経済地理学年報
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51 巻, 5 号
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  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 51 巻 5 号 p. Cover1-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 51 巻 5 号 p. Cover2-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 51 巻 5 号 p. App1-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 松橋 公治
    原稿種別: 本文
    2005 年 51 巻 5 号 p. 439-442
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 小田 宏信
    原稿種別: 本文
    2005 年 51 巻 5 号 p. 443-464
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    Sable and Piore(1984)によって提起された柔軟な専門化仮説は,レギュラシオン学派を媒介として,Scott (1988)をはじめとして,経済地理学に大きな影響をもたらしてきた.一連の議論に従えば,その仮説は,1970年代の経済危機を「産業分水嶺」として,それまでフォーディスト企業が牽引してきた少品種大量生産が後退し,新しい産業地域の形成を伴った柔軟な生産が卓越してきたというものである.もちろん,このようなパラダイムシフトには多くの懐疑的な批判論文が寄せられてきた.しかし,こうした議論を日本の産業上の経験に擦り合わせようとした論考はほとんどなされていない.このようなテーマに対して多少なりとも手がかりをあたえてくれるのは,Freedman (1988)とHumphrys(1995)である.Freedmanは,日本の経済発展の原因を官僚主導の経済政策に帰した従来の観点に対して,中小企業のネットワークの力強さを経済発展のもう一つの源泉ととらえ,その経験的な実例を長野県坂城町に見出した.一方,Humphrysは,近接性に基づく関係特殊な取引を日本の競争力の基礎とみなした.筆者は,他の先進工業国に比べて,日本の生産システムが卓越した局地的集積に特徴付けられることに対しては異論がない.そして,そうしたロカリティにおける中小企業のパフォーマンスも,大手企業とそのサプライヤーの関係特殊性も同様に重要であった.こうした議論になんらかの問題を提起するものがあるとすれば,以下の通りであろう.第1には,日本の製造業もフォードシステムの洗礼を受けているということである.もし,フォード生産システムが分散的な立地システムを求めたとすれば,それは局地集中的な生産システムとどのように折り合いをつけてきたのであろうか.他方で,日本はフォードのような大量生産ではなく,トヨタシステムのような中量生産を獲得してきたのだという考え方も成り立つ.もし後者が妥当であるならば,第2には,そのような中量生産を日本がいつ,どのように構想したのであろうか.こうした疑問に応えるためには,日本の生産システムの歴史地理を振り返ってみる必要がある.こうした問題を考察すべく,本稿は,次のような構成で成り立っている.2章では,マーシャルの著作における大規模生産の地理的組織化について,簡単なスケッチを得る.マーシャルは,「相互の知識と信頼」を基礎においた産業地域の重要性を論じるだけではなく,ヨーロッパに忍び寄るアメリカン・システムの影響をとらえていた.3章では,マーシャルの時代の日本における川口鋳物と名古屋時計の2つの典型的な産業地域をみる.この時代の日本でも,建設的協同が育まれる一方で,アメリカン・システムの浸透がはじまろうとしていた.4章は,日本へのフォードシステムの受容を考察するために,大河内正敏,松下幸之助,そして豊田喜一郎という3人の先覚者に焦点をあてた.彼らは,フォードの著作に影響を受けつつも,それを日本の状況に適合したシステムに改良しようとしていた.5章では,戦後に本格的に発展した大量生産システムに埋め込まれたマーシャル流のシステムが描き出される.6章では,1990年代におけるネオ・マーシャル的な取引関係の顕在化が述べられる.日本においてフォード的な原理と,マーシャル的な原理は,決して二者択一的なものではなかった.むしろ,日本の大量生産は,その最初の時期より,中量生産を念頭に置き,フォード的な生産方式にマーシャル的な原理を内包したものであった.そのような産業発展の構図は1940年代には生じており,1960〜70年代に開花し,1980年代まで持続した.以後に大きな転機があるとすれば,1990年代に日本の製造業がアジアとの競争にさらされて以降である.今日,日本の製造業には,長期継続的な取引関係に裏打ちされた「相互の知識と信頼」のみならず,新たな「相互の知識と信頼」の形成を促す社会関係資本の構築が求められている.
