国内の城下町や農村集落の伝統的な水路は石,木,土といった素材の特性を活かして護岸をつくり,自然流下方式によって水田へ通水させるととともに,集落の生活用,防火用,親水用,環境保全など,要約していえば,「多面的に利用する空間構造」が成立している。 貴重な水の多面的な空間で反復利用(図1参照)は,国民が考え出した集住地の景観美となって表れたものである。 しかし,高度経済成長時代に入ると,これらの水利空間にもさまざまな影響が及んだ。 これまで存在してきた伝統的水利空間の価値が充分には評価されないうちに,多面的機能をもっていた水利空間は各地で壊れていった。 筆者は,この状況を放置できないと考え,現在でも「伝統的な水利空間」の調査活動を全国規模で続けている。 1980年になり,農村環境整備センターから「水利遺構」調査委員の依頼があった。この委員会では,全国的な規模のアンケート/調査がなされ,500件を超える情報を収集できた。その後,「水利遺構の調査報告書」(1988年)となってまとめられた。 本文では,この報告書に掲載された各地の農業水利空間の事例のうち,筆者が関心あるものから現地調査をおこない,本文に加えさせていただいた。この間,玉川上水の水利調査にとりくんでいた2016年に「玉川上水・分水路網の活用プロジェクト」が日本ユネスコ協会の「未来遺産」に登録され,「登録証」が「玉川上水ネット」(玉川上水の水利遺構や保全活動を進めている市民運動グループ)に渡された。 筆者は,この「玉川上水ネット」がうけた「登録証」が評価した活動をはじめ,国内の伝統的な城下町を取りまく通水網,水圏・山地が一体となった「水利空間」が残存し,各地にいまも点在しており,「日本遺産」として登録される価値があると考えている。 本文では,この国内の伝統的な水利空間(多面的利用を含む)を守り,継承・活用している様子を探り出し,紹介させていただいた。
1888(明治21)年に発生した磐梯山の噴火は,日本では100年に1回程度しか発生しない山体崩壊による岩屑なだれ(以下,岩なだれと表記)であった。 その堆積物の分布面積は約3.5km2,総体積は約12億m3と推定される。また,犠牲者は477人で,明治以降日本における最大の火山災害となった。 この甚大な災害のため,当時の福島県では被害地域での聞き取り調査を実施し,災害の前兆から被害の様子までをまとめた。写真が普及しはじめた時代であり,新聞の大衆化などもあって,磐梯山の噴火は全国に短期間に伝わった。 この噴火がきっかけとなり,火山の研究が進んだ。 大規模な災害のため,国は全面的に福島県に協力し復旧復興に努めた。また,全国から多くの義援金が集まった。 磐梯山地域は2011年にジオパークになることで,火山を学ぶ機会が増え,火山リテラシーが高まってきた。
徳島県では,東日本大震災以降,連続的なリスク提示や対応による連続的なリスクコミュニケーションの実践が,防災・減災の行動の動機付け,具体行動に結びつき,地域における防災体制の強化や円滑な避難誘導の確保への高い効果として発現されている。災害リスクガバナンスのもとでのリスクコミュニケーションについては,行政のリーダーシップや効果的なコミュニケーションができなければ,行動の動機付けや具体行動に結びつかないといった意識をもって取り組んできた。一方,先行研究により,リスクガバナンス及びリスクコミュニケーションに求められる必要な要件を踏まえ,行動の動機付け,具体行動へ結びつける影響因子を検討し,「具体行動の意思決定構造」を構築した。具体的には,信頼(専門的能力・姿勢・主要価値類似性)のフィルターから三つの流れ,①リスクバイアス(恐ろしさ・未知性)を介したリスク認知,②規範(自己的・社会的規範),③リスクへの対処評価(行動の効果・コスト・自己効力)のそれぞれのフィルターを経由して,行動の動機付け,具体行動の意思決定が行われる構造を提案する。この「具体行動の意思決定構造」とその影響因子を分析枠組みとし,本県がリスクコミュニケーションを行う上で意識する事項に,意思決定構造のどの影響因子が作用したかを分析することで,意識する事項が意思決定上どのような意義を有するか評価を行い,今後の災害リスクガバナンスやリスクコミュニケーションの在り方を提案するものである。
