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宗教研究
Online ISSN : 2188-3858
Print ISSN : 0387-3293
ISSN-L : 2188-3858
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巻号一覧
99 巻 (2025)
1 号 p. 1-
98 巻 (2024)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 10-
97 巻 (2023)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 9-
96 巻 (2022)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 9-
95 巻 (2021)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 9-
94 巻 (2020 - 2021)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 8-
93 巻 (2019 - 2020)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
92 巻 (2018 - 2019)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
91 巻 (2017)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 13-
90 巻 (2016)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
89 巻 (2015)
3 号 p. 421-
2 号 p. 191-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
88 巻 (2014)
3 号 p. 521-
2 号 p. 239-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
87 巻 (2013)
3 号 p. 497-
2 号 p. 249-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 13-
86 巻 (2012)
4 号 p. 734-
3 号 p. 505-
2 号 p. 191-
1 号 p. 1-
85 巻 (2011)
4 号 p. 835-
3 号 p. 623-
2 号 p. 237-
1 号 p. 1-
84 巻 (2010)
4 号 p. 839-
3 号 p. 637-
2 号 p. 205-
1 号 p. 1-
83 巻 (2009)
4 号 p. 1091-
3 号 p. 741-
2 号 p. 289-
1 号 p. 1-
82 巻 (2008)
4 号 p. 825-
3 号 p. 663-
2 号 p. 223-
1 号 p. 1-
81 巻 (2007)
4 号 p. 785-
3 号 p. 531-
2 号 p. 211-
1 号 p. 1-
80 巻 (2006)
4 号 p. 815-
3 号 p. 573-
2 号 p. 221-
1 号 p. 1-
79 巻 (2005)
4 号 p. 893-
3 号 p. 629-
2 号 p. 231-
1 号 p. 1-
78 巻 (2004)
4 号 p. 915-
3 号 p. 715-
2 号 p. 217-
1 号 p. 1-
77 巻 (2003)
4 号 p. 801-
3 号 p. 535-
2 号 p. 243-
86 巻, 2 号
災禍と宗教
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
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編集意図(<特集>災禍と宗教)
編集委員会
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 191-192
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_191
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(145K)
無縁供養の動態性(<特集>災禍と宗教)
池上 良正
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 193-217
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_193
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日本語の「無縁供養」は、系譜上の祀り手を失った死者のほか、戦乱・事故・自然災害などの災禍によって非業の死をとげたと見なされた人々を追弔・慰撫する言葉として用いられている。広くは「苦しむ死者」を救済する代表的な言葉である。「死者供養」を東アジアで形成され民衆層に普及した、ユニークで動態的なひとつの「救済システム」として捉えるとき、そこには、(A)親孝行や先祖の孝養という側面と、(B)何らかの未練や怨念を残した死者(苦しむ死者)たちの救済という側面の二面性を指摘できるが、「無縁供養」に代表される(B)の「苦しむ死者の救済」は、このシステム全体を存続させる原動力を供給し続けてきたことが注目される。本稿ではこの「無縁供養」の構造と展開過程を考察する。そこに潜在していた「無遮」と「無主」との有機的な動態性は、救済システムとしての「死者供養」が広く民衆層に定着するさいの原動力になっていた、という見通しを示す。
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(1647K)
東日本大震災における宗教者と宗教研究者(<特集>災禍と宗教)
稲場 圭信
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 219-242
