水利科学
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64 巻, 6 号
No377
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一般論文
  • ──1911(明治44)年からの改修計画事業を中心に──
    松浦 茂樹
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 64 巻 6 号 p. 1-18
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー

    利根川の大分派川・江戸川は,1911(明治44)年度からの改修計画でその役割を大きく変えた。それまでの計画では,分派点上流での計画対象流量3,750m3/sのうち約26%の970m3/sが江戸川に分流され,河道工事を行う計画はなかった。だが,1910年の大出水後,分派点上流の計画流量は5,570m3/sに増大されたが,そのうち約40%の2,230m3/sが江戸川へ分流されることとなった。そして河道の拡幅とともに,流頭部にあった棒出しが撤去され,水閘門が設置された。江戸川工事費は,利根川改修工事費全体の約29%に及んだ。

    1911年度の計画改訂当時,利根川下流部では改修事業が行われていて,一部は竣工,一部は工事中であった。江戸川新計画策定のため,案として計画流量 1,400m3/sと2,230m3/sが比較検討された。計画流量を増大したら,それだけ 川幅は拡げなくてはならない。江戸川上流部では台地による狭窄部があり,また下流部では人家密集地があった。このため,計画流量を増大させることには工事費の観点から抵抗があった。だが,利根川下流部で手戻り工事をさせないためには江戸川計画流量を増大させねばならない。この結果,「心ならずも」 2,230m3/sと決定された。

    江戸川河道工事の重要な課題として舟運路の安定があった。水閘門は,そのために設置されたのである。

    1947(昭和22)年カスリーン台風による利根川氾濫による大水害後,利根川計画流量は分派点上流で14,000m3/sとされ,そのうち江戸川上流部では 5,000m3/sとされたため,再び河道拡幅が行われた。埼玉県西宝珠村の密集地が河道とされたが,西宝珠村から強い反対の声があがった。だが,建設省は住民側の要求をすべて受け入れるとして,用地買収が行われ,工事は進められた。

  • ──利水・環境編──
    末次 忠司
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 64 巻 6 号 p. 19-37
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー

    前報の「将来を見据えた水管理技術のあり方──治水編──」(No.375)に引き続いて,河川等の利水・環境の視点から,今後の水管理技術について考察していく。本報では利水・環境をとりまく動向について概観したうえで,利水 では渇水,事業運営,施設管理,雨水利用,河川水利用,地下水などに関して,河川環境では物理環境と生態系,SDGs,グリーンインフラ,環境創出,観光資源,水質保全,水質事故,地下水,外来種,微気象緩和などに関して,計41の水管理技術に関するトピックスの今後の技術的・方法的あり方や留意事項などについて記述している。

  • 海野 修司, 山田 正
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 64 巻 6 号 p. 38-61
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー

    日本の経済成長の弊害として水循環にかかる様々な流域課題が顕在化し,水循環の健全化に向けた活動が全国的に流域ガバナンスを形成しながら展開されてきた。水循環基本法が制定され,我が国で初めて,流域ガバナンスの概念が示された。しかし,流域ガバナンスの概念やそれに不可欠な外形的な視点・機能を整え,その枠組みを適応すれば,持続的な活動へとつながるのではなく,こうした視点・機能を具備した上で,構造的に,各ガバナンスの枠組みの中で各主体(ステークホルダー)間において,ある要素が相互作用(インタラクション)を及ぼし,ガバナンスの生成や持続性,場合によってはガバナンスの機能不全や失敗に陥らせていると推測される。本稿では,各主体間の相互関係に着目することとし,鶴見川流域を事例にして,流域ガバナンスが構築される前後,その後における流域ガバナンスの変化を観察することで,流域ガバナンスの持続性に不可欠な要素とは何か提言を試みるものである。

  • ──それぞれの見た有吉堤騒動──(その1 )
    和田 一範
    原稿種別: 研究論文
    2021 年 64 巻 6 号 p. 62-104
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー

