水利科学
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61 巻 , 5 号
No358
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
一般論文
  • 玉井 幸治
    2017 年 61 巻 5 号 p. 1-21
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    カンボジア国の乾燥常緑林,乾燥落葉林と,日本の落葉広葉樹林,常緑・落葉広葉樹混交林の林床面蒸発量を,観測された林床面日射量などを用いてモデル計算した。 その結果,年間降水量に占める年間林床面蒸発量の割合は,乾燥落葉林で約 25%と大きかったが,他の3林分では約7〜9%であった。乾燥落葉林で割合が高かったのは,林冠が閉鎖していないためである。全ての林分において,林床面日射量の影響が大きかった。土壌水分量の影響は,乾燥落葉林では特に顕著であった。カンボジアの森林における林床面蒸発量の季節特性をもたらす要因は,土壌水分量の季節変動特性であると考えられた。一方,日本の落葉広葉樹林と常緑・落葉広葉樹混交林の季節特性をもたらす要因は,1〜4月には落葉樹の落葉による林床面日射量の着実な増加であると考えられた。そのため,日本の常緑林における林床面蒸発量には明確な季節変化が生じない可能性のあることが推察される。

  • 中村 徹立, 山田 正
    2017 年 61 巻 5 号 p. 22-40
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    千葉県北部に位置する手賀沼は,かつて全国でCOD(化学的酸素要求量)ワースト1の汚濁した湖沼であったが,北千葉導水事業により,2000年度から最大8m3/sの浄化導水が導入され,CODは概ね半減し,10mg/L以下となった。一層の水質改善のため,手賀沼の実湖沼において,2014年11月から2015年4月末までの半年間にわたり日内水位変動試験を,2015年3月の1か月間,水位低下試験をそれぞれ実施した結果,試験期間中のCOD,濁度,クロロフィルaは,最近6年で最低水準であった。手賀沼は浄化導水が導入されていることから,水位低下しても確実な水位回復が可能である。手賀沼表層のCOD,クロロフィルa濃度は,日中午後に上昇しているが,日中に水位低下,夜間に水位回復させる日内水位変動により,日中午後の表層流下距離は2倍以上になると推定され,日中に光合成を行う表層の植物プランクトンの排出を促進し,水質改善効果が期待できる。また,非灌漑期管理水位から0. 2m程度の水位低下と,日内水位変動の組み合わせにより,日中午後の表層流下距離は,さらに増加し,表層植物プランクトンの流下,排出効果を増進すると考えられる。

  • 末次 忠司
    2017 年 61 巻 5 号 p. 41-52
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    江戸時代は様々な分野で技術革新が図られ,水管理技術についてみても,すぐれた発想や技術に基づいた水管理が行われた時代であった。例えば,成富兵庫の嘉瀬川治水システム,伊奈氏の利根川東遷事業などは流域スケールからのすぐれた治水システムであったし,吉野川など各地で行われた水害防備林による治水は特筆でき,現在でも機能している。上水では玉川上水や神田上水が完成され,江戸の給水人口は世界最大となったほか,下水道整備やリサイクル(古着,排泄物など)も行われた。また,埋め立てによるデルタ造成等に伴う新田開発も盛んに行われ,石高も倍増した。このように,当時の水害,治水技術,洪水対応技術などをはじめとする江戸時代のすぐれた水管理技術を調べて,水管理に関する経験や実績より,現代でも有効な考え方や技術を整理・分析した。

  • 松浦 茂樹
    2017 年 61 巻 5 号 p. 53-70
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    東大寺大仏を建立したことで有名な聖武天皇は,また都を平城京から恭仁京,難波京と遷したのち,再び平城京に還ってきた。この間,天平12(740)年12月からわずか4年半である。その意図について,国土経営の観点から仮説を論じたものである。 木津川沿いの恭仁京への遷都は,平城京の物資輸送に大きな役割を果たしていた大和川舟運に支障が生じたからと考える。天平6(734)年4月,畿内は大地震に見舞われたが,その時に地すべり地帯である大和川亀ノ瀬峡谷部で舟運に影響を与える変動が生じたとの推測からである。舟運のための淀川・木津川整備は,恭仁京遷都に合わせて進められていったのだろう。 難波京遷都は,海外との文化交流あるいは文物の移入のための表玄関の整備と考える。平城京還都は,天平17(745)年4月に美濃国を震源とした大規模な内陸直下型群発性に襲われたことが最大の理由と考える。当時,恭仁京に都の人々は住んでいたが,地震に襲われた直後,先を争って平城京に帰っていった。

  • 和田 一範
    2017 年 61 巻 5 号 p. 71-101
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    平成28年(2016年)10月30日(日),有吉堤竣工百年の碑が建立された。 竣工百年の碑建立は,新たなスタートである。この碑を前に,昔年の多摩川の水害の大きさ,これに対峙した一連の事件と一大プロジェクトを,後世に語り継いでゆく防災教育の継続的な展開が重要である。

     アミガサ事件(大正3 年〈1914年〉9 月16日)から有吉堤完成(大正5 年 〈1916年〉9 月)までは 2 年間の出来事である。それからさらに 2 年後には,内務省直轄による多摩川の抜本改修が着工(大正 7 年〈1918年〉)となる。 このわが国近代治水事業の創始期において,洪水の被害に毎年悩まされてきた地域の住民とその指導者たち,公的な機関との連携,あるいは確執には,現代の防災にかかる多くの教訓が見いだされる。