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_219
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本稿は、東日本大震災における宗教者の救援・支援活動、および、宗教者のそのような活動への宗教研究者の関わりを論ずる。東日本を襲った巨大地震と大津波は多くの犠牲者を生んだ。この未曾有の大災害に、多くの人が救援活動に駆けつけたが、宗教者の救援活動も迅速で、その力を示した。そこには、宗教者と宗教研究者との共同実践もあった。災害時に、寺社・教会・宗教施設は、緊急避難所・活動拠点としての場の力を発揮した。そして、精神面で心の支えとなる力も示した。宗教研究者自身も支援活動と調査を行い、その中で、被災地の宗教には、「資源力」、「人的力」、そして、祈り、人々の心に安寧を与える「宗教力」があることが浮き彫りにされた。本稿は、宗教者と宗教研究者の被災地への関わり方と共同実践の重要性をアクション・リサーチの観点から指摘した。宗教者、そして、宗教研究者にも息の長い関わりが必要とされている。
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(1412K)
ニューオーリンズおよびアメリカ湾岸地域におけるカトリーナ災害への宗教的応答(<特集>災禍と宗教)
ウェッシンガー キャサリン, 粟津 賢太
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 243-273
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_243
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二〇〇五年八月二九日にニューオーリンズをはじめルイジアナ州やミシシッピ州のメキシコ湾岸地域を襲ったハリケーン・カトリーナによる災害は、さまざまなタイプのおびただしい宗教的応答を促した。個人化されたスピリチュアルな応答もあれば、特定の宗教教団の見解に沿ったものもあった。一方で、災害を罪に対する神の懲罰であるとみなすネガティヴな宗教的対応もあった。(なにゆえに神は人々が苦しむことを許したのかを説明する)懲罰的な神義論は、個人や会衆によって組織化された救済活動を阻むものではなかった。しかしながら、救済するつもりのない外部の者によって示された懲罰的神義論は、ある特定の政治的神学的な意図を普及させる手段であった。他方で、カトリーナ災害への宗教的応答のほとんどはポジティヴな宗教的対応を示しており、人々に高次の力からの慰籍を与え、他者を助けようと志向させ、被災者を非難しない思慮深い神学的な説明を受け入れさせた。宗教的観点から動機づけられているか否かにかかわらず、傍らに寄り添い、同情的かつ共感的に耳を傾ける存在はカトリーナの被災者たちにとって大きな助けとなった。
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(1900K)
自然災害と自然の社会化(<特集>災禍と宗教)
氣多 雅子
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 275-297
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_275
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自然災害は都市や発電所などを破壊するだけでなく、我々の内に蓄積してきた自然理解そのものにも裂け目を生じさせる。その裂け目は直ちに自然災害を説明する多くの情報によって覆い隠される。この事態は、ハイデッガーが「自然は隠れることを好む」というヘラクレイトスの箴言に読み取る事柄と深く通底している。ハイデッガーは、人間が自らの力において挫折するときに始めて自然の力の優勢が露呈されることを明らかにしている。今回の震災における原発事故において我々が経験したのは、まさに人間の力の挫折である。放射能といった種類の危険は近代化に伴い産業化のメカニズムによって不可避的にもたらされる結果であり、現代社会を破局的な社会にしている。ジャン=リュック・ナンシーは、現代世界にもはや自然的な破局はあり得ず、あるのは文明的な破局のみであると言う。自然の社会化という事態がそれを示していることは明らかであるが、それにも拘らず自然災害の経験から、我々は自然を社会内部の現象とすることに対する徹底的な異議申し立てを受け取るのである。
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(1449K)
自然悪の苦しみと宗教哲学 : 神義論的問題の再編成へ向けて(<特集>災禍と宗教)
佐藤 啓介
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 299-322
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_299
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本稿は、世界における悪(とりわけ自然悪)の存在を考える思索について、神の正当化を目指す狭義の神義論から区別し、悪の存在に対する抗議をおこなう思索を広義の神義論として定義し、そうした抗議の声に含まれる宗教哲学的な原資を探るものである。私たちは、自然悪について、自然への謙譲には収まらない抗議や不満を覚える。バーガーによれば、その抗議や不満の根底にあるのは、神の義から切り離してもなお要求しうるような、悪の意味の要求である。だが、この悪の意味は不明確な概念であり、アンリによれば、悪の外的な意味と受苦の内的な意味を区別すべきであり、後者の受苦は、生そのものの成立に関わる超越論的構造に組み込まれるべきものである。他方、外的な悪に対する苦しみへの宛て先のない抗議は、ネグリに従えば、悪の意味の要求ですらなく、悪を不公平と感じる尺度そのものへの反抗であり、尺度を超えた尺度の主体と世界の存在論的生成の契機なのである。
