文化人類学
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86 巻, 2 号
文化人類学
選択された号の論文の29件中1~29を表示しています
表紙等
原著論文
  • オーストラリア中央砂漠アボリジニのキャンバス販売と酒の購入資金の獲得の分析から
    平野 智佳子
    原稿種別: 原著論文
    2021 年 86 巻 2 号 p. 177-196
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、オーストラリア中央砂漠で暮らすアボリジニ、とりわけアナングを自称/他称とする人びとを対象とし、生活給付金を利用したキャンバス販売や、その一連の過程で重ねられる分配行為の分析を通じて、酒を購入するための資金の獲得のプロセスに立ち現れる人びとの選択や生き方の一端を示すことである。

    従来のアボリジニ研究では、アボリジニが主流社会の体制を組み換えて独自に生活を再編していることが指摘される一方、飲酒者は「近代化の犠牲者」として描き出されてきた。本論文では、これまで文化表象や社会構築の議論において看過されてきたアボリジニの飲酒者に着目し、彼らが日々のキャンバス(アボリジニ・アート)販売を通じて、酒の購入資金を手に入れる術を読み解く。具体的に取り上げるのは、キャンバスを制作・販売する人びとのあいだで繰り広げられるもののやりとりである。彼らは分配の創意工夫によって他者からの嫉妬を回避しながら、キャンバスや現金など酒の購入資金となるものを手に入れる。同時に、分配に対する他者からの期待を過度に裏切らないことで集団内の相互扶助を維持する。これらの分析から、先住民と非先住民の社会や文化が交錯するポスト植民地状況において、酒の購入資金の獲得に奔走するアナングたちが分配の義務に従うわけでもなく、かといって個人の利益追求に向かうのでもなく、「ウェイ(way)」と呼ばれる状況応答的なやり方を編み出していることを指摘する。

  • 柳沢 英輔
    原稿種別: 原著論文
    2021 年 86 巻 2 号 p. 197-216
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    本論の目的は、フィールドレコーディングを主体とする実践的な研究手法としての音響民族誌(sonic ethnography)について、その意義を論じることにある。音響民族誌とは、人類学的なフィールドワークの成果物としてのフィールド録音作品のことを指す。人々の営みを経験的に記述する民族誌において、聴覚的な経験よりも視覚的な経験が重視されてきたため、音や録音メディアの持つ可能性はこれまで十分に検討されてこなかった。近年、音響民族誌が注目されるようになった技術的、理論的な背景として、機材のデジタル化により録音・編集環境が一般化したこと、そして、1980年代以降の「音の人類学」、「感覚の人類学」、「感覚民族誌」など、ロゴス中心主義、画像中心主義に対抗し、視覚以外の諸感覚や身体経験に着目した研究の潮流がある。

    本論では『うみなりとなり』という筆者らが制作した音響民族誌を事例として取り上げる。結論として以下のことが言える。第1に、音響民族誌は、音を通して、ヒト、モノ、自然が響きあう相互的で、流動的な世界の在り様を描くことで、我々のモノや世界の捉え方を転換させうる。第2に、録音という行為を通した人やモノ、場所との感覚的な繋がり、調査手法やプロセスへの省察的な考察と循環に、その意義や可能性がある。

特集 2000年代以降の「道徳/倫理の人類学」の射程
  • 酒井 朋子
    原稿種別: 特集
    2021 年 86 巻 2 号 p. 217-229
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    The last two decades have seen a growing interest in the study of morality/ethics within anthropology. This relatively new trend within the discipline has attempted to tackle the question how morality/ethics can be anthropologically defined, analyzed, and described. While the concept exist as a meta-theme in a number of works in the ethnographic canon, rarely has it been placed as the direct object of inquiry. One of the principle features found in the recent literature is the focus on individual or interpersonal practices which seek for the good in everyday settings, rather than moral codes consisting of imperatives and obligations to be followed. This special theme explores the extent to which theoretical discussions on morality/ethics since the 2000s can deepen our understanding of human life, as well as calling attention to several aspects that tend to remain in the shadows through the phrasing and perspectives prevalent in the current climate of discussion.

  • 文化人類学における「倫理的転回」の議論をふまえて
    神原 ゆうこ
    原稿種別: 特集
    2021 年 86 巻 2 号 p. 230-249
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    近年の道徳/倫理の人類学において、行為者の自律性に注目した「倫理的転回」の議論は影響力ある一潮流となっている。しかし、この議論は、政治人類学のフィールドにおいては制約があることが指摘されている。このような状況をふまえ、本稿は政治の場における倫理的転回の議論の可能性を示すことを目的とする。具体的には、スロヴァキアのNGO活動の現場に注目し、Zigonが提案する道徳と倫理の差異を手掛かりに、政治の場における実践に見出される道徳/倫理を考察する。民主主義を理念的に支えるはずのNGO活動については、それをとりまく政治経済的文脈が批判されて久しいが、この側面を過度に強調することは、時代の転換点を支えた個人の意志と主体性を軽視することになる。スロヴァキアのNGO活動の第一世代の人々にとって、活動への参加は、先が見通せない時代に新たな世界を作ろうとする倫理的な試みであり、民主主義の言説はその契機であった。一方で、NGO活動が制度化して定着した後は、民主主義の言説は、よりよい日常生活のための道徳的実践に結びつけられた。同じ政治的言説から派生しているように見えても、道徳/倫理は状況に応じて異なる実践として表出する。倫理的転回の議論は、政治の場において言説がそれ単体で道徳/倫理的な価値を持つのでなく、実践する個人を媒介して異なる道徳/倫理的な価値として表出しうる側面を明らかにした点に意義があるといえる。