     多摩川左右岸築堤争いの大騒動,有吉堤騒動においては,多摩川両岸の地域住民,各村役場,各郡役所,県,府,両議会議員,帝国議会議員,内務省など,様々な当事者たちが,それぞれの役割の中で大奮闘をしている。これら立場を超えた様々な当事者たちが,それぞれの視点から一連の顛末をどのように見ていたか,そしてどのような行動をとったかは,防災における自助・共助・公助の連携を考える上で,重要な位置づけを持つ。

    神奈川県立公文書館所蔵の飯田家文書(ID2200710116多摩川筋盛土工事行政訴訟,ID2200710134同名)には,これら当事者たちが,自らの視点で,一連の騒動を経緯として記した,生々しい記述がある。

    大正6 年(1917年)8月21日付で,神奈川県土木課の河川管理吏員から横浜区裁判所検事局に提出された,五十間盛土事件の説明文書には,「多摩川筋御幸村築堤沿革書」が添付され,アミガサ事件(大正3年〈1914年〉9月16日)の発生から,有吉堤建設の騒動を経て,これが正式な河川堤防として内務省の認可を受け,大正5年(1916年)10月19日に残事業が竣工するまでの経緯を説明している。ここに,多摩川を管理し,地域の防災をつかさどる,神奈川県の行政官としての見解を見てとることができる。

    同じく大正6 年(1917年)9月4日付で,御幸村有志秋元喜四郎氏から,横浜区裁判所検事局に宛てた「上申書」には,地元住民の立場から,アミガサ事件の発生から有吉堤建設の騒動を,詳細に説明するとともに,有吉堤騒動の決着に際しての平間の渡し下流150間の旧堤(突堤)撤去の扱いと,これを不服として,その後,水防用資材としての土の仮置きと称して五十間の盛土を行った経緯を述べている。ここに,一連の騒動に関しての,地元住民としての見解を見てとることができる。

    さらに,国立国会図書館所蔵の「大正五年公文雑纂,多摩川築堤問題顚末」は,内務省土木局の担当技師の立場から,一連の騒動の顛末を公文書のかたちでとりまとめたもので,いわば河川行政の所管官庁としての公式見解が述べられている。

    本稿では,これら3件の文書を,活字にして紹介するとともに,比較対比をすることによって,有吉堤騒動における,各者の連携・協働とすれ違いについて分析をしたい。防災の主役,自助・共助と公助との連携,さらには公助間の連携にかかる,多くの教訓がそこにはある。

    アミガサ事件と有吉堤,多摩川直轄改修への道の一連の騒動にみる,自助・共助・公助の連携・協働とすれ違いの中には,特に,自助・共助と,公助との連携・協働が重要であり,あわせて,地域住民に寄り添った公助間の連携のあり方が重要であるという点において,現代の防災に与える大きな教訓が見いだせる。

翻訳論文
  • 谷 誠, 藤本 将光, 勝山 正則, 小島 永裕, 細田 育広, 小杉 賢一朗, 小杉 緑子, 中村 正
    原稿種別: 翻訳
    2021 年 64 巻 6 号 p. 105-148
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー

    今後の森林管理を考えるためには,土壌喪失をともなう人間による強い森林攪乱が降雨流出応答に及ぼす影響を理解することが重要である。しかしこの問題に取り組むことは,伐採の影響を水文学的に評価することに比べ,解析方法においてより困難な面がある。そこで本研究では,異なる土壌・地質条件を持つ日本の数カ所の小流域を,HYCYMODEL という流出モデルを用いてそれらの流出特性を解析することによって相互に比較した。また,人間による攪乱影響の範囲が地質ごとに特定できるように,比較結果に対して流出機構に基づいた検討を加えた。その結果,花崗岩山地においては,はげ山は高い洪水流出量のピークをもたらし,最も強い人間攪乱の結果を示したが,風化基岩内の貯留量変動によって大きな基底流出量が維持されるという傾向もあった。一方,堆積岩山地においては,褐色森林土壌を欠いた粘土質土壌を持つ森林が最大の攪乱の結果を示すと考えられた。その流域では,洪水流出総量が大きく,基底流出量が低いという,変動の激しい流出特性がみられた。また,その洪水流出総量は,それに先立つ無降雨時の乾燥状態によって大きく変化する傾向も見いだされた。

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