     そしてこれら一連の展開を語るにあたっては,やはりアミガサ事件を引き起こした当時の,多摩川の状況をしっかり理解しておく必要がある。 アミガサ事件の直後,大正 3 年(1914年)10月29日付で,御幸村ほか10ケ町村の総代から内務大臣大隈重信に宛てた多摩川沿岸新堤塘築造陳情書には,地域住民の視点からの近年の洪水の原因の分析として, 一.下流ニ架設セル三橋カ一原因 一.(対岸の)築堤及上置腹附カ二原因 一.堤外地ニ果樹密埴カ三原因 一.砂利採掘カ四原因 の記載がなされ,的確な分析で多摩川の洪水の原因を述べ,その分析力は技術者顔負けの内容である。当時の地元住民には,それだけの災害リスクに対する分析力,技術力があったことも大きな驚きである。

     本論文は,この多摩川沿岸新堤塘築造陳情書に記された 4 つの原因に着目をして,アミガサ事件の背景を考察したものである。 この論文は,既報, ・多摩川近代改修にみる,防災の主役,自助・共助と,公助との連携について,2016年 4 月,水利科学 No. 348(第60巻第 1 号) ・有吉堤竣工100年・郡道改良事業を検証する,2016年12月,水利科学 No. 352(第60巻第 5 号) の続編である。

森林と放射性物質シリーズ
  • 安田 幸生
    2017 年 61 巻 5 号 p. 102-130
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    福島第一原子力発電所の事故後,森林内における放射性物質の分布や挙動,そして空間線量率に関する多くの調査が行われてきた。本稿では,まず空間線量率と森林内でのその形成について概説した後,これまでの調査結果に基づき,森林内における空間線量率の事故後5年間の推移についてまとめた。空間線量率は,放射性物質の壊変による減少とウェザリング効果によって時間の経過とともに低下していた。しかし森林では,放射性セシウムが林内に保持されるため,他の土地利用形態(裸地,道路)と比較するとウェザリングの効果が少なく,空間線量率の低下速度が遅いことがわかった。また,森林は立体的な構造を持ち,その中で物質が循環・移動しているため,沈着した放射性物質の分布がそれに伴って時間的に変化し,それが林内の空間線量率を変化させていると考えられた。この空間線量率の変化傾向は,森林のタイプ(常緑針葉樹林と落葉広葉樹林)によって違いがみられた。

「後世に伝えるべき治山」60選シリーズ
  • 櫻庭 英明
    2017 年 61 巻 5 号 p. 131-136
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    樺戸山系は北海道の中央西部に位置する山々である。下流域の月形 町・浦臼町では,明治末期から昭和41(1966)年まで台風等により断続的に被害が発生していたため,昭和7(1932)年から北海道庁で築堤工事や治水工事が開始され,また,昭和24(1949)年からは北海道営治山事業と砂防事業もスタートした。しかし地元から集中的かつ大規模な防災対策実施への要望を受け,北海道森林管理局(当時札幌営林局)と北海道庁で協議し,民有林直轄治山事業の実施を決定した(対象事業地は道有林7,428ha,総事業費35億円,期間20年)。 施工内容は,低ダム群工法を採用し渓床を安定させ,土砂が堆積することで渓畔林が成立している。また,山腹勾配が40〜60度と急峻で荒廃山地であったため,ヘリコプターによる航空緑化工を実施し,裸地斜面を早期に植生被覆させた。これらの集中的かつ大規模な民有林直轄治山事業を実施した結果,年数経過とともに確実な施工効果が現れている。

連載
  • 山口 晴幸
    2017 年 61 巻 5 号 p. 137-154
    発行日: 2017/12/01
    公開日: 2019/02/15
    ジャーナル フリー

    金沢地区は神奈川県横浜市の南端部に位置し,鎌倉市と近接する東京湾に面した地域である。鎌倉幕府開設を機に,鎌倉への陸路・海路の要所となり,人物・物資の往来はもとより,幕府武将らが館を構えるなど,一気に賑わいをみせ,中世鎌倉時代から歴史的に発展してきた地域である。鎌倉〜江戸〜明治時期には,殊に,平潟湾の千変万化する風光明媚な海風景が旅人・墨客らを魅了し,全国的に人気の観光スポットとして名を馳せてきた。また,近代の戦前期頃までは,金沢の海風景をこよなく愛した政治家・文化人などが別荘・別邸などを建てて住み着き,海浜保養地としても知られていた。 このような時代的背景と変遷の下,金沢地区では,中世鎌倉時代からの貴重な歴史的構築物や遺跡・文化財などが数多く保全・伝承されてきた。その中でも主に,ここでは,歴史的な人物や遺産・遺構などと関連し,伝説・逸話・口碑などを秘めた古水や史跡水(水場や水辺も含む)にスポットを当てた探索調査を試みている。 本稿では,古き時代からの変遷と共に,地域の生活・習俗・文化等の発展史に深く係わってきた古水・史跡水・水場を「時代水」と称して着目し,先代人に纏わる利水的な遺構や関連する遺物などを中心に取り上げ,関係する人物や歴史的な時代背景などを織り交ぜて,その来歴・変遷・現状などを解説している。殊に,先代人の利水や水工に纏わる「水」への思いや発想・構想における英知・苦難などに触れることで,今後に継承すべき事柄に光を照らし,利水技術や水工物の古事来歴を顧み,再考する機会になればと願っている。

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