における日本では稀有な神秘哲学体系であることの一端を考察する。

  • 明治後期における新仏教徒と釈雲照の交錯をめぐって
    亀山 光明
    2019 年93 巻1 号 p. 25-49
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    本稿が対象とする「正法運動」と「新仏教運動」は明治期を代表する仏教者の二大運動である。前者を指導した釈雲照(一八二七―一九〇九)は、江戸期の僧侶として前半生を過ごし、維新期における廃仏毀釈の嵐に際会すると、「戒律」の復興こそが仏教の復興につながると確信し、幅広い活動を展開した。他方で後者の新仏教運動は、保守的な教界に反発を抱く青年仏教徒たちによるユースカルチャーとして成立した。彼ら新仏教徒たちは雲照の思想を乗り越えるべき「旧仏教」と位置付けることで、その対立は先鋭化する。

    中世から近世にかけては、多くの律僧たちが戒律復興を試みたように、「戒律」は仏教刷新の中心的イデオロギーの一つであったことは注目に値する。そのため近代仏教において、「戒律」の位相を再検討することは、在家と出家者の区別が曖昧になるとされる日本仏教の近代への新たな理解をもたらすと考えられる。本稿はかかる問題意識の下に、明治期の二つの仏教運動の衝突の考察を試みるものである。

  • 角田 佑一
    2019 年93 巻1 号 p. 51-74
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    本論の主題は、清沢満之(一八六三―一九〇三)の『臘扇記』において「意念」がどのような内的構造を持っているのかを解明することである。清沢における「意念」は自由な意志のはたらきであり、本来如意なるものとして、不如意なるもの(財産、名誉、身体、生死など)との対立関係のなかで理解される。しかし、自己が新たな不如意なる現実に直面するごとに、本来如意なるものである「意念」の範囲が狭まり、「意念」の内的限界が認識される。そのような状況にあるとき、清沢は絶対無限の妙用に自己自身を托し、真の自己に目覚める。そこから、自己は再び不如意なるものとの対立関係のなかで、自らの新たな如意なる「意念」を見出す。このようなかたちで清沢の「意念」の理解は動的に深まっていく。

  • 改宗を語ることをめぐって
    志田 雅宏
    2019 年93 巻1 号 p. 75-99
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    中世キリスト教世界のユダヤ教文学では、キリスト教文化に対抗する言説がみられる。本論文では、そのなかで中世ユダヤ教の民間伝承に注目する。まず、『トルドート・イェシュ』というユダヤ版イエス伝では、「神の名前の使い手」としてのイエスの姿が描かれる。その物語は、福音書のイエス物語を題材とし、メシアとしてのイエスというキリスト教正典における描写を転覆させることによって、イエスをラビ・ユダヤ教の規範を逸脱する魔術師として語りなおすものである。次に、イエスの弟子たちの物語や中世ユダヤ教の指導者ナフマニデスの聖人伝を取り上げる。これらの民話は、中世ヨーロッパのユダヤ人が直面したキリスト教への改宗という問題と結びついている。そして、ユダヤ人の強制改宗者に対して宗教的な使命を見出し、その改宗を意味づけることや、改宗の歴史を逆転させたもうひとつの「歴史」を語ることをその特徴とする。

  • 神学・政治的な解決策
    加藤 喜之
    2019 年93 巻1 号 p. 101-124
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    自然法則を神の意志と密接に結びつけたデカルトの革新的な考えによって、「自然における悪」とそれさえ意志する「善なる神」という概念的な矛盾が生じてしまう。多くの初期近代の思想家たちはこれを悪の問題とみなし、様々な解決法を論じた。十七世紀オランダの哲学者スピノザもそのひとりである。しかし先行研究をみても、スピノザの悪の問題についての議論とその解決策を的確に論じているものはない。そこで本稿はその全体像を明らかにするために、まず、一六六四年から六五年にかけて交わされた在野の神学・哲学者W・ブレイエンベルフとの書簡を分析する。つぎに、『エチカ』(一六七七年)の第四部でスピノザが悪について論じた箇所に着目し、伝統的な哲学との理解の違いを確認する。最後に彼の『神学・政治論』(一六七〇年)をひらき、キリスト教会と悪の関係に光をあて、この問題の解決としての彼の国家論に注目したい。

  • デラコルダ川島 ティンカ
    2019 年93 巻1 号 p. 125-145
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    中・東欧の旧社会主義国では、かつて宗教統制がおこなわれていたものの、現在は宗教の多様化が進んでいる。ミサ参列率の低さにあらわれているように、組織宗教は独占的な立場ではなく、宗教の個人化傾向もみられる。聖地巡礼の盛行はこうした傾向を示しているものといえよう。本論では、ボスニア・ヘルツェゴビナの聖地メジュゴリエをとりあげ、巡礼における民衆宗教性について考察する。分析対象となるのは、スロベニアからのバス巡礼に参加した巡礼者たち、ツアー・リーダー、巡礼の経験者などである。巡礼者の動機や行動の観察を通じて明らかになったのは、巡礼者らが教会組織からの束縛を忌避し、自発的な宗教的体験を求める傾向を持っていることである。カトリックの公式な聖地ではないメジュゴリエの宗教的自由が、そのような巡礼者を惹きつけているといえる。絶対的な宗教的権威からはなれた個人的な宗教経験を求める姿は、スロベニアの民衆宗教性を示していると考えられる。

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