なぜ人は,実際に発話されてもいない他者(客体化した自己も含む)の発話や思考を,引用しているかのように提示するのだろう.本稿では,このような想定引用の談話機能とその提示の仕方における日英の差異を調べる.
日英それぞれの小説とその翻訳における会話を比較検討し,次のことを明らかにする.この想定引用は,他者の言葉や思考を報告するためではなく,皮肉や共感など,現話者の表現態度を伝えるストラテジーとして用いられており,様々な「声」を操作して重層的なコミュニケーションを産出している.日本語の小説等では,便利で豊富な引用標識が(時には伝達動詞とともに)付加されて,想定引用であることが明示的になるケースが多く見受けられ,発話/思考の帰属先や,現話者の意図がわかりやすくなる傾向がある.英語では,自由直接話法・自由間接話法を利用したり,談話標識などの談話装置を使うことによって,日本語の想定引用と同様の機能を果たすことができる.もっともこの場合は引用標識が使われないので,発話/思考が誰のものとして提示されているのか,また現話者のメタメッセージは何なのかを判断するのは読者である.
ただし口頭の会話の場合は,参与者間でコンテクストが共有される度合いが高いため,日本語でも引用標識を用いないことも多く,日英の差は少ない.
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