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(1495K)
祟り・治罰・天災 : 日本列島における災禍と宗教(<特集>災禍と宗教)
佐藤 弘夫
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 323-346
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_323
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自然に関する科学的な知識を欠いていた前近代社会では、世界の他の地域と同様、列島の人々は不可避の災禍を超越的存在(カミ)の仕業と結びつけ、その出現の必然性を了解しようとした。古代社会では、自然災害はカミが人間に与えるメッセージ(崇り)と解釈された。仏教が受容され世界についての体系的な解釈が定着する中世社会になると、災害についても、その発生を治罰と救済の因果律のなかで説明しようとする傾向が強くなった。根源的存在のリアリティが衰退し、死者を彼岸の仏による救済システムに委ねることができなくなった近世では、災禍を天災として忍受する一方、不遇な死者を祖霊に上昇させるための長期にわたる儀礼や習俗が創出された。「近代化」のプロセスは、生者とカミ・死者が共存する伝統世界から後者を閉め出すとともに、特権的存在である人間を主人公とした社会の再構築にほかならなかった。東日本大震災は、そうした近代の異貌性を浮かび上がらせ、私たちの立ち位置と進路を再考させる契機となるものだった。
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(1370K)
災害時のチャプレンの働き : その可能性と課題(<特集>災禍と宗教)
谷山 洋三
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 347-367
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_347
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災害時においては、地元の宗教者がチャプレンとして、スピリチュアルケアや宗教的ケアを通して被災者(=悲嘆者)に対応することが、欧米では当然のこととして理解されている。東日本大震災に際し、宗教者はさまざまな支援活動実施してきたし、今後も必要とされている。弔いとグリーフケア、被災者の不安を和らげる祈りや傾聴活動など、様々な支援活動の中から、布教伝道を目的とせずに、宗教、宗派の立場をこえて、宗教的ケアを実践した事例を参考にして、災害時のチャプレンの可能性と課題を考察する。これからも起きるかもしれない災害に備えて、日本各地で災害チャプレンを育成しておく必要性がある。そのための課題は、ルールを共有した超宗教の組織づくり、医療者や自治体との連携のための信頼関係の構築、宗教的ケアの質や効果の検証、そして地域性を考慮した体制づくりである。
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(1486K)
永井隆における原爆災禍 : 従軍体験と職業被曝に注目して(<特集>災禍と宗教)
西村 明
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 369-391
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_369
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本稿では、永井隆の読み直しの作業を行う。高橋眞司による浦上燔祭説批判と自説を踏まえながら、彼の原爆死のとらえ方の重要な契機として従軍体験と職業被曝に注目する。七二回の戦闘を経験し、死者とのあいだに決定的な差異がなくなる生死の境界線から復員した永井は、そうした偶有性を「天主の摂理」としてカトリシズムの枠内でとらえた。しかし他方で、「犬死に」となることを避けるために、ある目的の達成に向けられた死に方に価値を見いだすような戦時状況に基づいた理解も見られる。さらに、放射線医学への従事から白血病を発症し余命宣告を受けるが、科学的な「殉教」の文脈で自らの死を受け止めている。それが、原爆死者の犠牲を是認することにも道を開いている。最後に、浦上燔祭説として批判されたものの内実には、死者の霊魂をしずめることを通して、生死の境界を峻別し、生き残った者たちを再建・復興へと導く意志が認められることを論じている。
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(1371K)
生み落とされることば、手渡されていくことば : 水俣病事件と「本願の会」(<特集>災禍と宗教)
萩原 修子
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 393-420
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_393
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わたしたちは、災禍において失語症的な状態に陥りがちである。しかし、災禍を超克するには、従来の思考の枠組みを超えたことばを使って、それを言語化していくことが必要である。本稿では、その失語症的状態から新しい思考やことばが生み出されるその宙吊りのあり方を「ことばの臨界」と呼び、水俣病事件の事例を考察する。とくに、ことばが多く生み落とされている「本願の会」という患者有志による会の活動を例にとる。「本願の会」は、いのち、魂、祈りなどの宗教的なことばを中心に、災禍から新しい局面を開く思考や実践を行なっている。そこで、「ことばの臨界」を経て、どのようなことばが生み出され、それが他者にどのように手渡されていくかという出来事を考察する。そして、救いや再生の道筋を示す出来事が宗教といかに関係するか、また、その道筋を理解するために、どのような視点が必要であるかを示している。
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(1579K)