  • 立見 淳哉
    原稿種別: 本文
    2005 年 51 巻 5 号 p. 465-482
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    本稿では,産業集積研究のさらなる発展に向けて,コンヴァンシオン経済学に基づいたストーパーとサレの「生産の世界」論に注目する.近年の集積理論は,イノベーションや学習との関連で,ローカルな制度・慣行の役割を強調するが,それが地域経済の発展に貢献する仕組みについて十分な検討がなされているとはいえない.他方で「生産の世界」論は,集合的な経済秩序の理念型である「可能世界」概念や,現実世界の「テスト」という概念を導入することで,制度・慣行が地域発展の資産となるための条件を与えてくれる.本稿の具体的な検討課題は,次の2つである.第1は,コンヴァンシオン経済学の研究プログラムおよびそれとの関連で「生産の世界」論の意義を明らかにすることである.「生産の世界」論は,経済地理学者のストーパーと,フランスのコンヴァンショニストであるサレとの共同研究の所産である.それは「コンヴァンシオン(慣行)」を鍵概念として構築されており,フランスの制度経済学であるコンヴァンシオン経済学の展開と無関係に,その理論内容を理解することは困難である.本稿では,コンヴァンシオン経済学がわが国はもちろんのことフランス語圏以外の諸国で十分に知られていないことを考慮して,やや詳細に,コンヴァンシオン経済学の研究プログラムを検討している.その際,大いに参考にしたのが,2001年に出版された初の本格的な入門書,バティフリエ編『コンヴァンシオン理論』の諸論考である.同書によると,コンヴァンシオンには二つのアプローチが存在する.一つは,ゲーム理論を積極的に使用する「戦略的アプローチ」であり,もう一つは,政治哲学や社会学から多くの知的恩恵を得ている「解釈学的アプローチ」である.このうち,本稿が注目する「生産の世界」論は,後者の一連の展開に含まれる.「解釈学的アプローチ」の主たる特徴は,アクターの解釈能力や評価能力を重視し,解釈・評価の準拠点として慣行の役割を位置づける点にある.この場合の慣行は「評価モデル」と呼ばれ,アクターにとっての規範原則として機能する.ストーパーとサレの議論では,アイデンティティと参加のコンヴァンシオンがこれに相当するといってよい.第2の課題は,「生産の世界」論の枠組みを,わが国のアパレル産業集積地域(岡山県倉敷市児島地区)の発展メカニズムの分析に部分的に適用することによって,その有効性を検討することである.日本の産業集積研究においては,詳細な実態調査にもとづいた実証的研究と,欧米の集積理論から刺激を受けた近年の理論的研究との間にある種の溝が存在するように思われる.今後,わが国の集積研究をより豊饒化していくためには,実証と理論の対話を通じて相互の溝を埋めていく作業が必要である.「生産の世界」論を経験的研究に適用する試みは,こうした問題意識も反映したものとなっている.結論として,児島アパレル産地の事例を通じて「生産の世界」論の有効性を示すことができたといえる.人々の行為枠組みとなるコンヴァンシオンが地域発展に貢献する資産になるか否かは,それが理念的な経済秩序である「可能世界」と構造的に両立するかどうかという点にかかっている.児島アパレル産地では,ローカルに共有されたコンヴァンシオンと可能世界との間に対応関係が観察されたのであり,ストーパーとサレの枠組みを裏付けるものとなっている.なお,本稿後半部の試みは,あくまでも図式的な対応関係を確かめる静態的な分析にとどまっており,一試論の域を超えるものではない.ECの特徴はむしろ動態分析にあり,今後,ECに依拠した集積研究の発展か望まれる.
  • 松永 裕己
    原稿種別: 本文
    2005 年 51 巻 5 号 p. 483-498
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    北九州は日本で最も古い工業地帯のひとつである.国内の他の重化学工業地帯と同様に,そこでもオイルショック以降の構造不況の影響を受けて,長期間にわたって地域経済の停滞が続いてきた.しかし1990年代後半以降,北九州においては,既存の重化学工業との強い連関の下に,リサイクルビジネスの著しい成長が観察されている.本稿では,北九州におけるリサイクル産業の発展が,既存産業(重化学工業)の集積とどのような連関とつながりを持ちながら進行しているのかについて考察する.1990年代以降に活発化する産業集積をめぐる議論では,機械関連業種における中小企業を中心とする産業集積に話題が集中しがちである一方で,かつて集積をめぐる焦点のひとつであった重化学工業のそれについては等閑視されている.本稿は,等閑視されていた重化学工業の産業集積に改めて光を当て,北九州におけるリサイクル産業の著しい成長に対してその産業集積が有する産業連関上の意義を解明する.これによって,産業集積をめぐる議論に対して新たな視点を付加することを試みる.リサイクルビジネスは,原料(廃棄物)・処理技術・再生品の市場などの点で,既存の重化学工業と生産連関のみならず,種々の側面で強い連関とつながりを有している.ここで特に重要となるのは,廃棄物に関する情報である.一般に,廃棄物の排出量,種類,価格などに関する情報は,廃棄元企業の生産関連情報(原材料の構成,技術水準,生産量など)に密接に結びついていることから,開示されることが稀である.そのため,そうした情報は一般商品市場に出回ることが少なく,したがってその取得には大きなコストが必要である.しかし,従来から廃棄物(副産物)のやりとりが活発に行われてきた重化学工業地帯では,こうした情報が比較的得やすく,その取引コストは相対的に小さくなる.このことが,リサイクルビジネスの立ち上げはもちろん,その後の当該産業の成長・発展にも有利に作用している.つまり,北九州にあっては,既存の重化学工業は,リサイクル産業という新たな成長分野の創出,さらにその後の発展において,生産連関だけでなく,原料(廃棄物・副産物)供給および再生資源の需要という情報の連関においても,重要な意味を持っているのである.またリサイクル産業の発展に伴って,こうした連関とは逆方向の連関も展開されている.製鉄業やセメント工業など既存の重化学工業の動脈部分においても,再生資源や廃棄物の積極的な利用が進んでおり,したがって,素材産業そのものが「リサイクル産業」の役割を担いつつあるのである.こうしたリサイクル機能の集積は,既存の重化学工業の活性化に寄与するだけでなく,空洞化しつつある製造業の国内回帰の可能性を高める上でも重要な意義を有している.環境意識の高まりの中で,メーカーは廃棄物を適切に処理することが求められているが,これは製造業の大きな課題であるとともに,ただでさえ高い国内コストを引き上げる要因ともなってきた.しかし,地域内における廃棄物の適切な処理およびリサイクルが比較的容易であるということになれば,廃棄物処理に課題を抱える企業・産業の誘致に対して大きな誘因になる.したがって,北九州におけるリサイクル産業の発展は,これまでのような単なる生産条件だけではなく,廃棄物を適切に処理し得るという条件からも,企業の立地,さらには産業の新たな集積にとって重要な意味を与えはじめている.さらに,リサイクル産業の成功は,古い工業地帯に特有な硬直的な企業間関係に変化をもたらしている.環境をキーワードにした新たな企業間リンケージやネットワークが,従来の系列や企業グループ内に限定されていた取引関係の枠を超えて,構築されつつあるのである.