赤堀川と権現堂川は,上利根川と中・下利根川をつなぐ流路であり,人工的に整備された。その整備は,権現堂川が戦国時代末期,赤堀川は近世初期である。権現堂堤は,権現堂川,その支川島川に沿った約10km の堤防で,戦国時代末期に一部造られたという。この堤防が決壊すると,埼玉平野で広く氾濫する。赤堀川拡幅と権現堂堤は密接に関係していた。赤堀川の流下量が増大すれば権現堂川の流下量が少なくなり,権現堂堤はそれだけ安全となるからである。 権現堂堤は宝永元年(1704)以降,度々決壊しており,とくに天明6年(1786),享和2年(1802)出水が大きな被害を出した。天明3年の浅間山噴火による大量の火山灰により,利根川河床が上昇したからである。天明6年の大氾濫は,日本堤で守られている隅田川右岸の浅草,日本橋などにも溢れるほどであった。享和3年,権現堂堤は大きく強化され,これ以降,決壊することはなかった。だが,その上流部の羽生領などで湛水害が増大し,赤堀川の拡幅,権現堂堤での圦樋の埋設などを強く要求した。文化6年(1809),赤堀川はその沿川や,その下流部の反対を押し切って拡幅された。 羽生領などでの根強い要求は,天保年間(1830~43)に実を結んだ。逆流樋門の移転,圦樋の埋設などが行われた。また,権現堂川流入口の杭出しが千本杭と言われるほど強化された。この千本杭に対し渡良瀬川下流部が強く反対し,3 年後にその撤去に成功した。それに合わせて赤堀川も再び,拡幅されたと思われる。さらに,江戸川流入口にある棒出しも強化されたが,渡良瀬川下流部は,これに対しても強く反発した。なお天保8年(1837),幕府役人が権現堂川締切りを主張した。 権現堂堤は,享和3年の強化以降,地元から「御府内囲堤」と呼ばれた。江戸市中を守る堤防との意があるが,江戸の氾濫状況から考え,江戸市中を守ることを主目的に強化されたとは判断できない。幸手領など日光街道が通って いる埼玉平野の防備が,主目的と考えている。
近年各地で水害が発生しているが,防災・減災のためには,従来の堤防やダムによる整備以外に流域対応の施設や対応が必要となる。令和2(2020)年7月に国土交通省は審議会の分科会答申を踏まえて,「流域治水」への転換を進めることとした。今後これを着実に推進するにあたっては,総合治水の反省の下に,課題を踏まえながら,施策を実施していくことが必要である。また,その際,治水行政や河道・施設計画を分析・評価した水害裁判の判決にも着目して、流域治水手法の位置付けや適否などについて考慮しなければならない。
A hydraulic experiment was conducted for quantitative evaluation of the exfoliation dynamics of algae caused by sediment transport. As a result of investigating the relationship between the sediment particle diameter d and the unit width sediment discharge qB with the exfoliation characteristic value p, it was shown that each parameter influences the value of p and that there is a range showing the correlation. It was also shown that the quantity of algae exfoliation can be expected by the amount of work Wx calculated with hydraulic conditions, sediment particle diameter d, and the unit width sediment discharge qB as parameters. Further studies are needed because there are many problems in application in the field, such as examination of the resistance coefficient due to the shape of the bed, and changes in the exfoliation characteristics due to the growth stage of algae.
2013年(平成25年)10月,林野庁は,1911年(明治44年)に国による治山事業が始まってから100年が経過したことを機に,「後世に伝えるべき治山~よみがえる緑~」として,60か所の治山事業施工地を選定しました。今回はその一つである屏風山海岸防災造林造成事業について紹介します。 屏風山一帯は,かつて「西風一度起きれば風砂塵煙遠く数里に及ぶ」と言われる不毛の地でしたが,弘前藩第四代藩主津軽信政公によって1682年(天和2 年)から植林が始められました。現在では,海岸線に沿って潮風,飛砂防備のために重要な役割を果たしている屏風山防風保安林が広がっており,その内陸部には水田地帯が広がり,砂丘地帯にはメロンやスイカ等の「つがるブランド農産物8 品目」の畑作が行われるなど,地域振興にも大きく貢献しています。 この屏風山防風保安林が造成・維持されるまでには,先人たちの労苦とたゆまぬ努力がありました。そして,現在でもこれらの機能を維持し,後世にしっかりと引き継いでいくための努力を継続しています。