阪神淡路大震災被災地における宗教の「当時」と「いま」(<特集>災禍と宗教)
三木 英
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 421-446
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_421
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阪神淡路大震災の際、宗教団体・宗教者は被災者の救援活動に奮闘した。また昔ながらの祭りが、さらには被災者自らの創出になる慰霊の儀礼が被災者を連帯させ、互いに支え合う機会を提供していた。宗教は傷ついた人と社会に多大な貢献をなしえたといえる。では、この貢献はいつまで継続されたのだろう。時の経過とともに悲しく恐ろしかった過去の記憶が次第に薄れてゆくなか、宗教は被災者とどのように向き合ってきたのだろうか。かつての被災地における宗教の動向を検討することは、東日本大震災被災地のみならず、今後生起するやもしれない社会的危機の状況下で活動することになる宗教に対し、有益なデータを呈示することになるはずである。いま、かつての被災地では、宗教者は震災以前と変わらぬ日々を送る。彼らが大震災を念頭に行う活動としては、年に一度の犠牲者慰霊の儀礼執行に留まる。一方、被災者が創出した慰霊の儀礼は旧被災地を越えて普及しつつある。過去と現在の被災者との間の連帯が、新たな儀礼を介して、生成しつつあるのである。
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(1653K)
洪水神話の文脈 : 『ギルガメシュ叙事詩』を中心に(<特集>災禍と宗教)
渡辺 和子
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 447-472
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_447
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「ノアの洪水」の記事はメソポタミアの洪水神話と同系であることが広く知られているが、多神教的背景をもつものとは内容も文脈もおのずと異なる。また「多神教的」、「一神教的」背景の具体的内容も検討を要する。『ギルガメシュ叙事詩』(標準版)第一一書板にある洪水神話は、ウータ・ナピシュティの口からギルガメシュに語られる。神々の会議で最高神エンリルが洪水を決定し、他の神々にはそれを人間に漏らさないことを誓わせる。しかし知恵の神エアはウータ。ナピシュティに暗に伝えて船を造らせて生命の種を救う。洪水後に最高神はその暴挙をエアに責められて悔い改め、ウータ・ナピシュティに永遠の命を与える。洪水の顛末を語り終えたウータ・ナピシュティは、「今」では永遠の命を与えるために神々の会議を招集するものはいないと宣言する。他方聖書では、神は人間を創造したことを後悔して洪水を起こすが、ノアに船を作らせて生命の種を救う。洪水後も責められることはなく、ノアと契約を結んで再び洪水を起こさないと誓い、ノアには長寿を与える。
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(1622K)
津城寛文著, 『社会的宗教と他界的宗教のあいだ-見え隠れする死者-』, 世界思想社, 二〇一一年八月刊, 四六判, 二八六頁, 二六〇〇円+税
吉永 進一
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 473-478
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_473
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(559K)
王貞月著, 『台湾シャーマニズムの民俗医療メカニズム』, 中国書店, 二〇一一年四月刊, A5判, 二八六頁, 六六〇〇円+税
坂出 祥伸
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 479-482
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_479
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(430K)
李元範・櫻井義秀編著, 『越境する日韓宗教文化-韓国の日系新宗教 日本の韓流キリスト教-』, 北海道大学出版会, 二〇一一年一二月刊, A5判, xxxii+四六一+八頁, 七〇〇〇円+税
川瀬 貴也
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 483-489
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_483
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(688K)
ルチア・ドルチェ、松本郁代編, 『儀礼の力-中世宗教の実践世界-』, 法藏館, 二〇一〇年四月刊, A5判, vii+三三〇+一六頁, 五〇〇〇円+税
松尾 剛次
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 489-492
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_489
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(396K)
星野靖二著, 『近代日本の宗教概念-宗教者の言葉と近代-』, 有志舎, 二〇一二年二月刊, A5判, xiii+三〇六+五頁, 六四〇〇円+税
高橋 原
原稿種別: 本文
2012 年86 巻2 号 p. 493-498
発行日: 2012/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.86.2_493
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