  • 山崎 朗
    原稿種別: 本文
    2005 年 51 巻 5 号 p. 499-511
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    2001年度から経済産業省は,全国19地域で産業クラスター計画を開始した.この計画は,企業誘致型の地域産業政策ではなく,関連産業を含めたイノベーションの促進,新規事業の立ち上げ,ベンチャー企業の育成,地元大学との共同研究などを推進する新しい地域産業政策である.この計画の遂行における困難性は,企業数,事業所数,工場数が減少し,国内市場が縮小していく中で,輸送費・通信費の節約,規模の経済といった古典的な産業集積の利益をできるだけ温存しつつ,イノベイティブな活動を増加させていくという構造転換が迫られている点にある.クラスター戦略の核心は,個々の企業単位を超えて,地域全体の(リージョナル・)サプライ・チェーンを構築することにある.コア事業への集中と周辺事業のアウトソーシングという動きが強まっている.これによって,新しい取引関係が生まれ,これまで想定されなかった提携・合併が実施され,さらに新事業,ベンチャー企業が地域内において創出される.クラスターの構成要素には,その産業に関連する原料,部品,製造装置,保守点検,人材,情報提供機関,ロジステックス,大学,研究機関,行政,各種団体が含まれる.地理的範囲の決定は最も難しい問題であり,一義的に決定できない.都市圏が交錯している日本においては容易ではない.狭く設定すれば,行政区域と一致し,政策は立案しやすいものの,近隣の関連企業や大学等が排除されることになる.ブロック単位で広域的に設定すれば,多くの大学や関連産業が含まれることになるが,日常的な情報交換等は困難となり,クラスターとしてのまとまりを欠くことになる.新規工場立地を目的とする各種地域産業政策からクラスター計画へと移行せざるをえないのは,日本国内における新規工場立地件数が減少しているからでもある.量的拡大という古典的な産業集積化が進展してきた高度経済成長期と日本のクラスター計画が策定・実施されている現状とは,状況がまったく異なっている.クラスター計画の目的は,産業集積の質を高度化することであり,量的な拡大ではない.中小企業についても,質の向上が求められている.日本の製造業大企業は,総合化戦略を見直し,事業部門毎の再編や競合企業との共同研究などを実施している.しかし,中小企業では,この再編が遅れており,規模拡大も実現されていない.中小企業においても知識労働者の雇用,大学との共同研究,独自製品の開発,自社のマーケティング,国際戦略の立案を行うためには,一定の規模が必要となっている.日本の三大都市圏を除く地方圏における産業クラスターの目指すべき方向性は,シリコンバレーやサンフランシスコ,ボストンのような状況へと進化することではない.大手企業の量産工場の地方展開によって形成されてきた産業集積の基礎の上で,研究開発力,設計力,取引力を有した関連した精鋭の地場企業群と地域の大学,研究機関とが協力することによって,生産の高度化を全体として担うことができる地域的能力を構築することである.この観点からすれば,ベンチャー企業数や特許件数といった目標数値のみに拘泥することは,必ずしも望ましくない.むしろ,グローバリゼーション,日本的経営の再構築,産業システムの再編という潮流のなかで,地方の生産力をいかにして維持,発展させていくのかという視点が,地方の産業クラスター計画においては重要である.工場総数が減少している日本工業において,大手企業が国内工場に求めている「開発・生産の一体化」という質的な向上を地域的な観点から実現する,という初めての試みにチャレンジすることこそが,とくに三大都市圏以外の地方圏における産業クラスター戦略の本質である.
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 51 巻 5 号 p. App2-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2005 年 51 巻 5 号 p. App3-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 51 巻 5 号 p. Cover3-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2005 年 51 巻 5 号 p. Cover4-
    発行日: 2005/12/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
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