  • きれいな分析を拒む現実に留まること/逸れること
    中村 沙絵
    原稿種別: 特集
    2021 年 86 巻 2 号 p. 250-268
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    人類学の倫理的転回と評される潮流では、道徳哲学(moral philosophy)の議論を取り入れつつ、反省性や判断など、主体の意識的な経験を捉えることに重きが置かれてきた。主体の行為や決断は、その経験の外部の要因に帰するものとしてではなく、少なくとも部分的には、意図やある種の実践知(実践の現場で適切な判断を下すことができる能力)の働きと考えることができる――倫理の人類学の名の下に挙げられる多くの著作によれば、このような想定が、私たちが出会う人びとの関心事や行為の価値、経験の機微を捉える語彙を豊かにする。このように倫理の人類学は、社会理論における「主体の死」、さらには人類学内部の人間中心主義批判を経てなお、責任や自由、創造性などの事柄について思考する意義と方途を模索しているといえる。

    しかし、道徳哲学の知見を取り入れながら人類学者が議論してきたのは、ある状況やモラル・ジレンマに対して〈行為する〉モメントを捉えるための概念だけではない。モラル・ジレンマのただ中に置かれた私たちの日常に留まろうとする日常言語学派、およびその影響を受けた「日常倫理」論者のなかには、現実に圧倒される情動的な経験に光をあて、これを受けとめる言語や態度、その限界などを検討するものが散見される。明白でわかりやすい道徳的・論証的言明の影にひそんでしまう、捉えどころのない人びとの経験に迫ろうとする道徳哲学にならうことで、民族誌にはいかなる深みが生まれるだろうか。本稿では「主体の死」後へと立ち向かう倫理の人類学にかぎられない、道徳哲学と民族誌のもう1つの交わり方を探るものである。

  • 倫理的な生と不自由さの感覚
    佐川 徹
    原稿種別: 特集
    2021 年 86 巻 2 号 p. 269-286
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    本論では、人びとが「われわれ」と「やつら」に分かれて暴力を行使する戦いの現場でなされた、「敵」を助けるという行為に注目する。助命行為を対象とした先行研究においては、相手を助けた行為者の意図性が強調される。しかし、東アフリカにくらすダサネッチにおける調査からは、なぜ助命したのかを行為者がはっきりと説明できない語りがみられる。そこで本論では、助命行為の動機を解明することを試みるのではなく、「敵」の命を助けた経験を行為者が事後的にどのように認識しているのかを検討する。焦点をあてるのは、助命行為は自己が意識しないままにおこなったという点において、また事後的にその経験をうまく了解・説明できないという点において、二重の「不自由さ」を抱かせる経験だったと行為者が考えている事例である。道徳/倫理の人類学の一潮流においては、デュルケーム由来の道徳観念が「不自由の科学」を生みだした点が批判され、再帰的・反省的自由を有した主体の存在が倫理的な生の前提であるとの指摘がなされる。それに対して本論では、「自由」を倫理的主体の条件とする研究者の主張と、研究対象とする人びと自身が自己の経験を思いかえす局面で抱く「不自由さ」の感覚との間に、大きなずれが生じるおそれがある点に注意を喚起する。そして、戦場で経験した一回的な出来事をめぐって行為者が抱くようになった「不自由さ」の感覚に接近することを試みる。

  • 学校事故をめぐる倫理的応答の軌跡
    石井 美保
    原稿種別: 特集
    2021 年 86 巻 2 号 p. 287-306
    発行日: 2021/09/30
    公開日: 2021/12/26
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、京都市の小学校で起きたプール事故をめぐる出来事を、遺族とそれを取り巻く人々の実践を中心に記述することを通して、道徳/倫理をめぐる近年の人類学的議論に新たな視座を提示することである。本稿の検討と考察の主軸となるのは、第1に、了解不可能な出来事に一定の意味を与えようとする物語の作用に抗して、事故に関する事実を追求しつづけ、我が子の死をめぐる「なぜ」「どのようにして」という問いを投げかけつづける遺族の実践のもつ意味である。第2に、事故に関する事実の検証や理解をめぐってしばしば立ち現れる、主観性と客観性、あるいは一人称的視点と三人称的視点の対立を調停する、エンパシー的な理解の可能性である。本稿でみるように、事故をめぐる出来事に関わった人々に倫理的応答を要請するものは、亡くなった少女の存在である。遺族をはじめとする人々は、物語の創りだす時間の流れの中に出来事を位置づけるのではなく、あえて「止まった時間」の中に留まり、喪失の痛みとともに生きることで亡き人の呼びかけに応えつづけようとする。このような人々の生のあり方を考察することを通して本稿は、苦悩の経験に意味を与え、混沌にテロスをもたらす物語の作用に注目する道徳/倫理研究の視座を相対化し、物語論に回収されない倫理的な実践の可能性を提示する。

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